知らない顔
第11突撃小隊に命令されたのは、哨戒任務とセットにされた監視。ネンドが小隊長だ。部下には、アゲハコ、それともう一人、119だ。
ネンドは119をよくは知らない。小隊メンバーは同室で寝食を共にするが、119はいつも頭を隠し、しかml喋れないのだ。アゲハコの話では、顔と喉を生きたまま焼かれたからだ。
影が僅かに、不自然に揺らいだ。蜃気楼のようなものだ。
高精度センサーが、駱駝の群れを捉えた。
二本足で歩き、オアシスで水を飲んでいる群れの中で1頭だけが見張りに、忙しなく周囲を気にしていた。
「喉が渇いた」
第11突撃小隊の56型装輪工作車は、オアシス1の監視活動に従事していた。貴重な水源の1つであり、これを守ることは前線基地の維持に必要不可欠だ。水が無ければ、人間は生きてはいけない。
『113、無駄口を叩くことは奨励しません』
118からの警告が頭蓋を震わせた。ネンドの次に出そうと思っていた言葉を強制的に飲み込まされた。118、アゲハコに逆らえば冗談なしに40mmが上半身と下半身をサヨナラさせられる。ネンドは本気でそう思っていた。
先の実車訓練は、ネンドのトラウマものだ。
だが、人間扱いをされない世界よりはまだ、いや、楽園なのだろうとも考えた。ネンドやアゲハコ、そして3人目である第11突撃小隊の戦友119と同じ種族は、世界の全てと裏切りの同族から嫌われていた。
先の、半世紀よりも遥かに古い大戦の影響だ。
明白な、差別対象種族というヤツだ。
産まれながらに親指と人差し指の間……両方ともだ……にマイクロチップを埋め込まれ、どちらかの目の下にバーコートを入れられる。昔は耳にタグがピアスされていた。どれも、上位種が下位種を管理する為のものだ。
『ネンド、退屈なのですか?』
「いえ……」
ネンドは内心で119に助けを求めた。だが頼りにならない戦友は沈黙を貫いた。喋れないのだから仕方がない。だが、補助脳を介した会話は可能な筈だ。カタコトで、しかも出来損ないの自動翻訳レベルではあるが。つまり、119は余計なことを挟まないという選択をした。
『まあいいですが。定点観測は退屈と相場が決まっています。無人兵器か、無人の監視所、衛星でも使えばいいのに、我らが劣等種を投じるのは上位存在のお歴々が性悪の、神とか言うペテン師で詐欺師の戯言の化身だからでしょう』
ペラペラと問題発言だ。
「大丈夫ですか、サーチャーにワードを拾われたら……」
『部下に敬語を使う。不心得でマイナス3点』
「……アゲハコ軍曹、感謝する」
どんな時でも感謝の精神。ネンドの思考回路は、反骨と恐怖で均衡を保った。冷静さを失ったとアゲハコに思わせれば、減点5だ。ちなみに10点を晴れて貯めると、実弾訓練が待っていた。ネンドは死ぬ。
56型は足を伏せて腹這いに、光学迷彩で身を隠している。これはメタマテリアルを利用した、光の波長を破壊するスクリーンだ。熱や光学では、酷く限定的な手段でしか目撃は難しい。
「しかし熱光学スクリーンなんて、よく手に入ったものだ。外国の技術で開発されていたことは知っていたが、まさか56型に付けられるとは思わなかった」
『旧帝国には色々と、裏が生きていますので』
「聞かないほうが良さそうだ」
『それが身の為でしょう』
旧帝国人。
これが、ネンド、アゲハコ、119の種族だ。同時に、世界に対する100年の奉仕を大戦の敗北で押し付けられた最下層の差別階級である。奉仕とは、軍事力の供出。兵器の独自開発さえも禁じられ、他国の管理下にある兵器の部品として生産される存在だ。
ネンドの乗る56型も、かつて旧帝国人であったが、独立国家として袂を割ったラ国が開発した、旧帝国人専用多目的汎用兵器だ。
第11突撃小隊とは、そう言う部隊だ。
「アゲハコ軍曹はツテが多いのだな」
『小隊長殿。志願兵になる旧帝国人には、戦場で奉仕すれば、かつて虐げた種族にも許されると考えるものがいるそうですが、ありえないことなのですよ。生き残る工夫が無ければ、味方から殺されます。覚えておいてください』
味方から殺されるとは、どう言うことか。
ネンドの疑問は、聞き取られることは無かった。
オアシスで、どこか牧歌的に水を飲んでいた駱駝が手足を使って一斉に走り出した。
ーー敵だ。
「見つけた。距離900m、2時の方向の砂丘から出たテクニカル2両を確認。1両は10mm以上の機関銃を装備している。もう1両には100mm級の無反動砲だ。分乗しているのは民兵らしき男。小火器で全員が武装してる。数は、機関銃の車へ5、無反動砲の車に3。全部で8人だ」
大した敵ではない。
先制攻撃を仕掛ければ、とネンドは考えた。だが、そうはいかない。交戦規定がある。
「アゲハコ。本部に報告して、攻撃許可を頼む」
『小隊長。本部からの回答です』
嫌に早かった。
『要請は却下する。こちらからは絶対に先制攻撃を仕掛けるな、とのことです』
テクニカルに乗る男が、双眼鏡を構えた。覗いている。見つかるわけがない。熱光学スクリーンで遮蔽しているのだ。56型の心臓も止めて、補助電源に切り替え時間も経っている。周囲の環境に完璧に同化していた。日が沈んでいれば余熱で見つかる可能性が高まるが、今は太陽が高い。
双眼鏡の男が、ネンド達の潜み観測ポイントを指差した。無反動砲が、急停車したカクテルから撃たれた。
BAOM!
「うわっ!?」
弾着は、ネンドの手前10mと無い。気づかれている。最初からバレていた。ネンドは焦りから荒れた声で命令した。
「監視所を放棄!緊急散開ッ」
昼寝していたエンジンに火を入れ、唸りとともに56型を走らせた。熱光学スクリーンが風でなびき、ステルス性を著しく損なう。
「何をやっている、109!109号車!」
109号車の様子がおかしい。腹這いのまま、監視ポイントから動かない。
『ダメ、エンジンがかからないーー』
瞬間。
無反動砲から放たれた砲弾が直撃した。109号車が……爆散した。正面からでも丸見えな弾薬庫に直撃弾を受け、誘爆した。呆気のない最後、ネンドは、名前さえも知らなかった。
『先制攻撃はアチラさんから。反撃しましょう』
DOM!DOM!DOM!
108の40mmが火を吹いた。パッ、パッ、と数発が外れて地面が弾けた。テクニカルは急ハンドルを切って躱していた。
DOM!
だが、追ってくる機関砲弾からは逃げられない。エンジンを一撃でブチ抜いた40mm機関砲弾は、運転手の心臓を消し飛ばし、頭と四肢を千切り、続く炸裂の爆風と破片で搭乗者全員を薙ぎ倒した。2発、3発と直撃弾がテクニカルを紙切れのように引き裂き、爆破した。
POW……。
離れた距離から、また無反動砲が撃たれた。派手な炎を噴いているのが、ネンドの目にも見えた。
Biiii!
狙いはネンドだ。アクティブディフェンスのセンサーが自動で接近する危険物を認識して、擲弾を立て続けに打ち上げた。それらは無反動砲の弾が直撃する直前で、自爆し、破片で驚異を完全に破壊した。黒煙の中の103(ネンド)は無傷だ。
ネンドの目では、遥かに小さなテクニカルが遠くで破裂した。人間や車の部品の区別なく、バラバラに、燃えながら飛び散った。
仕留めたのはアゲハコだ。
這い蹲り、まだ動いていた燃える人間もことごとく、アゲハコは狙撃して息の根を止めた。生かす選択肢など、彼女にはなかったのだろう。
工作用のプラズマトーチを光らせながら、108は燃えるテクニカルへと走った。
皆殺しされた敵のことなどどうでもいい。
ネンドは56型をすぐさま、119号車に寄せた。ハッチは敵前逃亡の防止の為、基地以外では開くことができない。焼け焦げた残骸と四散した何かの前で、センサーを光らせることしかできなかった。
第11突撃小隊としての初戦闘は、119という名前を知らない戦友の死という形で終わった。3人で同じ部屋を使っていたベッドに1つ、空きができた。
ネンドは新米の指揮官なりに、死亡報告書を書いていた。どう言う人間か、部隊内での雰囲気、そして最後の瞬間の詳細を記述することが義務なのだ。その中には、できる限り再現されたスケッチを求める欄もあった。
ネンドが書けたのは、死に際だけだ。
名前も知らなかった。
「悔やんでも仕方ないです。次の補充までは、2両編成で頑張りましょう」
アゲハコは、戦友の死に対するには間抜けなまでの態度だ。彼女は欠伸をして、消灯前でもベッドに沈んだ。
「アゲハコは、119と知り合いではないのか?」
「同期の妹ですよ」
「妹……ならば……」
もっと悲しまないのか。ネンドはそう言いたかった。しかしその前にアゲハコが答えた。
「悲しんでどうなります?死ぬかもとは知っていた。偶々今日だった。それだけです」
「冷たいな」
「……やはり、ネンド隊長は違いましたね。臭いからしてそうでしたから」
「どう言う意味だ」
「本当の旧帝国人として暮らしていない」
ネンドの心に、アゲハコの言葉が深過ぎるほど刺さった。心臓を貪り出すナイフのように、背筋を冷たくした。
「顔に出ていますよ」
アゲハコは、ベッドで横になりながらニヒルに、冷淡に笑った。
「旧帝国人かそうでないかなら、血は流れているのでしょうけどね。馬鹿なお人だ。そっちに居れば、不自由などないでしょう。斡旋の兵に言われましたか?君も旧帝国人ならば軍に入りたまえだのと、くだらない裏切り者の言葉をです」
ネンドの、報告書を綴る鉛筆が止まった。だがすぐに動き始めた。書き上げるまでにそう時間なかからなかった。ネンドは119を何も知らないのだ。だが、書いているフリをした。
「先任として何か、他に忠告はあるか?」
「その意気です」
アゲハコは毛布にくるまる。上向きに本を読んでいた。小さな卓上ライトが彼女の横側を照らした。
「あぁ、朝は早起きがお得です。正規軍の連中が起床時間よりも早くやってきて、寝ていようもんなら修正の袋叩きですから」
「……ご忠告に感謝しよう」
「書いたら寝るですよ。明日も早い」
「わかっている。おやすみ、アゲハコ」
「おやすみです、ネンド隊長。今日はよくできてたと思いますよ、なんだかんだ」
時計の針は、消灯までもう少し余裕を残していた。ネンドは死亡報告書の続きを書いた。目を通した。再教育学校では学んでいないものだ。座学と実技を合わせて100時間で速成された。何を知っているというのだ。
それでもネンドは、なんとか死亡報告書を書き上げた。109は、顔も詳しくは覚えていない。一緒に部屋で寝たくらいだ。思い出もない。悲しむ理由もない。何もないが……。
「……」
ネンドは悲しかった。
鉛筆を置いたネンドの心中は虚無感だ。明日もパトロールと監視のセットだ。旧帝国人は優しく扱われることはありえない。言われているよりも早く休み、言われているよりも動かず、出来るだけ体力を守るのだ。でなければ、簡単に潰されてしまう。
それは旧帝国人の常識だ。
帝国はかつて世界を相手に、その全てと戦争を引き起こした。列強の多くを滅ぼした。世界を破壊しようとした史上最悪の犯罪国家、と言うのが歴史のあらゆる教科書、あらゆる言語の帝国だ。帝国は名前さえも削られ、帝国という呼び名が悪の代名詞となっている。
帝国的だ、とは最大級の侮蔑の言葉だ。
悪魔であって人間ではない。だから、人間の権利は停止しているし、そもそも存在してはいない。旧帝国人の権利は、犬猫などの動物ほども保障されてはいないのだ。
「アゲハコの妹、か」
ネンドは、戦死した119を思った。戦死報告書の似顔絵は空欄だ。彼女の顔を知らない。同室になった時にあったのは、部屋の中でも絶対にスカーフで頭を隠していた。声も聞かなかった。アゲハコの話では、前の任務で生きたまま焼かれ、顔と喉を失った。アゲハコの妹は、ネンドが会ったときには顔も声もすでに無かったのだ。
ネンドは深く後悔していた。
119と初めて会ったときだ。ネンドはお化けにでも遭遇したように驚いて声を上げた。人間なのに、バケモノのような反応だ。
あのとき、アゲハコの目や肩は、悲しんではいなかっただろうか?
ネンドは握る鉛筆を見た。筆談でもなんでもできた筈だ。どうして、すぐに言葉を交えようと考えなかった。自責の念が、ネンドを圧壊させようとした。
知らない女の死。
小さいとは言えない棘として、ネンドの心に痛みを残した。それは初めての戦友の死であり、決して抜けることも溶けることもない傷だ。
始まりに過ぎない。
ネンドは死亡報告書を纏めた。彼女の名前欄には、第11突撃小隊119号車とだけ書いた。
消灯まで、もう時間がない。
今日が終わる。
酷い1日だった。