第115話 音楽の魔女
ショートテイル・シェアウォーター号は、次の停車駅に向かって走り続けていく。
オレとライラは、昨夜が遅かった。
そのためいつもよりも、ゆっくりと眠ってから起き上がる。
オレが時刻を確認すると、9時を過ぎていた。
その頃には、太陽はすっかり昇りきっていた……。
朝食を食べてから、個室でゆっくりと過ごしている時だった。
コンコンッ。
オレたちの部屋の入り口のドアが2回、ノックされた。
朝早くに、誰が尋ねてきたのだろう……?
「誰かしら?」
「うーん、出てみるかぁ……」
オレはベッドから立ち上がり、入り口へと向かう。
少々身体が思いが、動けないほどではない。
それにしても、誰が尋ねてきたのだろう?
車掌さんが、切符の拝見にでも来たのだろうか?
そんなことを考えながら、オレはドアのカギを解除し、そっとドアを開けた。
「はーい……?」
「あぁ、良かったわ。起きていたのね」
オレがドアを開けると、そこには1人の獣人族の女性が立っていた。
猫系の獣人らしく、細くて長い尻尾を持った女性は、背中にギターを背負っていた。年寄りでもないのに、なぜか杖を手にしている。目にはおしゃれのつもりなのか、黒いサングラスをかけている。年齢はオレたちよりも上で、30代くらいだろうと、オレは推測した。
「あの、あなたは……?」
「私の名前はハル。人々は私のことを、音楽の魔女と呼ぶわ」
ハルと名乗った女性は、そう云った。
「さすらいの音楽家ですか?」
「そうです。もしよろしければ、一曲いかがですか?」
ハルがそう云うと、背後からライラが声をかけてきた。
「ビートくん、誰?」
「ハルさんっていう、音楽家さん」
「あら、もう1人いらしたのね? お嬢さん、良かったら一曲聞いていかない?」
ハルはライラにも、そう声をかける。
「いいじゃない! ビートくん、演奏してもらおうよ!」
「ライラがそう云うなら……」
「ありがとう。それじゃあ、中に入ってもいいかしら?」
「どうぞ!」
ハルの問いにライラが答え、オレたちはハルを室内へと案内した。
「……あら?」
個室に入ると、ハルが鼻をすんすんと動かして、臭いを嗅ぐ。
「この臭いは何かしら……? 少しだけ鼻にツンとくる、独特な臭いね……」
「き、きっと、長旅で臭いがこもっちゃったんだと思います! すみません、気づかなくて!」
オレはそう云いながら、全身から冷や汗が出るのを感じた。
昨夜何があったかなんて、ハルに悟られたくはなかった。精力がついていたとはいえ、さすがに少々、やりすぎたな……。
「そう……まぁ、気にするほどでもないわね」
ハルはそう云うと、そっとギターを下ろした。
そしてイスに腰掛けると、ギターを手にして、弦の調子を確認する。サングラスは室内に入っても、外したりはしなかった。
弦を整えている間に、オレとライラはベッドに腰掛けた。
「これでよし……と」
どうやら調整が終わったらしく、ハルはギターを持ち直した。
「それじゃあ、そろそろ始めるけど、いいかしら?」
「はいっ、お願いします!」
ライラの言葉に、ハルは口元を緩めて、頷いた。
「それじゃあ、行くわよ!」
ハルはそう云って、演奏を始めた。
ハルのギターは、著名な曲を奏で、ハルはそれに合わせて歌った。
その声は美しく、どこかもの悲し気な雰囲気を漂わせていた。しかし、もの悲し気な雰囲気はあまりなく、力強さや陽気さの方がずっと強かった。
一曲だけ、と思っていたが、それだけで治まらなかった。
オレとライラはリクエストを飛ばし、ハルはそれに応じて次から次にリクエストを受けてくれた。
気がつくと、昼近くまで時間が経っていた。
演奏が全て終わると、オレとライラは惜しみない拍手をハルに贈った。
「素晴らしかったです!」
「いい演奏でした! ありがとうございます!」
オレとライラが拍手をしながら云うと、ハルはそっと頭を下げた。
「ありがとう。聞いた人に喜んでもらえると、私も嬉しいわ」
「あの、もしよければ、素顔を見せてくれませんか?」
ライラが、ハルに云う。
「えっ、私の素顔を……?」
「はい! 是非、どんなお顔なのか見てみたいんです!」
「うーん……そうねぇ……」
ハルはギターを置いて、少し考えるように口元に指を当てる。
オレもライラと同じで、ハルの素顔が気になっていた。サングラスでよく見えないが、こんなにも素晴らしい演奏をするハルの素顔とは、どんなものなのだろう?
しかし、オレは男だ。男が女性に素顔を見せろと要求するのは、エチケット違反だろう。
ライラがオレと同じことを考えていて、本当に良かった。
少ししてから、ハルは口を開いた。
「……驚かないと、約束してくれるかしら?」
驚かないと約束する?
いったい、どうしてそんなことを?
しかし、ハルが提示した条件はそれだ。
素顔が見たければ、それに従うしかない。
オレとライラは顔を見合わせて頷くと、ハルに向き直った。
「はいっ!」
「お願いします!」
オレとライラが云うと、ハルは頷いた。
「わかったわ。それじゃあ……」
ハルはそっと、黒いサングラスを顔から外した。
サングラスの下から現れたのは、白猫族の顔だった。
30代くらいと思っていたが、ずっと若く見えた。そしてどういうわけか、両目は閉じたままだ。
そしてハルが、両目を開いた。
「……!」
「……!!」
オレとライラは、ハルの目を見て、目を見張った。
ハルの目には、全く光が宿っていなかった。黒い瞳の中はどこまでも暗く、まるで新月のようだ。
これは、何かしらの理由で目が見えない人に見られる特徴だ。
そのときに、オレたちはハルが盲目であることを知った。
「……驚いたでしょ?」
ハルが、オレたちの心の中を見透かしたように、云った。
「すみません、驚かないと約束しましたが……ビックリしました」
「いいのよ。私が目が見えないと知った人は、みんな同じことを云ったわ」
オレの謝罪に、ハルはそう云った。
そして目を閉じると、サングラスを掛けた。
「どうして、目が見えなくなったんですか?」
「生まれつきなの」
ライラの問いに、ハルはそう云った。
「生まれたときから目が見えなかったから、世界がどんなものなのか、見たことが無いの。でも、音楽だけは目が見える人と同じように聞けたの。音楽は私に生きる意味を与えてくれたわ。だから、目の見えない私にもできる楽器を探して、行きついたのがこのギターなの」
ハルはそう云って、ギターをそっと撫でた。
「私にとっての相棒。これがあれば、どこでも演奏ができるからね。幸い、旅の手助けをしてくれる人は大勢いたわ。鉄道を使いながら、あちこちへ風のように移動しながら生きているのよ」
「どこか、行く当てはあるんですか?」
「当ては無いわ」
オレが問うと、ハルはそう云った。
「風の吹くまま、気の向くままよ。当てなんか無いわ。あなたたちのような、私の音楽を楽しんでもらえる人が居る場所に行くだけよ」
「そうですか……」
オレは何故か、それがハルにとってはピッタリな気がした。
どこかに留まったり、誰かと一緒になるのではなく、ただ流れ続ける。目が見えないことなんて感じさせず、自分の音楽の腕とギターで生きる。
それが、あの音楽を生み出しているのだろう。
オレとライラは、演奏のお礼として、ハルにおカネと保存食をプレゼントした。
「ありがとう。あなたたちに聞いてもらえて、私も嬉しかった」
個室から出たハルは、オレたちにそう云った。
「きっとまた、どこかで会いましょう」
「はい、また会えることを楽しみにしています!」
「また素晴らしい演奏、お願いします!」
オレとライラの言葉に、ハルは口元を緩ませて頷く。
サングラスの下の目が喜んでいることは、オレたちにも分かった。
ハルは一礼をしてから、列車の後方へと向かって進んでいった。
オれたちはハルを見送ってから、食堂車に昼食を食べに向かった。
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ハルのモデルとなったのは、最後の瞽女と呼ばれている、小林ハルさんです。





