スカーフの女
輸送機のドロップゲートが降りた。
陽の光が細く、薄暗い貨物室の中へと差した。煤が光の中で浮かび上がり、乾いた風、肌を焼く熱砂の空気が吹き込んだ。
輸送機の高翼が吊るす、双発のターボファンエンジンはまだ完全に止まってはいないが、緩やかにその甲高い喚き声を小さくしていた。
ネンドは、目の前のコンテナが、次いでオプションの一切を外した戦車が運び出されていく作業を見届けた。前線基地への補給品だ。それには、ネンド自身も含まれた。
最後部の人間がガチャガチャと、慣れているとは言い難い足取りで、ドロップゲートを兼ねたスロープを踏んだ。
足取りには戸惑い、あるいは未来を見る暗い希望。明るいものではないが、絶望と同じだけの新天地への望みのようなものがあった。
シート下に緊縛していた私物を取り出し、ネンドも続いた。航路途中での、対空機関砲の誤射で少し、生地が破れていた。ネンドから見て何人か隣の席の人間は、運が無かった。格納庫を貫通した徹甲弾が跳ねて、首を裂いたのだ。彼は屠殺された豚のように、血のほとんどを流しきっていた。
天井を見上げれば、剥き出しの配線が押し込められていた。細かく穴が掘られた床の上を歩き、外へ出た。出口は、ドロップゲートの形に縁取られ、白く色が飛んでいた。出来の悪いテレビみたいだ。
眩しいな。
目を細めたネンドの視界は白く飛んでいて、ゆっくりと戻った。慣れてきた。
砂混じりの白い風が吹き荒れ、あちこちで車両が行き交った。それに乗る兵士はゴーグルを掛け、スカーフを首から口に当てて巻いていた。ネンドにはその光景が珍しく見えた。
「ようこそ死体袋候補生!モタモタ歩くな、さっさと降りろ!」
先任の出迎えだ。
スロープを降りる新兵は、肌も目も隠した一団の雰囲気に気圧された。服の下でもわかるほど膨れ上がった肉はまさか脂肪ではない。ダミ声が砂嵐染みた風の中でも耳を穿つ。その声に引き摺り出され、鼻が擦れる程の間近で、恐らくは首実験だ。
ゴーグルとスカーフのせいだろうか?人間というよりは、人型の昆虫に問い詰められているようだ。
「お前、そっち、それとそこのガキ、俺の隊長に抜擢だ、こっちこい」
「おい、おい、俺のところはこんな色白かよ!大学で蛙のチンコでも切り取って遊んでそうなガキばかりじゃねぇか」
「木偶の坊、この見た目だけの見るからに腰抜けで間抜けヅラを晒しているテメェら、俺の隊だ」
「パイロットだと?オメェ、歩兵に比べて楽で高級で女を抱けるとか腑抜けた根性で来やがったな、プレイボーイ。いい心掛けだ!では早速、俺の機体に来い、相棒の上半身だけでは仕事にならん」
「ガタガタ喚くな、ようこそ地獄へだ。死神がパンツを脱いでたっぷり可愛がってくれるぞ、喜べ!」
新兵らは続々と先任の後を追い……あるいは戦友の拳で説得されて……解散した。
ネンドの前にも、スカーフが立った。
「貴様はーー」
ネンドを見下ろす視線がある。
やはり、ゴーグルとスカーフで固く守られた顔は、それが男か女かさえわからないほど隠されていた。人間性のない顔が不気味だ。背は、高い。決して小柄ではないネンドよりも、ずっと高い。ネンドを押さえつける圧倒があった。
「ーーネンドか」
低い声だ。叱られているように聞こえた。小声なのだろうが、腹の底を震わせる地震のような雰囲気が、名前を呼んだ。それはネンドの肩を竦めるものだ。
ネンドは、怖い、と、この男か女かはわからないが少なくとも巨人に感じた。迂闊なことを言えば、首ごと背骨を引き抜かれる。
確信がネンドの声を揺らしながら、
「はっ!ネンド少尉です!よろしくーー」
ネンドは何度も練習した敬礼を見せた。だが、“それ”は大した興味もなさげに
「けっこうだ」
踵を返され、去って行く背中。ネンドは極僅かだが思考が止まっていた。だが、修正される前に大きな背中を追った。巨大で、根性の捻くれた頑固者の父親のような背中が、軍服を着て歩いた。
基地を横断する。
ネンドの視界に、黒い袋が並んでいる様子が入った。長辺で2mは軽くある四角い袋。それを基地の兵士が、補充(ネンド達)を降ろして空いた輸送機の格納庫に入れていた。ジッパーで閉じられていて中身はわからない。酷く柔らかいのか、ぐねぐねと簡単に曲がり、どこか生ゴミの袋を連想した。
他にも見慣れないもので溢れていた。
ヤマアラシのような防空塔が聳え、基地周囲を囲む防壁を作るのに、金網へホイールローダーが砂を入れた。あちこちでミニレーダーのようなものが空を向いていた。40mm級の砲塔のようなもの、いかにもなロボットの頭といった複合センサーの頭とその両腕に多銃身砲と対空ミサイルがついたユニット。
穴だらけのガントラックからは、草臥れた重装兵が、半分になった戦友を引きずり出しながら、バケツで洗っていた。バケツからの湯が荷台から流れるたび、じゃばじゃばと赤い水が溢れた。
ネンドが案内されたのは、彼の愛車となる車だ。上級指揮官への挨拶や兵舎への案内はなかった。
53型装輪工作車。地雷除去の鋤が付いたドーザーが長く伸びていた。大木も掴めるアームが折り畳まれて2本。上半身のように、砲塔は文字通り塔だ。6本のタイヤは足のように長い。実際、柔軟に角度が動いた。背が高いというよりは、どこか意図的に人型へ寄せた面影だ。
「第11突撃小隊3番車だ」
113の番号が剥げチョロでペイントされていた。だがそれ以上にネンドの目を引いたのは、明らかな貫通痕を今まさに、鉄棒を突っ込んで埋めて、余分を溶断している作業の最中なことだ。
「お前の最初の任務は、113を使える状態にする事だ。炊事係から湯とバケツを貰ってこい」
「あぁ、それと」とスカーフは言い、
「小隊へようこそ、隊長殿」
炊き出しをしていた炊事係からバケツを借りたネンドは、「サービス」と雑巾も貰った。ネンドの棺桶となる113に乗り込む。中は、缶詰めのような、というほど極端に狭くはないが、周囲を囲まれるとやはり狭く感じた。実際には装甲服を着用して乗り込む。着の身着のままだからこその広さだろう。ネンドは絞った雑巾で113を磨いた。
焼け焦げた肉片が張り付いていた。
たぶん、113の前任だ。
火薬、燃えた残り、肉、髪、脂。まだ臭いが焼き付いていた。1つ、2つと大きな破片をバケツに入れた。カリカリに乾燥した筈のそれは、水分を吸って、ジワリとバケツの水を赤く染めた。
ネンドは黙々と113の清掃を終わらせた。バケツの中身は真っ赤に染まった。新品のような中古のネンドの軍服も、赤錆色が擦れた。
「次は乗車訓練だ」
つべこべの暇もなく、ネンドは113と共に基地外へと繰り出した。まだ血も乾いていない、重装兵と共通の動力甲冑を着た。56型のエアチューブを入れれば、排熱から守られるエアスーツに筈なのに、どこかで破れたチューブから漏れる音だけだ。補助脳や骨伝導通信が纏められたフルフェイスヘルメットで頭も覆う。調整が甘く、骨を伝導しないせいで通信が宜しくないが出動だ。
砂で腹一杯の防壁を越えれば、何もない、乾いた土地と痩せ細った枯れ枝のような樹木、砂丘が凸凹の地形を作り、炭のように黒い石が点々とした光景だ。
113の6輪が小刻みに凸凹を吸収するせいで、ネンドの尻はシートに急かされるよう叩かれた。頭を包んだメットが骨に直接、音を震わせた。
『3つ数えると同時に戦闘機動だ。気合い入れて撃ってこい。でなければ死ね』
冷酷な言葉だ。
ネンドは戸惑った。カウントは進んだ。あっという間に3が数えられ、スカーフの53型がエンジンの回転数を上げた。排気管から、余分なオイルか何かに熱が入ったのか火を吹いていた。118の番号が砲塔に見えた。
118の砲塔が回っている。40mm機関砲が、113(ネンド)を狙った。
不味い!
ネンドは神経接続と補助脳の思考伝達を駆使して、暴れ馬の113を制した。6本の装輪の足の膝をつかせ、急制動だ。
118が発砲。
DOM!DOM!
銃声なんて優しい声ではない。砲声だ。
ほんの数発の短連射だ。空薬莢が空へと放り出された。しかし、ネンドはその光景が信じられなかった。
113(ネンド)を外れた40mm機関砲弾は、ネンドの目の前を飛び、破裂した。演習弾でもペイント弾でもない。本物の実弾だ。
『足を止めるな、坊や!』
113(ネンド)のスモークディスチャージャーから自動的に擲弾が発射され、煙幕のカーテンを作り上げた。118(スカーフ)がレーザー照準を113(ネンド)に当て、小隊データリンクで勝手に打ち上げたのだ。ネンドの知らない所で戦況が勝手に回った。
ネンドは、一瞬で視界の全てを失った。何も見えないのだ。このままでは殺されるということはわかった。止まっていた足に逆進を掛けて、スモークから脱出を……と考えた。
『センサーは光学だけではない!』
視界ゼロ。
だが、118(スカーフ)は、まるで全てが見えているかのように、113(ネンド)に体当たりした。頑健なドーザーが113(ネンド)を衝撃した。至近距離から40mmの乱打が装甲を叩いた。
「うわぁぁぁッ!?」
死んだ。
しかし、ネンドはまだ生きていた。118の放った40mm機関砲弾は装甲を貫通していない。全てが装甲で起爆した。それでも激しい衝撃でネンドは頭を打った。耳も凄まじい大音響でおかしくなった。だがまだ、死んではいなかった。
「く、くそッ!」
好き勝手されてたまるものか、ネンドも同じ40mm機関砲を118に向けた。お返しだ。位置はわかった。なら当たる。そうネンドは信じていた。
DOM!
勝手に焚かれたスモークに螺旋を刻みながら切り裂く40mm装弾筒付翼安定徹甲弾(APFSDS)だが、空いた穴には118がいない。
「そうか、赤外線センサーならば」
閃き、ネンドは外部視察装置のカメラを赤外線に切り替えた。スモークには赤外線まで欺瞞する熱は無いようだ。
急迫する118(スカーフ)の姿が見えた。
ショベルアームをラリアットの要領で伸ばし、113(ネンド)を殴打した。
BAGIiii!
金属と金属がぶつかる音。遠くなる耳。鐘の鳴り響きで脳が震える中でも、補助脳から113の危機的状況が警告された。
横転した113は、明らかな致命を晒している。118はゆったりと近づいてきた。砲塔を回し、40mm機関砲を……撃った。
死ねるか!
ネンドはショック状態で朦朧する意識の中、せめて直撃弾は避けようと113に最後の余力を絞らせた。
それが、最後の意識になった。
「ーーッ!」
激痛がネンドを覚醒させた。頭の違和感を探れば、包帯で固く縛られていた。少し湿っていた。湿った指先を嗅げば、血の臭いだ。
ネンドは指先や足先の感覚があることを確かめた。死んではないない。生きている。そのことを確かめられたことに安堵する一方で、頭の傷と最後の記憶である、スカーフとの乗車訓練を思い出し、背筋が冷たくなった。生きてはいる。だが頭の傷は?下手をしていれば殺されていた。
ネンドは周囲を見た。適当な、ハンガーの片隅に置かれたベンチで起きたようだ。周囲ではやはり、忙しない整備士らが忙しなく機械の面倒を見ている。
113だ。
装甲には、幾つも貫通した痕があった。
ネンドの四肢はしっかり、まだ付いていた。安堵した。だが、スカーフは本気で殺しにきた。わかっていたことだが、ネンドは恐ろしさに、誰にも気がつかれることのないよう、震えを隠した。
「平気か」
ネンドは声をかけられた。女だ。黒い髪、高い身長、薄い胸。パッツン前髪の水平で、ネンドと同種族だ。
彼女が手当てを?
背が高すぎる……女は、ネンドよりも更に高い……厳つい声と雰囲気なのに優しい人だ、とネンドは惚れた。
「ありがとうございます。貴方が、その、これを?」
ネンドは頭の包帯を指差した。
「ん?まあそうだ」
女は巨大だった。あと胸は薄かった。胸はあっても胸筋か腹筋だ。ネンドがベンチに腰掛けているせいもあるが、尚この女は大きかった。だからどうしたというわけでもないが。
ネンドは、彼女が手当てをしてくれた存在だとわかって、素直に感謝の気持ちで胸を満たした。
「ありがとう」
飾りのない本音だ。
これはネンドという男には珍しい。軍に入った時、捨てなければならないだろうと痛感した心だが、捨てきれていない。言葉には詰まった。心の内では、ネンドの声が渦巻いた。口にはそれ以上できなかった。
ネンドは今後が分からず、呆然も同然にハンガーの様子を眺めた。
火花が散っている。鉄板が切り出されている。オイルの匂いが満ちていて、作業場という空気が満たした世界だ。作業と工具の騒音は騒がしく、そこで働く人間は男も女も区別なく、低く大声だ。怒っているような、喧嘩と同じ会話に聞こえた。
53型が並んでいた。工作車とは名ばかりでもないが、実際は最前線でも利用された。そういう時には装輪戦車と変わるが、実際は装甲歩兵程度だと諸国には認識されていた。意図的に落とされた装甲や火力などあらゆる制限は、戦場で死なせる為だけに設計されたものだ。
「計画停電まで1分無いぞ、蛆虫共め!」
「クソッタレの犬畜生め!ラチェットでテメェの脳味噌をオーバーホールだ」
60秒後。
ハンガーの全ての照明が一方的に落ちた。工具の回転数が急速に下がる余韻だけが響いた。「終わり、終わり」と暗がりにライトが灯り、整備士が帰って行く。
ネンドも、どこかに帰らなければいけない。
「ツマラナイだろう。兵舎に戻ろう」と女に提案された。ネンドは驚いた。衛生兵とか、そういうものだと思っていた。だが軍人なのだ。ファーストエイドキットの扱いくらい、どんな誰でも使えて当たり前だ、とネンドは甘さを恥じた。ネンドはまだ、自分の手当てを満足に施す自信さえ無かった。
「113は蜂の巣だが、お前は勢いが良かった。でなければ今頃、破片の擦過で脳震盪ではなく、首から上がミンチだったろうさ」
ハンガーを出る女は、ゴーグルを掛け、首から伸ばしたスカーフを口に当てた。『118(スカーフ)』が立っていた。
「私はアゲハコ」
アゲハコと名乗った女は、ネンドに別のゴーグルとスカーフを投げた。ネンドは受け取ったそれらに、自分の名前が刺繍されていることに気がついた。
「君の部下だよ」
ネンドはアゲハコを真似て、胸にスカーフを入れて口を覆い、ゴーグルを掛けた。ハンガーの外で砂嵐が舞う。
夜が降りていた。