第108話 銀狐族
ポォーッ!
コンテナシティを出発した日の翌日。
吟遊詩人の物語を聞いた後、ライラの尻尾をモフってから眠ったオレの眠りを覚ましたのは、バーン・スワロー号をけん引する蒸気機関車の汽笛だった。
「んーっ……良く寝たぁ……」
目を覚ますと、オレの左手にモフっとしたものが触れた。
それがライラの尻尾であることは、すぐに分かった。
触りたくなったが、オレは手を引っ込めた。
ライラの尻尾は昨夜、心ゆくまで堪能した。それにライラは、まだ眠っている。尻尾を触って起こすと、ライラに怒られてしまう。また今度、ライラにお願いして触らせてもらおう。
オレはそっと、ベッドから抜け出した。
もうすぐ、アルジェント領ルナル地方のフーに到着するはずだ。
フーに到着したら、是非とも行きたい場所がある。
オレは窓から差し込んでくる朝日を浴びて、大きく伸びをした。
そして朝9時に、バーン・スワロー号はフーに到着した。
アルジェント領ルナル地方フー。
ルナル地方は、東大陸の内陸部にある平野の地方だ。そしてここには、銀狐族というルナル地方にしかいない珍しい獣人族が暮らしている。銀狼族のライラと同じように、銀色の髪の毛と尻尾を持つ、狐系の獣人らしい。しかし銀狼族とは違い、珍しくはあっても美男美女が多いといった特徴は無い。そのため銀狼族のように、奴隷狩りに狙われるようなことはほとんどない。
さらにフーには、ルナル地方で唯一ともいえる温泉がある。
フーに滞在している間に、どうしても温泉に行って身体を休めたい。
さらに停車時間は、72時間もある。
温泉旅館に宿泊してゆっくりするのに、十分すぎる時間だ。
オレたちは温泉に入りたくて、フーの駅を出た。
「ライラ、久しぶりの温泉だ!」
「楽しみね!!」
オレとライラの頭の中は、温泉のことでいっぱいになっていた。
久しぶりに温泉に入って旅の疲れを癒し、美味しい料理に舌鼓を打ち、揺れないベッドで眠る。もうずいぶんと長いこと、体験していないことばかりだ。
72時間という長い停車時間の間に、ゆっくりしていこう。
「ねぇビートくん、どこの温泉旅館に泊まる?」
「そうだなぁ……」
そういえば、フーにはどんな温泉旅館があるんだろう?
オレが辺りを見回して、温泉旅館を探そうとしたときだった。
「フーの町に、ようこそいらっしゃいました~」
道端で、銀狐族の呼び込みが立っていた。
「温泉でゆっくりしたい方は、フーで唯一の温泉旅館、狐月庵へどうぞ~。従業員一同、心よりお待ちしております~」
「あの、すみません」
オレは銀狐族の呼び込みに、声を掛けた。
「フーで唯一の温泉旅館って、本当ですか?」
「そうですよ~。フーの町にある温泉旅館は、狐月庵だけなんです~」
銀狐族の呼び込みは、そう答えた。
「狐月庵は、私たち銀狐族がやっています~。宿泊した方は皆さん、感動して帰っていきます~。私たちにとっても、自慢のお宿でございまーす。いかがですか~?」
「ライラ、どうする?」
「どうするも何も、そこ以外に温泉旅館が無いなら、そこに宿泊するしかないじゃない」
オレの問いに、ライラはそう答えた。
それもそうだと、オレは訊いたことを少し後悔した。
「それじゃあ、2泊3日でお願いします」
「かしこまりました~。それでは、ご案内しま~す」
銀狐族の呼び込みに続いて、オレたちは歩き出した。
銀狐族がやっているという温泉旅館「狐月庵」は、歴史を感じさせる立派な温泉旅館だった。
城のような門構えを持ち、フロントでは銀狐族のスタッフが整列してオレたちを出迎えてくれた。
「「「「「「狐月庵へ、ようこそいらっしゃいました」」」」」」
一斉に一礼され、オレたちは驚いた。
王侯貴族でもないのに、ここまで丁重に出迎えられたのは、初めてだ。
チェックインを済ませると、銀狐族の少女がやってきた。
「狐月庵へようこそいらっしゃいました。私が担当コンシェルジュの、コウです。どうぞよろしくお願いいたします」
コウと名乗った少女は、一礼した。
「こちらこそ、お願いします」
「よろしくね」
オレたちがそう返すと、コウは再度一礼をした。
「それでは、お部屋へご案内いたします」
コウが先導して、オレとライラは狐月庵の客室へと案内された。
「こちらでございます」
コウに案内された客室に足を踏み入れて、オレたちは荷物を下ろした。
「ビートくん、ここからフーの町がよく見えるよ!」
ライラが窓を指し示して云う。
外を見ると、確かにフーの町が見えた。
「夜になりましたら、夜景も楽しめます。フーの町の夜景は、幻想的で人気です」
「ここ気に入った!」
ライラは尻尾を振りながら、ベッドに腰掛ける。
ベッドもバーン・スワロー号のものと違い、ワンランク上のものが使われているようだ。
「すごいなぁ。もしかして、スイートルームですか?」
「いいえ、ここは一般的なお部屋になります」
コウの答えに、オレは驚いた。
「狐月庵では、スイートルームに宿泊されないお客様でも、快適にお過ごしいただけるようなお部屋をご案内しております。これから、お部屋のご説明をいたしますね」
コウはオレたちに、狐月庵での過ごし方を話してくれた。
温泉は24時間入り放題。食事はレストランの他、ルームサービスも行っている。遊技場や景勝地についても、コウは丁寧に教えてくれた。
説明が終わる頃には、まるでコウが昔からの友人のように、オレたちは感じていた。
「以上で、ご説明は終わりになります。他に何かお聞きされたいことなどは、ございましたでしょうか?」
「銀狐族って、とても親切ですね。お仕事なのに、大変ですね」
オレが問うと、コウは一礼をした。
「ありがとうございます。これは、私たち銀狐族が、このフーにしかいないこと。そしてほとんどが、狐月庵で働いているためです」
「えっ、ほとんどが……!?」
「はい!」
いやいや、いくらなんでもそれは云いすぎじゃないか?
銀狐族のほとんどが、狐月庵で働いているなんて。
驚いているオレたちに、コウは説明してくれた。
狐月庵で働いている従業員は、全て銀狐族であり、それはフーで暮らす銀狐族の9割に当たる人数だった。そして狐月庵の評判が、そのまま銀狐族の評判に直結するため、親切に対応するのが当然らしい。
「それでは、私はこれにて失礼いたします」
説明を終えたコウは、再び一礼した。
「何かありましたら、壁にあるボタンでお呼びください。すぐに駆けつけます」
「わかりました。ありがとうございます」
オレもコウに一礼すると、コウはオレたちの部屋を後にしていった。
少しも無駄な動きが無く、音もなくドアを閉めるコウは、プロそのものだった。
「ライラ、早速温泉に行こう!」
「待って!」
浴衣を手に部屋を出ようとしたオレを、ライラが呼び止めた。
「その前に、確認しなくちゃいけないことがあるの」
「確認しなくちゃいけないこと?」
そんなこと、あっただろうか?
オレには、思いつかなかった。
「混浴で貸切にできる温泉があるかどうか、ちゃんと確認しなくちゃ!」
ライラはそう云って、壁にあるボタンを押した。
コウが話していた、何かあった時にコンシェルジュを呼ぶためのボタンだ。
ここでも、ライラは相変わらずブレないな。
もうすっかり、オレも動じなくなったけど……。
3分ほどしてから、コウが部屋を訪ねてきた。
「お待たせいたしました。いかがなされましたか?」
「混浴の温泉って、ありますか? 大人数で入れるものではなくて、少人数で入れる貸し切りの温泉です」
「少人数で入れる、混浴の温泉ですね……?」
コウはメモ帳と鉛筆を取り出し、ライラの発言の内容をメモした。
「ありますか?」
「はい、ご用意しております」
コウの言葉に、ライラの目が輝いた。
「これからご入浴されますか?」
「はい!」
「かしこまりました。それでは、準備ができましたらお声掛けください。ご案内いたします」
それからすぐに、ライラは温泉に持って行くタオルや石けんをまとめた。
ライラの準備が整うと、オレはライラと共に、コウの案内で混浴の温泉に向かった。
「こちらになります」
コウが案内してくれたのは、露天風呂だった。
どうやらここが、混浴で入れる温泉らしい。
「ここを利用できるのは、家族や夫婦のお客様のみになります。もちろんビートさんとライラさんは夫婦なので、ご利用いただけます。入浴中は、この鍵を脱衣室と廊下をつなぐドアにかけてください」
コウはライラに、鍵を手渡した。
「ありがとうございます!」
「それでは、どうぞごゆっくりとお過ごしください」
コウは一礼をして、立ち去っていく。
「ビートくん! 早く入ろう!」
「そ、そうだね……」
オレはライラと共に、脱衣室に入り、内側から鍵を掛けた。
ゆっくりと温泉に浸かった後、オレたちは浴衣に着替えた。
銀狐族の従業員が着ているものと似ていたが、どうやら麻でできているらしく、火照った身体にはちょうど良い肌触りだった。生地もしっかりしていて、透けるようなことは無かった。
これなら、湯上りのライラが他の男から血走った目で見られるようなことも無いだろう。
「ビートくん、お腹空いてきちゃった」
「オレもだよ」
温泉から出たのは、夕方。
オレは懐中時計を取り出し、時刻を確認する。夕食には少し早い時間だったが、もう夕食はレストランで食べられる時間だ。今の時間なら、混雑することもきっと無いだろう。
「ちょっと早いけど、夕食にしようか?」
「うん! そうしたい!」
ライラが頷いた。
「寝る前にお腹が空いて来たら、ルームサービスを頼もうよ! グリルチキンもあったから!」
いつの間に、ルームサービスのメニューを確認したんだ!?
オレはライラの行動力に、少しだけ驚いた。
「わかった、そうしよう。でも、寝る前にあんまり食べると太りやすいから、グリルチキンよりもサンドイッチとかにしておこう」
「うん……わかったわ!」
ライラは少しだけ残念そうな表情になったが、太りたくはなかったみたいだ。
オレの言葉に、ライラは頷いた。
「その代わりに、夕食はライラの好きなものを食べていいから」
「本当!? 嬉しい!!」
「うおっ!?」
ライラがオレの腕に抱き着き、そのままオレの頬にキスをした。
嬉しいけど、廊下では止めてほしかった。
銀狐族の従業員に見られて、オレたちは生暖かい視線を向けられる。
その中を、オレたちはレストランに向かって進んでいくことになった。
レストラン「黄金食堂」に入ると、すぐに銀狐族の従業員がやってきて、オレたちを空いている席に案内してくれた。
そしてメニューとおしぼりを置くと、決まったらベルで呼ぶことを説明して、去っていった。
「ビートくん、色々載っているね」
ライラがメニューを開いて、目を輝かせている。
メニューにはライラの好きなグリルチキンの他、サーロインステーキやルナル地方の伝統料理も載っている。種類が多いから、迷ってしまいそうだ。
5分ほどしてから、オレはルナル地方の湯上り御前を選び、ライラはグリルチキンセットを選んだ。
「お待たせいたしました!」
注文してから20分ほどして、料理が運ばれてきた。
運んできたのは、給仕の従業員ではなく、料理人の制服を着た調理担当の銀狐族だった。
「ルナル地方の湯上り御前に、グリルチキンセットでございます」
ワゴンから、オレたちの前に料理が置かれていく。
他のレストランでは、よほど高級なところでもない限り、調理担当が料理を運んでくることはない。
オレとライラは驚きつつも、運ばれてきた料理に目を奪われた。
「ご注文、誠にありがとうございました。ごゆっくりと、お楽しみください」
調理担当の銀狐族は、一礼をするとワゴンを押して去っていく。
「ビートくん、まるで高級レストランね」
「うん。温泉旅館でここまでのサービスは、なかなか無いね」
オレはそう云うと、カトラリーを手にした。
「これは、味も期待できそうだ!」
「うん、もう待ちきれないよぉ!」
ライラも、フォークとナイフを手にした。
料理の味は、期待以上だった。
これまでに食べてきたどの温泉旅館の食事よりも、美味しく感じられた。いや、実際に美味しかった。
そして量も、多すぎず少なすぎずで、ちょうど腹八分目になった。
オレたちは大満足で、夕食を終えた。
「夕食は、いかがでしたでしょうか?」
部屋に近づいてきたころ、オレたちはコウと再会した。
「とっても美味しかったよ! 肉料理も多くて、大満足!!」
「それは良かったです」
ライラの感想に、コウは嬉しそうに答える。
「喜んでもらえて何よりです。私たち銀狐族も肉料理は大好きなので、肉料理には自信があるんです。明日の朝食も、楽しみにしていてくださいね」
「はいっ!」
コウと共に部屋に戻ると、コウはベッドを整えたことを伝えてきた。
ベッドを確認すると、確かに寝る準備が整っている。
「あの……コウさん」
「はい、なんでしょうか?」
「いくらなんでも……ここまでやってくれるなんて、大変じゃないですか?」
オレは、コウに訪ねた。
宿泊料金が高額ではないとはいえ、コウはオレたちの身の回りの世話の、ほとんどを行ってくれた。このままでは、コウが過労で倒れてしまうのではないかと、オレは心配になった。オレたちと年齢的にも変わらない。なんだか、少しずつ悪い気がしていた。
「お気遣いいただき、ありがとうございます」
コウはオレたちに、丁寧に一礼をした。
「実はこれは、私たち銀狐族を守るためでもあります」
「銀狐族を守るため……?」
「どういうことなの?」
オレたちは、首を傾げた。
銀狐族は、どこかと戦っているのだろうか?
コウの言葉の意味が分からないでいると、コウが再び口を開いた。
「私たち銀狐族は、このルナル地方のフーにしかいない、珍しい種族でもあります。なので時折、奴隷狩りが狙ってくることがあるんです。もしもそうなったら、狐月庵の運営に関わります。なのでフーに立ち寄る旅人の方を、丁重におもてなししています」
「旅人を丁重にもてなすことが、奴隷狩りとどう関係するの?」
ライラが問うと、コウは答えた。
「私たち銀狐族に、良いイメージを持っていただくためです。銀狐族の印象が良くなりましたら、私たち銀狐族のことを悪く云う人はいなくなります。悪く云う人がいなくなりましたら、奴隷狩りに私たちのことを話す人もいなくなるます。そうすることで、奴隷狩りから身を守るんです」
「なるほどね……!」
オレは納得して頷いた。
「そういうことなら、僕たちも協力します」
「わたしも、珍しい獣人族なの。銀狼族といって、北大陸の奥地で暮らしていて、奴隷として高値で取引されることもあるわ。コウちゃんの気持ち、よく分かるよ!」
「ありがとうございます!」
コウは再び、一礼をした。
その後、オレたちはコウを見送ってから、ベッドに入った。
これからは、夜の時間だ。
ライラとオレは、遅くまで2人で楽しんでいた。
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