第116話 赤錆の嵐
ハルの演奏を聴き終えた後。
オレとライラは食堂車で、食事をしていた。
そのとき、食堂車に車掌が入ってきた。
「お食事中のところ、失礼いたします。これより、乗務員から指示があるまで、決して窓を開けないでください」
車掌が突然、そう告げる。
食堂車の中を歩きながら、車掌はしきりに窓を開けないようにと、指示を繰り返していた。
ポークアンドビーンズを食べていたオレたちは、手を止めて顔を見合わせた。
「窓を開けちゃダメだって」
「嵐でも来るのかな……?」
窓を開けてはならないと車掌が云って回るほどなんて、どんな嵐が来るのだろう?
気になったオレは、車掌が近くまで来ると、手を挙げて車掌を止めた。
「お客様、いかがなされましたか?」
「どうして、窓を開けてはいけないのですか?」
オレが車掌に尋ねる。
「赤錆の嵐が、来るためです」
「赤錆の嵐……?
車掌の答えに、ライラが首をかしげた。
「この季節には、よくあることです。決して窓を開けたり、車外に出たりしないようにしてくださいね」
車掌はそう云うと、食堂車を抜けて次の車両へと移動していった。
赤錆の嵐か。
これはまた、厄介なことになってきたな。車掌が、窓を絶対に開けないように指示を出してきたのも、納得だ。赤錆の嵐を無事に抜けるか、次の停車駅に到着するまで窓は開けられないな。
オレがそんなことを考えていると、ライラがオレに視線を飛ばしているのに気がついた。
「ねぇビートくん、赤錆の嵐って何?」
「赤錆の嵐っていうのは、この辺りで起きる自然現象のことだよ」
オレはそう云って、ライラに赤錆の嵐のことを説明した。
赤錆の嵐とは、東大陸の北西部でよく起きる自然現象だ。
地上に露出した古代遺跡に残された、遺物が細かい錆びた砂鉄となり、嵐に乗って巻き上げられる。その巻き上げられた砂鉄は、周辺の街や通過する列車に襲い掛かってくるのだ。そしてこの赤錆の嵐は、時には盗賊以上に厄介かつ危険な存在になる。
それは、健康被害を引き起こすためだ。窓やドアが空いていると、そこから赤錆の嵐は容赦なく入り込み、人々に襲い掛かる。細かい砂鉄は目や鼻に入り込み、失明や呼吸器の病気を引き起こす。最悪の場合は、砂鉄が入り込んだことから病気になり、命を落とすことだってある。砂鉄が身体に入らないような大きなものであったとしても、それが飛んでくることで建物を破壊したり、人に当たって怪我を引き起こすことだってある。
赤錆の嵐がよく起こる土地には、誰も住んでいない。盗賊団でさえ、赤錆の嵐からは逃げることしかできない。
人族や獣人族が赤錆の嵐に対してできることは、ただ1つだけ。
赤錆の嵐が通り過ぎるのを、建物などの中でじっと待つだけだ。
「ビートくん、そんなにすごいの!?」
オレの話を聞き終えたライラが、驚きと恐怖の表情で尋ねてくる。
目の前にまだポークアンドビーンズが残っているが、それどころではない。ライラの目はそう云って、オレの答えを待ち望んでいた。
「……正直、不安なんだ」
オレは頷いて、窓の外を見た。
「このショートテイル・シェアウォーター号が、赤錆の嵐に耐えてくれるのかどうか……」
列車が進む先には、赤く見える場所がある。砂鉄を多く含んだ大地だ。
砂鉄は地面を覆いつくし、ほとんど赤錆だらけの砂漠に見えた。大地を覆っているこの赤さびた砂鉄が、かつては古代遺跡の一部だったなんて……。
知らない人なら、一生涯知ることは無いことだろうな。
オレは不安を押し込めるように、残っていたポークアンドビーンズを口に運んだ。
個室に戻る頃に、ショートテイル・シェアウォーター号は赤錆の嵐へ突入した。
赤錆の嵐の中を列車が進むことは、珍しくない。
先行列車や駅からの連絡で、待機命令などが出ない限り、走り抜ける。蒸気機関車のほとんどは、運転室も外とは隔離されるように作られているため、走行するのに問題はない。
今回は、先行列車や駅から連絡が無かった。そのため、機関士の判断で赤錆の嵐を突き抜けることになったらしい。
カツン、カツン。
窓に物が当たる音がして、ライラが窓を見つめた。
「ビートくん、今の音は何?」
「砂鉄が窓に当たった音だな」
オレはそう答える。
「赤錆の嵐で巻き上げられた砂鉄が、窓や車体にぶつかって音を立てているんだ」
「なんだか、ノックの音みたいね」
ライラの言葉に、オレは頷いた。
確かに、ノックの音と似ているよなぁ……。
ドアの方から聞こえたりしたら、ノックと聞き分けられるかどうか……。
その時、オレはあることを思い出した。
「そういえば……過去にはもっとひどい赤錆の嵐が起きたこともあるんだ」
「ビートくん、それって本当?」
「もちろん、本当のことさ」
ライラが不安そうに聞いてきて、オレは頷いた。
「どんなことが起きたの……?」
「鉄道事故さ」
オレが答えると、ライラはビクンと身体を震わせた。
「まだ赤錆の嵐への対策が不十分だった頃のことなんだけど……。赤錆の嵐の中を走っていた列車の窓が、飛んできた砂鉄によって割れちゃったんだ」
その出来事は、かつて図書館車に置かれていた本で、読んだことがあった。
過去の鉄道事故をまとめた本で、怪談話になっているのが特徴の本だ。怪談話は人気があるためか、何人もの人が読んだらしく、他の本に比べて痛み方が激しかった。
「それで、どうなったの……?」
「もちろん、砂鉄が列車の中に飛び込んできて、乗員と乗客は赤錆の嵐に苦しめられた。列車はなんとか赤錆の嵐を抜けて、停車駅に辿り着いたよ。でも……」
オレは少しだけ声のトーンを、落とした。
「乗員乗客の半分以上が、赤錆の嵐で亡くなったんだ。そしてそれ以来、その事故で死んだ人々が、今も助けを求めて事故が起きた場所を彷徨っているらしい。その路線を通っている最中に赤錆の嵐に遭遇すると、不可解な現象が起きるんだって。ドアがノックされたのに、誰も居なかったり。苦しむような声が聞こえてきたりとか……」
「そ、それって……本当……!?」
ライラは、ガクガクと震えていた。
尻尾を前に持って来て、抱き枕のように両手でしっかりと抱きしめている。かなり怖がっていることが、すぐに分かった。
「さぁ、それはオレも体験したことがないから、分からないよ。ただ1つ云えることは……」
少しだけ間を置いてから、オレは云った。
「……その事故が起きたのは、ちょうど今、列車が走っている辺りなんだって」
「イヤー!!」
ライラが叫んだ。
「そういうの最後に持ってくるの、やめて!」
「ライラ、本気にしているの?」
オレは怖がるライラを見つめながら、ころころと笑う。
「大丈夫だって、これは怪談話。作り話だよ」
オレはライラにそう告げる。
そうだ、これは作り話。この線路で事故が起こったことは本当だけど、その事実に後で脚色して作られた、作り話だ。不可解な現象が起きたなんて話は、聞いたことが無い。それが、この怪談話が本当に起きたことではなく、作り話であることの何よりの証明だ。
「でも怖いよー!」
「ごめんごめん、ライラにはちょっと、怖すぎたかな?」
オレはそっと、怖がるライラを抱き寄せる。
ただの作り話なのに、ここまで怖がるとは思わなかったなぁ……。
そういえば、ライラは怖い話が苦手だったな。
グレーザー孤児院で夏に怖い話の朗読会があっても、ライラはほとんど不参加だった。他の女の子からも呆れられるほど、怖い話は避けていた。
話のチョイスを間違えちゃったかな……?
オレは少し反省しつつ、ライラの頭を撫でた。
そのときだった。
コンコンッ。
個室のドアが2回、ノックされた。
「えっ……?」
「!?」
オレが驚き、ライラは今にも泣き出しそうな目で、ドアを見つめる。
あんな話をしたオレが云うのも何だが、少し気味が悪くなってきた。
さっきのノックは、なんだろう?
背筋が寒くなる中、ライラがオレに強く抱き着く。
「ビートくぅん……」
ガクガク震えるライラ。
これはオレが、ドアを開けて確かめないといけないな。
「お……オレが確かめてくるよ……!」
オレは震える声でそう云うと、ベッドから立ち上がった。
ゆっくりとドアに歩いていき、そしてリボルバーを手にして、ドアのカギを解除する。
ドアの向こう側には、誰が居るのだろう?
そっと、ドアを開けた。
「はーい……?」
しかし、ドアを開けたオレは、固まった。
ドアの向こう側には、誰も居なかった。廊下には誰もおらず、ただ列車の走る音だけが響いている。静まり返った廊下は、不気味そのものだった。
「誰も居ない……!?」
まさか、あの話は本当の出来事なのか!?
オレは一気に、全身の鳥肌がざわっと立つのを感じる。
誰かに、見られているような気もした。
もしかして、本当に事故で亡くなった人が、今も助けを呼んでいるというのか!?
「どうも、ありがとうございました」
「いえいえ、それでは、失礼します」
隣の部屋から、そんなやり取りがしてドアが開いた。
ドアから、車掌が出てきて個室に向かって一礼をすると、ドアが閉まる。
ドアが閉まると、車掌はオレの方へと顔を向けてきた。
「あっお客様、失礼いたしました!」
車掌はすぐにオレの所へと駆け寄る。
「ノックをしたのですが、隣のお客様から急な対応をお願いされまして、急きょそちらに行っておりました。大変、失礼いたしました」
車掌はそう云って、お辞儀をする。
なるほど。さっきのノックは、車掌だったのか。
「えーと、それで何か……?」
「そうでした!」
オレの問いかけに、車掌は思い出したように声を上げた。
「赤錆の嵐を無事に通過いたしました。もう窓を開けていただいて大丈夫です。ご理解とご協力に、感謝いたします。それをお知らせに参りました」
再び、車掌はお辞儀をする。
オレは車掌の背後の窓から見える外の景色を見て、車掌の言葉が真実だと悟った。
先ほどまで吹き荒れていた赤錆の嵐は、もうどこにもない。
広がっているのは、青い空と乾いた大地だ。
どうやら、ノックが亡くなった人のものだというのは、オレの思い込みだったようだ。
「そうだったんですね。ありがとうございます」
「いえいえ。次の停車駅には、あと1時間ほどで到着いたします。それでは、失礼いたしました」
車掌は挨拶をして、次の部屋へと向かっていった。
車掌が次の部屋のドアをノックして、中の人と話し始めると、オレはそっとドアを閉じた。
「びっくりしちゃったぁー」
ドアを閉めると、ライラがため息をついてそう云った。
「まさか本当に、亡くなった人が助けを求めてきたかと思っちゃったよー!」
「オレも……ちょっとだけ、ビックリした」
まさか、あんな絶妙なタイミングでノックがあるなんて、思ってもみなかった。
亡くなった人が助けを求めて化けて出るなんて、現実に起きてほしくないことだ。
しばらく、怖い話をするのは止めよう。
オレもこれには、少しだけ懲りた。
そんなオレたちを乗せたショートテイル・シェアウォーター号は、赤錆の嵐を抜けて、次の停車駅に向かって線路を進んでいった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
感想、誤字脱字、ご指摘、評価等お待ちしております!
次回更新は、6月11日の21時更新予定です!
そして面白いと思いましたら、ページの下の星をクリックして、評価をしていただけますと幸いです!





