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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

そこは彼女の指定席

作者: 我武者羅

 昼下がりの駅のホームに、人はまばら。

 そのなかを歩くスーツの青年が、一人。

 ぼうっとしている彼の顔に、とぼとぼと歩くその足に、覇気はない。


 なにせ彼は帰路の最中。

 消え入りそうなその姿はあまりにらしからぬ姿だと、懸念を抱いた上司に追い返されたのだ。


 彼にしても、そうなったのはうっすらとだが、自覚がある。


 以前でも自覚していた受かれようからすれば、その落差は明らかだと、自嘲した。


 ──恋人が心配なのはわかるんだがな、お前が倒れちゃ意味がない。


 上司にそう言われては首を縦に振るしかなく、数時間も早い電車におとなしく乗って戻ってきた。


 情けなさからか、陰鬱な気分が彼を押し付けてくる。

 駅に降り立った彼がぼんやり周囲を見回すと、その目に止まったのは構内のとあるベンチ。

 ──その、脇。

 なにもない、真新しいセメント跡のあるその場にハエが一匹飛んでいるのを見て、はっと彼の脳裏に思い出すものがあった。


 今そこにあるのは、四席の真新しいベンチ。しばらく前に設置されたものだが、以前にも古いベンチはあった。


 ずいぶんと古ぼけた()()のベンチがあったのだ。

 通勤客が行きかう、早朝の騒がしい駅のホームの中。

 ベンチの端の一席が、”彼女”の特等席だった。


 つかの間の休憩をしているのだろうか、そっと手を揃えて小さく座る彼女の姿は、誰も気を止めない通勤客の間でもよく知られていた。

 見た目の美しさ、というのもいくらかはあっただろう。その所作の良さもまた、眼をひき付ける一因となる。


 だがもっとも寄与していたのは、彼女の特性だろう。

 なにせ彼女は、動物に好かれていた。

 彼女がその席に座っていると、フラりと猫やら小動物が歩いたり飛んできて、彼女のそばにとやって来るのだ。


 そうしてやって来た猫やらをそっとつついてあげるその姿は、駅の名物としてよく知られていた。


 彼にしてみてもその彼女の姿は、よく覚えている。

 大雨降りしきるホームのなか、ずぶ濡れの子猫をそっとその腕に抱き抱え、撫で付けていた姿は、まゆいまでの慈愛の心に満ち溢れていたものだ。



 そんな彼女の姿は、ある頃を境に見なくなった。桜が舞う頃のことだったと思う。


 平日の朝は欠かさず指定席にいた彼女の姿がないことは、彼の心をたしかに揺らした。

 なんでいないんだと、寂しく思ったものだ。


 けれどもまわりの通勤客は、そんなこと欠片も気にはしない。何せただの風景だったのだから。

 通り道で目にして、わずかに心を揺らすだけ。

 そんなものだから、失くなったとしても気にした様子もなく、通りすぎていく。


 動物たちは、気にしていたのだろう。よほどの大事だったのかもしれない。

 彼女がいなくともいつのまにあら動物がやって来て、そのベンチや周囲に居座るようになった。

 彼女の座っていた椅子は、動物の寄り合い場のようなものになっていた。


 出勤の時には、そこにはいつも何かしらの動物を見かけるのだ。


 しばらくは、ハトがよくそのベンチに止まっていた。

 いつもそこらをうろつく、町の鳥。

 そこらの人たちに邪魔だと追い払われることも、多々ある。


 けれどもそうなると、どこか電光掲示板やら柱やら、そこらに止まってそのベンチをじっと見つめているのだ。


 そんな妙な光景は、人々の関心を大いにひいた。

 ベンチにまとわりつくハトを写した映像は、あっというまにSNSに広がり、拡散されていった。


 猫が我が物顔で占領するようになってから、余計だった。

 よりいっそうの注目を集めるようになった。


 器のようにゆるやかなカーブを描くベンチに、どこからかやってきた猫が収まる、その姿。

 取材も来た。カメラもたくさん向けられた。多くの人に困惑して猫を追い払っていた駅員も、いつのまにか流れにのって、名物だとかともてはやす。

 グッズを作り、展示を設けて、案内を用意して、とよほどの注力ぶりもあって、大層な盛り上がりを見せていたものだ。


 けれどもそれはあまり長くは続かなかった。



 ベンチに纏わりつくなかに、いつのまにやらカラスが混じるようになっていた。

 カラスもたくさん町に暮らしているし、彼女がいたころにもやって来ているから、別におかしなことではない。


 人々も最初は、カラスともたわむれる猫の姿を微笑ましく見ていたものだ

 それでもカラスは嫌われもの。不気味に思う人たちも多くいる。


 そしてその予感は、的中した。



 気づけば、その椅子にはカラスしかいなくなっていた。ガァ、ガァとけたたましい罵声のような鳴き声が、毎朝ベンチに降りかかる。

 警戒しているようなその反応に、不気味に感じてしまうものも多くいた。

 そうして人も離れていっては、人々の興味も急速に失われていく。


 駅員もあのちやほやぶりが忘れられないのだろうか。カラスを追い払うようになっていた。

 鷹匠までお呼び出していたが、効果はさほどもなし。

 払っても払っても、カラスが周囲にまとわりつく。


 ガア、ガアとやかましい声が構内に響いて、陰気で不気味な気配を醸し出す。


 いつのまにか取材も観光客も来なくなった。来るのはいつも通りの通勤客くらいなもの。


 ベンチは変わらず使われているが、それでもその椅子だけは、どこか敬遠されがちである。


 構内の雰囲気も悪くなって切羽詰まった駅員らは、ならばと打開策にうってでた。

 

 


 それこそが、この目の前にあるもの。美麗、無傷のそれは、新品のベンチである。

 改装だと言って、ベンチを丸々取り替えたのだ。


 形はまるで石を組み合わせたように無骨になっていたし、パステルな緑から暖かみのある木目調へと様々な変更が加えられていた。


 一番の変更は、その数。以前は五列揃っていたベンチは、一ヶ所だけさりげなく四列に減っていた。

 いままでさんざん持て囃されていたあの椅子だけが、ひっそりと消えていた。


 そのせいか猫もハトもカラスも、そのベンチの周りに集まることはなくなった。

 通勤客も駅員もみんなこれまでの沸き様を忘れて、電車を待つ日々が続く。


 そして、異変はやはり静かに現れた。


 ぷぅん、とハエが飛ぶのだ。

 迷いこんだわずらわしいものと、最初はあしらうだけだった。けれども、数が違うことに気づく。


 二匹、五匹、十数匹、そして、たくさん。

 明らかに多くのハエが、駅のホームを飛びかっている。


 煩わしく思いやって来るほうを向いて、その視線の先には構内にできたハエ溜まりがあった。


 いったいどんな餌があるのだろう。けれども、そこにはなにもない。

 その隣に真新しいベンチがあるだけだ。


 かつてそこにあったのは、古いベンチの一席。

 改装でそっと消え去っていたあの席のあった場所に、ハエがたかっていた。


 なにもない場所にハエが集う、奇っ怪な光景。

 駅員があの手この手で追い払っても、ハエはたかってくる。


 あまりの光景に、人々は理解を拒む。恐れて離れ、朝方の混雑するホームでも、そこだけはぽっかりと人も寄らず空白を作っていた。




 こうして昼下がりに彼が見ても、ハエは相も変わらず、虚空にたかっている。

 屋根の梁から下げられたハエトリ紙はもはや黒白のまだらを描いていて、気色悪いことこの上ない。


 

 そのおぞましい景色を横目に、駅を離れた彼が向かったのは病院。

 閑静な住宅地のなか、でんと構えるその大病院を、彼は勝手知ったる顔ですいすい奥へ進んでいく。


 窓際、穏やかな日差しのなかでベッドに横たわる女性が一人。

 一年ほど前に逢えた、彼の恋人。

 ただただ眠り続ける彼女の顔は、血色もよく穏やかなもの。頬にかかる髪をそっと整えて、彼はようやく笑った。


 そして、今日もまた語りかける。

 君の席は今日も盛況だったよ、と。


 彼女は今日も目覚めない。そばでは機械が、ずいぶんとゆっくりで、穏やかな波を見せていた。

 彼女は今日も、ここにはいない。


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