偽りと楽園
ネンドには、約束させられた約束がある。
例え9割死んでも上位種には歯向かうな。
時には非情な決断も迷うな。
醜く死んだ戦友も手厚く葬れ。
略奪では女を抱くな。
殴られたら殴り返せ。
言葉に臆しても黙ることはするな。
自分の生き汚さを忘れるな。
善人の顔ほど信じるな。
恐れることを怖がるな。
苦痛に耐えられる精神を持て。
考えることを絶対に止めるな。
全てアゲハコから教えられたものだ。ネンドは反芻を繰り返した。全てを実行できているわけではない。上位種に反抗的な顔をして、10日間顔を腫らしたし、向こう側から出会いにやってくるせいで、ターゲットにされ掛けていた。腐った戦友を前に吐いただけでなく触ることができなかった。
死体を片付け、仲間を踏み潰してでも前進し、野垂れ死にせずに基地へ帰ってくれば、やっと生きることを許されて解放される。
そんな繰り返し。
「はぁ……」
恩給に変わった戦友の墓を、56型で幾つも掘った。
旧帝国人でも死ねば恩給になれた。
もっとも、昨今の人権団体内の過激派でも、この恩給の扱いについては内ゲバが続いた。恩給をくれてやったり、停止したり。大体は時の政権が誰に媚びを売りたいか次第で状況はコロコロ変わる。
今日もまた、沢山の戦友が埋められた。
金を積んだ旧帝国人であれば、補充を持ってくる輸送機に貨物として、塩漬けで出荷された。家族の墓に入りたいからというよりは、死んだ後に、上位種の小遣いに不正受給されるくらいなら、絶対にこの土地に骨を埋めたくなかった連中だ。
送り届けられた死体に口はない。海に捨てられるか、埋め立てゴミとしてすてるかで、生前に報酬を受け取った奴はボロ儲けなのだそうだ。
見上げれば、防空塔が見ていた。
前線基地の防空塔が、空ではなく地上にセンサーの目を向けた。ネンドはタワーが、上空からの爆撃とまでは言わないが、迫撃砲やロケットの撃ち込みから守ってくれる存在だと思っていた。だが、間違いだった。タワーは、脱走や反乱の動きをした旧帝国人を鎮圧する看守なのだ。
全ての味方が、背中を守ってくれるわけではない。これもまたネンドは、アゲハコから教えられた。
アゲハコに四六時中手を引かれているネンドは、今日は指揮官クラブへ職場体験だ。
指揮官クラブは、小隊長以上の隊長クラスが集まる場所だ。それは兵舎ではなく、ラジオ局を利用した一角だ。太陽フレアのせいで電波環境が頻繁に悪化する。あまり使われないからだ。
「11の隊長はポーカー得意か?」
「ポーカーフェイスは鍛えられたよ。顔がパンパンに膨れてるだろ」
「はっはっー。気に入ったぞ」
「此処にいるのは大隊の3分の1の顔触れだ。お互いを覚えておけ。ミーティングでも顔を合わせることが多いぞ。勿論、生きていればだがな」
「安心しな。顔は多くても明日は半分だ。少ない顔だけ覚えれば済む」
「減りはしても早々増えんからな!」
資材から作られた、員数外の机や椅子に腰掛けているのは、書類上はネンドと同じ立場にいる連中だ。全員が小隊を率いている隊長だ。ただし、少なくともネンドよりも生き延びてきた、という前書きが付く。
第12突撃小隊のシウは顔の左半分が醜く焼けていて、左目は白濁していた。装薬の引火で燃えた戦車で焼かれたが、首から上の右半分だけは奇跡的に焼けなかった。マスクでいつも顔を隠している。だが本当に隠したいのは手で、手袋の中は誰も知らない。56型にシャークマウスのペイントだ。
第13突撃小隊のギイチはギョロ目だ。丸く大きな目をいつも見開いているように、力んでいた。ただ、そう見えるだけで別にやりたくて見開いているわけではないらしい。瞼が溶けて目を覆ったとき、手術で除去して以来の後遺症。眠らない男の異名だが、寝るときは普通に目を閉じる。エンブレムはヘルメットを被ったハリネズミだ。
第14突撃小隊のスイはグラマラスガール。必ず左手の義手で握手をして悪戯をするが、利き手は左手があった頃から右手だ。マーメイドかセイレーンの刺青を腕に入れていて、機体のエンブレムも同様だ。
全員が旧帝国人だ。少なくとも、4代遡っても旧帝国人だ。痛みと泥の味を確かめるような人生を、今日までは生き残っている。
そんな先任で先輩との、指揮官クラブへのお誘いは初めてだ。ネンドも少し戸惑った。全員が、初めて前線基地にネンドが足をつけたとき、他の新兵を引き回した先輩方として見た顔だ。
通算3度の実戦経験をえて、ネンドもそれなりの戦友へと昇格した、というのが表向きの理由だ。
オアシスのパトロールと監視の定期で2回。119という犠牲を出したが、損失は計算に入れられてはいない。それと、前線基地を爆撃した過激派の追撃戦でテクニカル4両を撃破。実戦経験は3回となる。細やかな戦果もだ。
ネンドには、先任たちの計算式はわからない。だが何か、認められる最低条件に達したのだろうということはわかった。ただ、アゲハコがいなければ、此処に来る前に死んでいただろう。
「優秀すぎる、過保護な部下のおかげです」
ネンドは考えずに口に出していた。内心では渋い顔だ。アゲハコが隣で聞いていれば「考えなしの発言で減点5」だろうか。
「それが分かっていればいい。良い指揮官は、犠牲を1人も出さない存在ではない」
ギイチが、異様に開かれた目玉でネンドを見た。ネンドは睨まれたような視線に、体を竦めた。
怖い見た目は苦手だ。ネンドは、内心が良いからとかの言い訳で嘘を吐けない。見た目が怖いと、やはり怖いものだ。ギイチは特にだ。ギョロついた目は、ただ、大きいのではない。
何よりも、ネンドはこの指揮官クラブの中で唯一、酒も煙草もできない男ゆえに、どこか居心地の悪さを感じた。
テーブルの上に並ぶビール瓶は、どこからかの調達品だ。正規の手段では、嗜好品と呼べるものは一切、旧帝国人には支給されない。
アゲハコと同じように、指揮官クラブの誰か、あるいは全員が、裏のルートを開拓しているのだろう。
「ビールデモ飲みながらと思っていたが、今日は早速で本題に入ろう」
12小隊のシウが、ビールを一口呷りながら椅子を軋ませた。焼け爛れた顔が愛嬌に歪む。
「先ずは、通算3度も実戦を生き延びたお祝いだ。とは言っても、プレゼントはまだまだお預けだがな。そいつは、5回の勝利にとっておく」
「前置きがあるじゃないか」
「ギイチ、今は口と目玉を縫ってろ」
「ヒデェ……」
「と言うわけで」と、シウは、紙と鉛筆を出した。質の悪い、ガサついた、純白からは遠い染みたような紙だ。
「11小隊の56にペイントするものを描いてみろ。小隊全車共通のをだ。カッコよく仕上げてやるぞ。どんな下手でも、それなりにしてやる。アメーバが立派なハリネズミになったようにな」
「はははーー俺か!?」
ギイチが叫んでいた。
だが、ネンドはそれどころではない。正直、他の小隊が描いているようなエンブレムには憧れていた。だがまさか、描いてもらえるとは思わなかった。
「ありがとうございます。ですが、そうですね、悩みます」
「だろうな、とは思っていた」
ギイチはよく笑い声をあげる。
しかし、シウは違った。焼けた顔が、ゆっくりと引き攣るように動いた。石が笑った。そんな雰囲気がシウにあった。ネンドはその感情の動きに違和感を感じた。感情を、そう思ったからそういう顔に命令しているように見えたのだ。
「真面目に考えておけ。我々には、旧帝国人には団結が必要だ。どんな旧帝国人でも、纏めることができる目標を与えてやれ」
そういうものなのか、とネンドは思った。深く考えずに答えようとして、慌てて考えた。
シウが言っている、言葉の裏をだ。難しく考えた。先輩というのは、後輩を虐めて上下関係を叩き込むものだ。善人を信じるな。自分が善人になるとは、無限に奉仕する奴隷だ。アゲハコの教えを思い出す。同時に、それが本当に正しいのかも、も、だ。
アゲハコは隣にいない。ネンドが考えて、答えなければいけない。どんなに間違った答えだとしてもだ。決断が必ずしなければならないのだ。
「最高のものをとは言えませんが、他の小隊長よりも、カッコよくしていただけると思えるものを考えます」
簡単なパーティが開かれた。当初の通り、3度の戦いに従事した祝いだ。ビールや煙草の代わりに、甘味が両手いっぱいに持たされた。
調達は14小隊のスイが担ったそうだ。調達ルートは極秘。ただ親切なことにも、全部を1人で食べるな、という言葉をいただいた。
ネンドは親切に従って、半分を指揮官クラブに残した。残りの半分も、整備や前線基地の人間……アゲハコも含まれている……とも分け合うつもりだ。何事も気前よくあれ、と、ネンドは教えられている。ケチケチしている人間よりは、色々と繋がりを用意できる性格のほうがモテるものだ。
「ふぅ……」
指揮官クラブから帰ったネンドは、部屋でベッドを軋ませた。
アゲハコはいないので1人だ。
第11突撃小隊。ネンドの部下と預けられた命だ。今はアゲハコだけであるし、死ねと命令して死ぬような女ではなかった。
ネンドは……力か資産を持て、と口を酸っぱく言われていた。生き残るとはそういうことだとも。生き延びる為には、生きることは苦しい。だが本当のそれを、まだネンドは知らない。ネンドも自覚していた。最初の配属で、アゲハコと会い、最初の戦いで119を失った。だが、本当はそれだけでは済まないのだ。
各小隊長は味方であるが、同時に敵だ。
気を抜いてはいけない。旧帝国人は、上位種以外にも、『旧帝国人自身が天敵になる』のだ。軍事に奉仕する前にも後にも、生き延びてきた連中だ。容赦なく殺しをするし、奪う。法に守られないなら、強力な鉄の掟による自治で生かしてきたということだ。
ネンドも、そうならなければいけない。
他の隊長のようにだ。
仲間を多く作る。仲間を選別する目を持つ。勉強するべきこと、やるべきことは山積みだ。2週間で1人前なんて奇跡はありえない。
Kiii……。
物音だ。摺り足で誰かが近づいている。パッタ、パッタ、と布団をリズムよく叩いた。何か来る。悪戯好きの悪巧みには、笑って過ごせる安全地帯はない。
鉛筆を何本か纏めて握り込んだ。
右眼を隠す。
片方だけが真っ暗な世界だ。
天井の照明がチラついて、やがて完全に落ちた。閉じていた右眼を開ければ、夜にはまだ不慣れだが。窓から差し込む、影の多い夜空の淡い光の中に動く影が見えた。
予想していた。
ベッドから鉛筆を武器に飛び起きた。
それは、目が飛び出した異形の頭だ。
「ごふっ」
何かが、ネンドの顎を打った。顎が砕けるような衝撃に舌を噛みそうになった。脳が震えた。何か武器を持っている。
速い。
何も分からなかった。
待っていれば殴り殺されるのは明白だ。やられる前にやり返せ。鉛筆を握る腕で、拳で、殴ろうとした。
だが、空振り。
あっさりと出した手首を掴まれ、関節に負担を掛けられた。曲がらない角度へ押される激痛。押し潰されるかと思う握力が手首に集中した。ネンドが、自分でもわかるほどの情けない悲鳴が出た。武器にと選んだ鉛筆は、拳の上から、その相手の大きな掌に掴まれ、握らされて割れた。ササクレの立った破片が刺さって血が流れた。
Hyu!
風を切る音で、今度は左のコメカミに当たった。次に鳩尾に足裏が叩き込まれ、ネンドの体が意思を無視して呼吸を停止した。反射的に体は前に屈み、顔面にまた、膝だ。
「ぐっ!」
鼻血が流れている。勢いは激しい。
血は、どうでもいい。
恐ろしくしなやかな刺客だ。
一方的に、しかも数度殴られ蹴られた、それだけでもう、ネンドの脚は限界に笑っていた。死にたい、このまま死のう。そう思えるだけの苦痛だ。息が思うように吸えない。
「ふっ!ふっ!」
ネンドは肺が勝手に空気を吐くことを黙らせて、息を吸い込む。
刺客は待ってはくれない。
痛くても苦しくても、目を外さない。
考えを止めてはいけない。
刺客の膝が、脇腹を狙って振るわれた。
今までの蹴りより、遥かに甘い。蹴られ、肋骨の悲鳴が聞こえる衝撃だ。だが、ネンドはこの脚を捕まえた。
「癖の悪い足めッ!」
叫び、刺客の脚を掴んで振り回す。壁に叩きつけた。薄い壁はたちまち瓦礫になり、隣部屋との仕切りのそれを破壊した。
「踏み潰してやる!」
勇んで踏み込んだネンドを待っていたのは、情け容赦のない報復だった。
「酷い顔ですね」
「ほっとけ」
アゲハコが帰ってきた。破壊された部屋について、彼女は何も言わなかった。