注文
ザワザワと響く店内。
少女の様に頬を赤らめ、キラキラとした瞳のご婦人方の視線とハートを鷲掴みにしている男性店員(仮)ロイド・ベルークは珍しく目の前のお客に困惑した。
「………お客さま、もう一度ご注文を伺っても?」
「君の一日を買いたい」
身綺麗な格好をした男がそう答えると、店内の女性陣の興味と好奇心がその男へと注がれる。
その身綺麗な男が目深に被っていた黒の紳士帽を取ると、キラキラの金色の髪が男の白い肌へと落ちていき辺りから美しい物を見たときの様なため息があちらこちらから聞こえてくる。
再度、ロイドへと注文した。
「君の一日をどうか私に頂けないだろうか?」
男はロイドの手を両手で握りしめ。儚な雰囲気を醸し出しながらそう訴える。
その瞬間、周囲の熱が一気に上がった。向けられる視線とピンクのオーラが倍になり好奇心と言う名のプレッシャーがロイドにのし掛かる。
「………僕は売り物ではないので、それにもし買われるとしたら男より女性の方が良いですから丁重にお断りします」
ギリギリ笑顔を保ったままのロイドがそう答えるのを分かっていたのか、男はクルリと背を向けた。
「そうですか………残念です」
整えられたサラサラの短い金色の髪の隙間から薄い青色の瞳が湿り気を帯揺れているのをお客(特に女性陣)に見せつけ、静かに店から出て行く。
店内に残されたロイドに『早く追いかけて!』の視線が集まる。
「……………はぁ~~」
長いため息と皆からの視線に耐えられず「少しだけ休憩するって言っておいてくれ!」そう言い、店を出て男を追いかけるロイドの背中に頑張っての声援と、暖かい視線が送られた。
「あれ?アンジーどうしたの?ロイドさんは?」
休憩を終えたエミリアが店内に戻るとロイドは居なく、ロイドファンである奥様方のいつもと違った暖かい瞳が店の外へと向けられていた。
「う~ん……男女の縺れならぬ男同士の縺れ?」
「……何それ?」
キョトンとするエミリアをギュッと抱きしめ。
「私はエリーだけだから安心してね♪」
「だから何の話?」
後日、ロイドのへんな噂が広まって奥様達を楽しませたのは言わずもがなである。
店を出て、人気のない路地に入っていく男をロイドは追いかけた。
追いかけるのは簡単だ、通りすぎる人達の口から『今の人、キレイだったね』『あんなに綺麗な金の髪は初めてみる』などと言われている。
「目立ち過ぎだろッ……!」
毒づきながら幾つかの路地を曲がった所でロイドはやっとその男に追いついた。
「おい!なんのつもりだ!」
下町の路地裏には不似合いな金の髪を細い指で撫でつけながら男はゆっくりと振り返る。
「なんのつもりも何も、僕は買い物を楽しんでいただけだよ?」
「……だからって、その成りで歩くのは危険だろうが」
(手ぶらで買い物とか、あり得ないだろう。それに上等な生地のスーツじゃ襲ってくれと言っているようなもをだろうが!)
ロイドは舌打ちをしながら路地の壁に寄りかかる。
「あれ?心配してくれるの?嬉しいなぁ~」
男はニコニコしながらロイドに近づいていく。
動く度にサラサラと揺れる金の髪はいつ見ても綺麗だと思う。
「当たり前だ……お前は」
「お前は王族だから?」
気づけば男はロイドの目の前にいた。ニコニコしているが目は笑っていない。
綺麗な青い瞳にはいつからか晴れることのない曇り空がかかったままになってしまった。
「…………そうだな、王族であるお前がなんでこんなところをウロウロしているんだ?ラミエス」
男。ラミエスは小さな唇をニィと歪ませロイドの耳元で囁くように喋り出す。
「君ならもうあの噂は知っているのだろ?」
「……最近、東側。商業地区を中心に小さな暴動が起こっているって話は下町にいても聞こえてくるが」
ここは下町。路地裏と言っても目立つ姿をした男二人がいればそれだけで噂になってしまう。
その噂にさらに色をつけるようにラミエスは自身の体をロイドに預けるようにもたれかかった。
「…………僕はただの囮さ」
「囮?お前が囮になる必要はないだろ?この間だって……」
ロイドの唇をそっとラミエスの人差し指がそれ以上喋るなと制す。
「それが僕に与えられた神からの仕事なのだから仕方ないんだよ」
「あれは、神じゃない!」
ロイドの鋭い瞳がラミエスの今にも雨が降りだしそうな青い瞳を捉え、以前にくらべ細くなってしまった手首をしっかりと掴む。
「ロイ………痛い」
「生きてる証拠だ有難いと思え!」
ロイドは鼻息荒くそんな事を言う。昔から変わらない友人を眩しいとラミエスは思った。
「フフフ、僕は良い友人を持って嬉しいよ」
「そうかよ!だったらもっと自分を大事にしろ!それと……今日は誰と来てる?」
ラミエスの手首を離すと、視線だけで辺りを見回す。
「今日は新人君が来ているよ」
「そうか……」
ロイドは少し考え路地裏の闇に潜んでいるであろう彼に話かける。
「ちょっと頼まれくれないか?」
◇◇◇
「これは何でしょう?」
店の開店前。ロイドに呼ばれたエミリアは目の前の薔薇の花束に青ざめた。
「……注文だとよ」
「注文?」
よくよく花束を見れば真ん中に一枚のカードが刺さっている。差出人は聞いた事のない名前の貴族様からだった。そもそも貴族の知り合いなんてほとんど居ないけど………。
エミリアはそれを手に取り開いてみる。
開いた瞬間、甘酸っぱい香りと綺麗な文字が飛び込んできた。
そしてその文面に顔を歪ませてしまう。
「薔薇の花のアップルパイ100個!?そんなの今からじゃ無理ですよ。それに今日と明日で完売予定なので追加で作るのは無理です!」
エミリアはカードと花束をロイドに突き返そとするが、ロイドの指はカードの下を差し。
「最後までちゃんと読め!チビ」
チビは余計!と、思いつつカードの下に目をやれば配達日の指定と材料の提供はあちらで用意してくれるらしい。
と、言うことが綺麗な言葉で書かれいた。
「材料費は向こうで出してくれるのはありがたいとは思いますけど……貴族様ならその材料で専属の料理人に作って貰えば良いんじゃないですか?」
「………その貴族は変わり者だからな、チビッ子職人の手で作った物が食べてみたいんだとよ」
ロイドは井戸の縁に腰かけながらエミリアの作った果実ソーダを飲んでいる。
余り物のリンゴとレモンを蜂蜜で浸けてソーダで割っただけのものだけど、気に入ったらしくこの間レシピを書いてあげた。
「へぇ~、貴族様は変わり者が多いんですね」
「…誰の事言ってんだ~?」
ギロリと向けられるロイドの鋭い瞳を花束で遮りながら。
「別に、誰とは何も言ってませんけど?」
エミリアはロイドとは反対側の井戸の縁へと移動する。
「チビッ子のくせにチョロチョロ動くな」
ジリジリとロイドの長い足が迫ってくる気配にエミリアも俊敏に対応する。
「ああ~今日も忙しくなりそうだな~」
「ほぉ~良い度胸だ」
「「………」」
そこから何故か井戸の周りで追いかけこが始まり、アンジェリカの呆れた声がかかるまで続いていたのは言うまでもない。
「もう!二人とも仕事の前に疲れきっちゃうなんて駄目じゃない」
今日も可愛くアレンジされたお店の制服を着こなすアンジェリカは、店の何処にあったのかエミリア自身さえ知らない花瓶を取り出し先程の薔薇をカウンター横に飾っていた。
「それより、この薔薇どうしたの?」
「ロイドさんに貰ったの」
「えっ!?」
アンジェリカの顔色が徐々に青くなっていく。
「……なんでそこで青くなるんだ」
弱々しく壁際に背をつけロイドは二人をみやる。
「えっ?……何でって普段のロイドさんを知っていたら何か裏があるんじゃないかと勘ぐってしまうのはしょうがないと………」
「その通り。噂のロイド様がこんな方だと知っていたらエリーに近づけさせなかったのに……」
二人の評価にロイドは疲れ切ったように。
「そうかよ……」
と、言って開店前の準備を始めた。
手慣れてきたもので、焼き上がったパンを種類順に並べメインのスペースには売り出し中の薔薇の花のアップルパイと他売れ行きが上がって来ているパンを数種類並べ始めたのを見て二人は首を傾げる。
「あら?いつもならもっと何か言ってくるのにどうしたのかしら?」
「さぁ?流石に朝からあんなに走ったから疲れてるんじゃない?ロイドさん体力があまりないみたいだし」
「そうなの?………で?あの薔薇はどこの方から頂いたのかしら?」
とりあえず、エミリア達もヒソヒソ話で開店の準備を手伝うことにした。
「確か……“ラミエス様“って書いてあったかな?」
綺麗な飾り文字で綴られた名前を思い出す。
「ゲッ!?……ラミエス様!?」
(ゲッ?アンジェリカの口から?そんなに変わった人なのかしら?)
聞き慣れないアンジェリカの台詞は聞き流し、エミリアはどんな人なのか聞いてみたいと思ったのでそのラミエス様とやらの事をアンジェリカに聞いて見たのだが。
「う~ん、一言で表すのは難しい人だと思うわ。とりあえず、とっても綺麗な人!としか言えないわね!」
「そう……」
エミリアの背後でロイドが般若のような顔で立っていたのを知っているのはアンジェリカだけであった。
次の日。母アンナがヤマダさん宅から戻り、大量にあったリンゴの山は腐らすことなく無事に使いきる事ができ。更に次の日パン工房は久々に臨時休業となった。
エミリア達の学園も休講期間が終わり、またいつもの学園生活の始まりに安堵したのもつかの間。お貴族様から例のリンゴが届き久々に静かなパン工房の厨房でエミリアだけが、せっせと追加の薔薇の花のアップルパイを作る羽目になった。
カードが届いて5日目のまだ早い時間。
お店の前に二匹の猫車が静かに到着した。御者と執事と数人のメイド達。出来上がったばかりの100個の薔薇のアップルパイとエミリアはあっという間に猫車に乗せられ貴族街へと連れ去られて行くこととなった。