遠すぎた基地
敗残かどうかはともかく、ア国の基地を強襲した作戦から一夜明けて、生き残ったユニットがまばらに集まった。
どの小隊もバラバラだ。
珍しいところでは、帰路で墜落した爆撃機のクルーの一行だ。56型など装甲された棺桶がスタンダートの中で自前の足で砂漠の横断は大変だろうと、タンクデサントで剥き出しだ。
56型に一度乗り込めば脱出は不可能であり許されない。だが代わりに、1LDKの許可はあった。そんな大層なものではないが、ネンドは歩く我が家での生活にも慣れた。
少なくとも、貧民窟に拉致されて、親が身代金を払うまで腕の皮を削ぎ落とされる場所よりは遥かにマシだろう。
栄養剤をチューブから飲みながら、排泄物は全て循環システムと直結したものに直接吸われた。人間そのものが、機械の中に取り込まれている。
機械と人間の雑種だ。
人間であるかはわからないが、人間扱いはされない。かといって機械にもなりきれない。
「はぁ……」
捕虜は、我儘に騒いでいた。
ネンドは溜め息を吐いた。
どうして私たちがこんな目に合わなければいけないのか。悪いことを何もしていないのに。私たちを守れ、私たちを安全な場所の連れて行け。そんな風な命令だ。ネンドは、そんな戯言を一々聞いてやるつもりはなかったが、言葉は勝手の耳に入ってくる。耳を塞いでも、だ。
嫌な欠陥だ。
「連中、助けられたことに対して何か、欠片でも恩義とか感じないものなのか」
『無理ですね』
隣のアゲハコが、ピシャリと言い切った。
「どうしてだ?」
ネンドがそう訊き返せば、アゲハコはこう答えた。『小隊長の幼少時代てどんなでした?』とだ。
ネンドはそう言われて、昔のことを思い出した。特別に昔のことではないが、それさえも随分と遠くに感じている自分がいた。
良い思い出はない。
ストリートギャングみたいな連中がいなければ、生き残れないような世界だ。ただ、旧帝国人としては、比較的恵まれていた。何せ、言葉も話せるか怪しい時代から、選別と称しての儀式を受けなくて済んだ。四肢は満足にあるし、過不足なく動かせる。
そんなに血を流してはいない。
「平和だな」
『その平和に、何人か殺しはありますか。小隊長が殺した人間です』
「そりゃーー」
勿論、とネンドは即答した。彼はそれが、酷く異常であることを微塵も感じてはいなかった。
『ボンボンの小隊長でも、ありえないですからね、その日常は』
普通は、殺すことが日常な野蛮な生活は、文明人はしないそうです。と、アゲハコは淡々だ。
ゲストは文句を続けた。
死にかけていた、とは、忘れているようだ。あるいは、拷問も尋問も何も無かったので、感覚が薄いのだろうか。元捕虜だったジャーナリストの生き残りは、肉体的にはほとんど無傷だ。救出のとき、何人か死んだが、あまりそれを感じさせない。まだ、同僚が死んだ感覚が無いのだろう。総じて、何もわかっていない。
それが、捕虜へのネンドの感想だ。
「まあ……後は、基地に帰るだけだ。無事に帰れるかはわからないがな」
『警戒には気をつけています。ですが……』
「続けてくれ。攻撃ヘリコプターに襲われて、全滅では悲しい結末だ」
片目は、空を向いていた。
既に夜が明けている。
燃え上がる基地で赤い夜の代わりに、どんよりと灰色の雲の底が平らに広がっている。雨は降りそうにないが、太陽が遮られて少し暗かった。
乾いた空気が遠くの丘まで見透かしたときと違い、今は水分が多いのだろう。滲んだ。
『フレアレベル、いまだ高い状態です』
「ラジオもレーダーも駄目か」
似たような荒涼とした景色が続いた。
砂の高低がほとんどの環境だ。
動く砂丘のせいでどこでも視界が切られた。
地図は無意味だ。
砂丘はその日の風の気分で、高度も位置も変わった。
『小隊長』
退屈な道中だ。アゲハコが暇潰しに無線を開いた。フレアレベルが高く、極短距離を雑音に沈んだ声が届いた。
『ボンボンが命を張って、戦地に立つというのはどういう精神なのですか』
「……嫌味か?」
『いえ、純粋な気持ちです』
ネンドは、言うべきことではない、と考えて別の話題にした。
射程外だが、砂丘の上で何かが見ていた。
フタツアシラクダではなく、もっと金属質で、凶暴な二足歩行だ。太古の絶滅した、恐竜が似ていた。シャークマウスがペイントされていて、頭のセンサーを忙しなく回している。尻尾が伸び、逆の首の下には、銃座のような顎だ。
追いつかれた、面倒だな、と、ネンドは考えた。
見られているいじょう、どこかしらに報告を出されている。
「襲撃が来るな」
自然、陣形が全周警戒に変わりつつあった。愚鈍が古参であったなら、単なる幸運屋でしかない。運だけが良かった人間は、この中にはいなかったようだが。
もう一度、砂丘を見たときには、1機ではなく20機に影が増えていた。ネンドが想定していたよりも、ずっと早く、襲撃が始まった。
『走れ!』
剥き出しの人間は56型に張り付いた。エンジンがオイルを焼きながら、火を吹いて回転数を上げた。
ネンドはスコープを回す。
砂丘を駈け下るのは、スタンドアローンタイプらしい無人機が10機だ。凄まじく速い。2本脚で走行しているのに、装輪の56型と同レベルであり、瞬発力では凌駕している。鋭敏なターンを刻んで距離を詰めていた。
それに、タイヤのように絶えず接していないからこそ、地形の凹凸に飛んで影響が小さい。
「逃げるのは無理か。悲しくなる」
いつもと同じだ。
最優先は何だ。
人質を生かして連れ帰ること。数は、この際、何人でもいいだろう。どのみち、既に数人死んでいる。誤差だ。
軍人でさえ、民間人の為に死ねと、政治家から不条理に命令される。
旧帝国人ならば、その扱いも相応だ。
ならば、いつもと同じように。
ネンドは、同格の小隊長に命令した。命令と言えるようなものでもなかったが。
「変わりはない。いつもと同じように」
『わかった。いつもと同じく捨て駒だ』
『人質を積んだ56と、それの小隊は基地に一目散ね。徒歩の連中も邪魔だから連れて行って』
『さて、鰐野郎をディナーにしようか』
『恐竜を絶滅させるぞ』
寄せ集めの56型が、2つに分かれた。
ネンドは迎撃組だ。
『イ国の無人兵器です。市街地での対人掃討を主目的に開発された小型ロボットですが、装甲歩兵までを撃破目的に武装しています。56型を正面から撃ち抜けるのでご注意を』
グロウラプター。
と、呼ぶのだそうだ。
(あぁ、くそッ、くそッ)
二足歩行の死神が、嗤っているようなペイントを揺さぶって追ってきた。ア国の新型無人兵器だ。
電磁障害のレベルは高い
遠隔操縦ではないのだ。
この無人機は、完全な自律型であることは疑いようがない。
途轍もなく面倒な敵と考えて正しかった。
「ここは密集した市街地じゃないんだ」
ネンドは40mmを指向した。
砂漠の長距離砲戦だ。
DOM!DOM!DOM!
緩い弓なりに40mm砲弾が飛ぶ姿を、ネンドは見た。
「まるで幽霊みたいな気持ち悪い動きを……」
望遠レンズを覗くネンドに冷や汗が流れた。
グロウラプターは、40mmの連射を躱した。それだけならば、外れたということで次は修正すればいい。違う。グロウラプターは見て、躱した。それは確率論とかの話ではない。グロウラプターは体の動きに段丘をつけて、背中で擦るように40mm機関砲弾を跳弾させ、直撃しかけた尻尾を、ビデオの早送りのように寸前で弾道から外した。
56型と突撃してきたグロウラプターの近接戦だ。
ネンドの56型のアームが、グロウラプターのセンサーが固まる頭を叩き潰す。
機械人同士での白兵戦と銃撃。
グロウラプターは機械というよりは生き物であるように、跳ねた。両脚を揃えて突き出して。56型に取り付いた。友軍機がこれを剥がそうと揉み合うが、まばたきの時間もなく、グロウラプターの尾が鉄槌になった。棺桶のコクピットが叩き潰された。ひび割れた鉄塊から肉混じりの赤が吹き出して、慣性のままに転げた。
UGVが擲弾をばら撒く。
砂塵と金属片が太陽に照らされ、キラキラ光った。
ーー無人機を全て破壊したとき。
ネンド以外の友軍は生き残ってはいなかった。
アゲハコも含めてだ。
56型の近接白兵戦の中で逸れたアゲハコの56型は、ネンドのすぐ近くで屍を晒していた。機関砲弾が、コクピットの外殻を吹き飛ばし、中にいる彼女のパーツの多くをも持ち去っていた。焼夷弾で焼けたアゲハコの体は、半ば溶接されているようだ。
「……」
呆気ないものだ。
ネンドの目の前で、アゲハコが死にかけていた。ほぼ、死んでいた。腹一杯の薬と最高の医者と最高級の医療機械があったとても助からない。
「ケーキが最後に食べたいとは思っても、自分がケーキになるなんて、考え、なかった。笑えますかね」
アゲハコは……死ぬしかなかった。
ネンドが何度も見てきた光景と同じだ。目の前で死のうとしていて、それを見ている以外の意味は何もない。
56型の溶接されたコクピットからは、手を伸ばすことも許されない、
剥き出しのアゲハコがいるのにだ。
謝ることも。
アゲハコが死んだ。
彼女は、動かなかった。
「……」
ネンドにとって多くの、戦友と戦友かわからない仲間が死んでいた。アゲハコだけではない。
前線基地の方角から、黒煙があがっている。ア国の報復だろうか。弾薬庫か燃料ちょぞうこが爆発したのか、巨大な黒煙だ。
ネンドは、逃げることができた。
だが、彼の脚であり56型は、戦場に帰っていく。他に行き場所など無いのだ。