始まりは不機嫌なエミリア?
鐘の音で目が覚める。
毎日、同じ時間。
毎日、同じ日常。
毎日、同じ世界。
今日も私は目を覚ます。
老いる事もない、時間という概念が無くなってしまった小さなこの世界の観察者として私は今日も彼を観察する。
それが私に与えられた仕事だから。
それが、あの人の望みだから。
きっと今日もどこかで彼の事をあの人は見ているのだろか?
あの人は…私の名前を覚えているのかしら?
愛するあの人へ、愛を込めて……。
◇◇◇
朝靄もまだ晴れない湖の中程に赤い塊が今日も見えた。
口から吐く息はもう真っ白だと言うのに彼は今日も湖の中央まで伸びる桟橋の上で1人物思いに更けている。
シットリと濡れている丈の短い草を踏みしめながらエミリアはヒョコヒョコと桟橋の方へと歩いて近づいて行く。すると微動だにしなかった赤い塊がゆっくりと立ち上がった。
「………バターの匂いがする」
「あっ……」
今日はお店に寄ってきていないはずなのにバレた……。せっかくだから後ろから脅かしてビックリさせようと思っていたのに残念。エミリアはまだ距離のある赤い塊へと足早で近づいてく。
ギシギシと鳴る桟橋へと差し掛かったとたん、片足がガクンと腐った木を踏み抜いた。朝靄のせいで足元が見えていなかったのだ。エミリアはヒュッと短い悲鳴の様な声をあげ真冬の冷たい水を覚悟しながら目をつぶるが、視界の端から長い棒の様な腕が伸びてきて上に引っ張りあげられる。
「うっ!!」
「また落ちる気か?お前は?」
見上げれば、やれやれと細めの眼鏡をクイッと細い指先で挙げながらエミリアを見下ろす少しクセのある赤毛のひょろ長い長身の男が相変わらずの凶悪そうな鋭い瞳で見ていた。
「あっ、ありがとーございます。ロイドさん……でも、そろそろ……息、が……」
首根っこを猫のように掴まれていたエミリアの顔がだんだんと青くなっていく。
ブランとぶら下がった手足が次第に動かなくなっていくと、
「あっ、悪ぃ……小っさいからつい……」
ロイドが手を離した瞬間。
「「あっ!」」
湖に落ちた。
パチパチと小さな暖炉の中の木がはぜる音と、盛大なくしゃみの音が部屋に響く。
「へっ………くしゅ!!」
その反動でエミリアは椅子から転がり落ちた。
「いっ…………たぁ~」
「………また、器用に椅子から転がり落ちたな」
入り口とは反対の扉口に立っていたロイドが唇の端をクイッとあげながら逆さまに歩いて来るのが見える。
「うっ~、こんなにグルグル巻きにされたら落ちるに決まってるじゃないですかぁ~」
真っ白でふわふわのタオルで全身をぐるぐる巻きにされたエミリアは手足の無い雪だるまのように椅子に座っていた。おかげで半べそ、鼻水垂れ流しの状態で女の子とは思えない顔で床に転がってしまったのだ。
「……まぁ、お前は前科持ちだしな」
ニヤリと笑いロイドは床に転がったエミリアを足で暖炉の側まで転がして行く。
「ちょっ!!起こし………わぁぁぁ――!!!」
「悪ぃな、俺もいま両手塞がってんだわ。誰かさんのせいで」
ロイドの右手には陶器のカップが2つ、甘いココアの匂いがすることから冷えた体に暖かい飲み物を用意してくれたのだろう。それに関しては大変感謝したい、さっきから震えが止まらないから。
そして左手には綺麗に畳まれた服。
見慣れたその柄の服は一月前に私がこの部屋に置いていった物。
理由はまぁ……あの時は色々あったのだ。
「だか、らって私だって一応女の子なんでぇぇぇぇ――――わぁぁ~!!」
「えっ?ごめ~ん、遠くて聞こえんわ」
ロイドは笑いながら長~い足で器用にエミリアボールを転がして行くのだった。
4ヶ月前。
夏の終わり頃、この国の学生の学舎である王都付属学園で芸術祭が行われた。
芸術祭とはその名の通り在学生達の芸術作品の展示や劇の発表の他に、卒業し現在活躍中の芸術家達の作品も数多く展示される。いわば、王宮勤め(芸術関係)希望の生徒達の就活場であり平民達の他貴族への売り込みだったりと色々あるようで、優秀な人材確保の為に水面下で白熱バトルが行われているとかいないとか………。
下町のパン工房の娘であるエミリアにとってはどうでも良い行事。王宮への憧れがある分けでもく将来は両親達の手伝いをしながら同じ下町育ちの誰かのお嫁さんになる……まだ、未定ではあるけれど。
そんなエミリアは今年も1人で静かに学内を見て回る予定だった。
予定は未定。
いつもの様に、フラフラと人目を避けながら歩いていたら珍しい場所で宮廷画家になった人達の作品が展示されていた。
そして、
エミリアは一目惚れした。
『白』
作品名は一文字。
絵も同じ白一色。
同じ白でも微妙に違っていてその作品があるその空間だけが聖域のような不思議な感覚を味わったのを覚えている。
体が震えた。
なんの変哲もないただの白い絵。
ただただ、真っ白な絵。
それなのに芸術に疎い私でさえ絵に引き込まれるようなそんな作品に、私は感動したのを今でも覚えている。
芸術祭が終わる最後の日、私は作品の作者の名前を知った。
『ロイド・ベルーク』
と、言う名前を。
◇◇◇
図書館の古くさい本の匂いに鼻が慣れてきた頃。
エミリアは『ロイド』が男性であること、この学園を卒業して直ぐに王宮お抱えの画家になったことを知った。
芸術祭に作品の提供をしたのだから卒業生であることはすぐにわかったのだが、エミリア的にはもう少し歳がいっているものだと思って検討違いな場所から卒業記録を探していたため見つけるのに時間がかかってしまったのだ。
「もう!!そんなに若いなんて思う分けないじゃない!」
厚みのあるまだ真新しい本をバタンと閉じる。
思いの外、音が大きかった様で周りからちらほらと視線を向けられた。
『ロイド・ベルーク』彼は王都付属学園に在籍していたが、直ぐに王族や上級貴族達が通う中央の王立魔導学園の方に移動していて詳しいことが書かれてなかった。
分かったのは名前と性別。あと、付属学園に在学中に画家として王族の目に止まりそのまま引き抜かれ魔導学園に入学。
最年少で、王宮の首席宮廷画家に就任。けれど、ほとんどの作品は王族のプライベート作品で民衆の目に触れる事がない謎の宮廷画家。
だ、そうであの作品以外の情報や人物像についても謎だった。
ロイド・ベルーク。調べて余計に謎が深まるとは思わなかった、まったくもって大誤算だ。
エミリアは大きいため息を吐くしかなかった。
「なぁに?エリーの白騎士様は貴女に合わないため息を吐かせる程素敵な方だったの?」
「……何?その白騎士様って」
図書館の窓際の小さな机の向かいに座るオレンジ色のふわふわな髪色を、チョココロネの様に結わえた髪型が特徴的な友人アンジェリカがニヤニヤ顔で聞いてくる。
典型的な美少女のニヤニヤ顔は普通に可愛いらしい。
「え?だって、この間の芸術祭の後からずっ――――と、その『ロイド』って人の事調べてるじゃない?私の晴れ舞台そっちのけでその作品も時間さえあればずっと見に言ってたし……色恋もしらないエリーがやっと恋をしたのが顔も知らないあの御方!!ああっ!!エリーの甘酸っぱい初恋のお相手は今どこにいらっしゃるのかしら!!」
アンジェリカは椅子から勢い良く立ち上がり深窓のお姫様の様にしなりとポーズを取り切なげに窓の外を見ていた。
さすが、学園一の人気女優。舞台の華である彼女がやると様になっていて思わず手を叩いてしまう。
「図書館ではお静かに!」
髪をきっちりと結い上げたお堅い感じの司書さんに睨まれながら、エミリア達はそそくさと退散する。
「あは、怒られちゃった♪」
アンジェリカは可愛く頭をコツンと自分の拳で叩く仕草をした。
「顔……覚えられたかも」
面倒ごとはごめんだと言うようにエミリアは顔が隠れるくらいの長い前髪を撫でつける。
「大丈夫!私が可愛いから!!」
ぐっと親指を出すアンジェリカ。
「自分で言うの?」
「だって、本当だし~」
日の光の下笑った友人の顔は誰が見ても確かに可愛い。色も白くて華奢な感じが男性から人気なのも知っている。
性格も明るくて、学園では珍しい上級貴族で高嶺の華の友人は毎日が楽しそうに見える。が、彼女自身も色々と事情があるようで他人からどう見られているのか分かっているからか、学園の演劇部に所属していると言っていた。
(たとえ友人でも話たくない事は聞かないけど……)
時々アンジェリカは寂しそうな笑顔をする時がある。それすらも可愛いと思っているのは内緒だ。
「………私も可愛くなりたいな」
キラキラしているアンジェリカと同じように自分もあんな風に笑えたら可愛いく見えるのだろうか?
エミリアはうっすらと頬に浮かぶそばかすを指でなぞる。普段、学園にいる時は長い前髪を下ろして顔を隠すようにしているが実は邪魔でしょうがない。けれど、自分の顔に少々コンプレックスのあるエミリアは学園にいる間は隠すのが習慣になってしまっていた。
『お化粧でもしてみたら?』と、言われた事もあったけどそんな時間はない。
何故ならエミリアの実家はパン工房。今は両親と次兄夫婦が店を切り盛りしている、私は早朝のパン生地を作るお手伝いとまだ幼い弟達の面倒を見るので忙しく日々を過ごしている。
言い訳かもしれないけどそんな訳で化粧はしていない。
「ねぇ、エリー」
「ん?」
学園内の図書館のある棟から学生の学舎までは意外と距離がある。私達は小さな小道の方から戻ることにした。
小道の脇には低い小花の花壇が綺麗に咲いていた。遠目に花のお世話をしている学生が数人、これから来る冬支度の為の藁を並べているのが見える。
「どうするの?」
「……何が?」
ほんの少しだけ私の前を歩いていたアンジェリカがくるりと振り替える。ちょっとイタズラっ子の顔つきをしながらエミリアに近づく。
「何がって、その『ロイド』って人のことに決まってるじゃない」
「…………うっ!」
「王宮関係者でしかも宮廷画家のツテ、あるんでしょ?」
「……ううっ!!でも、首席宮廷画家だし!私の知り合いはまだ見習いだからツテて程でもないし……」
エミリアはアンジェリカから少しだけ距離を取った。
「あの作品を書いたのがどんな人なのか興味があるんでしょ?だって、あのエリーが熱心に調べるくらいなんだから」
取った距離をジリジリと近寄ってくるアンジェリカの圧に負けてエミリアは学舎とは反対方向、今来た道へと走り去って行く。
「アンジーのばかぁぁ~!」
「お――い、エリー!!授業始まっちゃうよ~」
恥ずかしがりながら走って行くエミリアをクスクスと笑いながらフワフワオレンジ髪を揺らしながらアンジェリカがその背を追いかけていく。
確かに、あの作品を書いた人に興味はあるけれどただそれだけ。顔も知らない顔無しさんの作品があまりにも衝撃的だったからどんな人なのだろう?って、私のただの好奇心。
首席宮廷画家は画家の中でも最上位の役職だと聞いたことがある。そんな人に下町育ちの私が会ってどうするの?
「素晴らしい絵でした!」と、言えば良いのかしら?それとももっと別の言葉を?
私じゃ稚拙な感想しか出で来ない。あの絵に合う言葉が見つからないのに。
「まぁ、そもそも王宮と下町じゃ住む世界が違い過ぎて会うこともないし……」
作品に抱いた感想は心の中で言おう!そう思ったエミリアだった。
あれから数日。
今日から学園の方は芸術祭が無事に終わりを告げたことにより数日間休みとなった。
ある者は王宮へ、ある者は貴族の屋敷へと呼ばれる数日間でもある。
「エリー!!3丁目のヤマダさんにお届けして来てくれる?」
昼頃エミリアが学園の図書館から家に帰ると早速、店の奥から顔を出した母に店のお手伝いの注文がきた。
「はぁ~い。ヤマダさん家だけ?他は?」
エミリアは学校の制服からお店の制服に着替えると、一度家の裏手に出て中庭のある裏口からお店に入る。
「そうだね……そう言えば今日は2週目の樹の日だね。」
チラリと壁に掛けてあるカレンダーに目をやると、エミリアは心の中で知ってる!と答えながら。
「じゃぁ、ヤマダさん家とルイーザさんの家にも寄ってくるね」
「あぁ、気をつけて……あらっ?今日はいつになく早いわね」
裏口から颯爽と出て行くエミリアを見送りながら母は焼き上がったばかりのパンを持って店先に出ていった。
エミリアは内心ワクワクしながら、ヤマダさん家に向かっていた。
今日は2週目の樹の日。月に一度、ルイーザさん宅にパンのお届けをする日と決まっている。それは、ルイーザさんの息子が月に一度王宮から戻って来る日だから。
ルイーザさんの息子、アランは少し年上の鬼神族の幼なじみ。まだ成人前なので鬼神族の特徴でもある面を付けていないが青白い肌に、額から一本黒い角が生えている。
無口で近寄り難い雰囲気のアランは、少し前に宮廷画家見習いとなって王宮に勤めていると知ったのはつい最近だった。
(道理で学舎で合わないはずだよ、一言くらい言ってくれても良いのに……後でどんななのか聞くの楽しみ)
足取りも軽く、ヤマダさん家に着いたエミリアは玄関の前で首を傾げた。
「…………あの……何があったんです?」
首が90度ぐらい曲がりそうな体制で話かける。
「あぁ、エミリアちゃん………ちょっとね、階段の補強をしようかと思ってたんだけど見事に階段から落ちてそのまま玄関先まで飛び出してしまってね……あはは」
玄関先には扉を破って木の板が複数飛び出し、ひょろひょろ黒髪、黒メガネのヤマダさんは器用に木の板と扉のその間にはまっていた。
「でも、中々ここから抜け出せなくて困っていたんだ」
まるで軟体生物のような体制でヤマダさんは言う。
「……じゃあ、私が少し引っ張ってみますね?私のが力あると思うんで」
エミリアはお届け物のパンを汚れない場所に置き軽く腕捲りをすると、扉と木の板に両手をそえた。
「ははは、助かるよ。こういう時人間の力の非力さに落ち込んでしまうね」
「……私は半分獣人。ヤマダさんは人間。力の差があって当たり前です。そんなんで落ち込まないで、下さいっ!」
エミリアが力を込めるとまさしく板挟みになっていたヤマダさんが隙間からコロコロと転がり落ちてきた。
「いったた……はぁ、ありがとうエミリアちゃん」
「いいえ、困った時は助けあいですよそれが下町ルールですから。はい、今週分のお届けですよ。奥さんには食べやすいように柑橘系のパンも入れておきましたから」
にっこりと笑うエミリアからパンを受けとりクイッと黒メガネをあげたヤマダさんは優しく微笑むと、ありがとうと言って壊れた扉を直す為に家の中に入っていってしまった。
その背中は少し疲れているように見えるがヤマダさん達夫婦はこの国に来てまだ日が浅かったはず。
人間達の他に、多種族の住む土地にまだ馴れていないのだろう。
(今度、人間族の集まる食堂でも紹介してあげようかな?)
「……よし!次はルイーザさんとこだ!」
くるりと半回転し気合いを入れて歩き出そうとした時、何かとてつもなく大きな物に衝突し。
そして、エミリアは吹っ飛んだ。
「ふぇ?な、何?」
しりもちをついたエミリア目の前に現れた大型種に、本能的に悲鳴をあげかけたが凶悪そうな鋭い瞳に射ぬかれて声は出なかった。
「いま、ルイーザって言ったな?案内してもらおうか?」
男の薄い唇がニヤリと歪むのを見てエミリアの体は更に硬直する。
「おい、チビ。聞いてんのか?」
「き、聞こえません!」
(きっと、この人は悪い奴!この凶悪そうな目がそう言ってる!)
エミリアは逃げる準備をするが、男の足がエミリアのスカートを踏んでいた。
「……………これなら聞こえんだろ?」
男はスカートの裾を踏んだまましゃがみこんでエミリアの顔を覗き込む。
(ヒィィィ!!怖い!)
声にならない叫びをあげながらあまりの怖さに腰が抜けそうである。男はそのままエミリアを担ぎ上げた。
「!!?」
「………案内宜しく」
エミリアは言われるがままにこの男性を案内するはめになってしまったのだった。
(誰か!誰か助けて~!!)
ザワザワとざわめく町中を頭1つ分高く歩く。
「あっ、あの」
「ん?」
通りすぎる人達の目が痛いので降ろして欲しいと交渉し、交渉材料がない事で却下される事数回。
痛い視線も慣れてきた。
(うん、眺めが良いな~((棒読み))
荷物のように肩に担がれてはいるけれど、いつも自分が見ている視線とは違った世界が楽しくもないわけではない。
が、これが本当に人拐いだったらどうするの!皆!私を見てビックリして、この男を見て怯えてる住人を見送るのを数えるのをとうとう止めることにする。
(うん、分かる。顔が怖いもんね!)
なのでエミリアを助けてくれる者は誰もいない。
「ルイーザさんの家に何の様なんですか?」
「んぁ?ちょっと伝言頼まれてな」
相手の顔が見えないことを良い事にエミリアは話しかけてみた。
「そ、そうなんですね」
(うん!見えないから怖くない!)
「で、でも伝言って……誰でしょう?」
(一応、遠回りしながらルイーザさん宅に向かってはいるけど……自警団の人に助けを求めた方が良いのかしら?それとも騎士団に?)
腕っぷし自慢の下町の自警団より王宮の訓練された騎士団の方が安全かも。なんて考え騎士団の拠点場所がどこにあったか思い出すエミリアをよそに、男はまだ何か話ていたようだ。
「あぁ~、アランも頑固でいけないよな~でも鬼人族の気質だからしょうがないちゃ、しょうがないわな」
「アラン?」
聞きなれたその名前にエミリアは反応する。
「アランの知り合いなんですか?」
「知り合い…まぁ……そう、かな?」
何故か歯切れは悪いがどうやらこの男はアランの知り合いらしい。そして、アランが今日は帰って来ない事が判明した。
色々と聞きたいことがあったのに、ガックリである。
「おっ?もしかしてここか?」
男が着いた玄関先にはお面が幾つかぶら下がっていた。鬼人族の特徴は面を着けているのが成人の証で、玄関先にぶらさげる面は魔除けの為らしい。と、聞いたことがあるが昔過ぎて覚えてない。でも不思議な面が玄関先にあればだいたい鬼神族!そんな感じで良いだろう。
「あっ、ちょっと……」
エミリアの声は届かないのか男は玄関先までの数段の階段をさっさと登り、ベルを鳴らす。
肩に担がれたままちらりと後ろを見れば扉の横には『薬屋』と木の板に書かれた看板。そうルイーザ&アランの家は薬屋でもある。
扉の奥から綺麗な声と共に、仮面を着けた女性が現れた。
「エミリアちゃんいらっしゃい、えっと……エミリアちゃん?」
「こっ、ここです!」
男は担いでいたエミリアを下ろす。
「まぁ、今日は面白い登場のしかたなのね?人力車?かしら?」
仮面の下で可愛いらしく笑う声が聞こえる。
「えっと……違うんです、アランの知り合いの方らしくて。道案内を頼まれて」
「あら?そう言えばアランはまだ戻って来ていないのだけれど……」
仮面を付けているのに小首をかしげ少女のような仕草をするルイーザに、エミリアはアランの伝言を彼が持ってきたのだと説明する。
「失礼、美しい奥様。わたくしロイド・ベルークと申します。本日、アランからの伝言を持って参上致したしだいであります」
「まぁ、アランの?」
エミリアは一瞬の事過ぎて目を疑った。
「そうなんです、アランから大事な伝言を言付かっています」
赤いクセのある髪に、細身の長身。
(眺めは…まぁ、良かったかも)
細いクロブチ眼鏡にさっきの凶悪な目付きとは程遠いキラキラお目目の別人格が現れた。
(…………誰!?)
「まぁ、まぁ、それならこんな所で立ち話じゃ失礼よね?中へどうぞ。……あっ、エミリアちゃん、今日はありがとう。後日またお礼に伺うとアンナさんに伝えてもらえるかしら?」
エミリアはチラッと横のチャラ男を見ればルイーザさんに夢中らしい男の姿が写る。目が、もう釘付けだ。
「………大丈夫ですか?」
「うふふ、大丈夫よ心配してくれてありがとう」
エミリアは持っていた籠からパンの入った袋を渡して、後ろ髪引かれる思いで帰ることにした。
あまりの別人ぶりにビックリして頭が思考を停止してしまったようだ。
家に帰るとエミリアが人拐いに連れていかれたと、ささやかな噂が流れたのは言うまでもない。
エミリアは帰宅するとまだ小さな弟達をお風呂にいれるべく準備をする為、綺麗に磨かれた浴槽にお湯を張っていく。
「せっかく、アランから宮廷事情を聞こうと思ってたのに!今日は戻って来れないなんて残念……それよりも!あのチャラ男!私の前とルイーザさんの前での態度が違すぎるっていうのよ!」
エミリアは怒っていた。
あの別人の様な態度に沸々と怒りがこみ上げてきて、今はプンプンしながら浴槽内のお湯を大きな木ベラで力任せにかき回していく。ちょっと小さい子には温度が高すぎるのでこうして冷ましていくのだ。
「おね~ちゃん、おふろまだぁ?」
「おねーちゃん、お腹すいた~」
お風呂場の戸口から同じ顔の弟達がこちらを伺っている。何も知らない弟達はご機嫌斜めのエミリアを不思議そうに見ていた。
「……良いよ~二人共入っちゃって」
手を入れて温度を確認する。
二人共お風呂場で遊んで長風呂になるので少しぬるめが丁度良い。
そしてお湯は少なめに。どうせ二人が遊んで少なくなるし。
「「はぁ~い」」
双子の弟達が仲良く洗いっこしだしたのを後目に脱ぎ散らかした服を片付けて、次はご飯の準備。
(このモヤモヤした感じをなんとかしたいんだけど………あっ!)
今日は叩いて叩いて叩きまくる料理にしよう!
エミリアは冷蔵庫の奥から大きな肉の塊をミンチにすべく準備に取りかかった。
叩いて叩いて叩きまくったエミリア。
「わぁ~ミートパイがい~っぱい!!」
「たべきれるかな~?」
お風呂から上がった双子が机に広げられた料理を見て言った一言がこれ。
私も、ちょっと……いや、だいぶ作り過ぎたと思っている。
でも、無心で叩きまくったおかげでスッキリしたので許してほしい。
「………おっきくな~れ」
双子が美味しく食べてくれているのでまぁ、良しとしよう。色々とスッキリしたとこで私も頭がやっと働いてきたようで………?
エミリアは、はたっと何かに気づいた。
「『ロイド・ベルーク』?」
ちょっと待ってちょっと待って!!その名前ってまさか!!
「あの……?白の、ロイド?」
◇◇◇
次の日。
「………どうしたの?酷い顔のエリーさん?」
心ここにあらずのエミリアは気づいたら学校にいた。
「あれ?学校?」
「そうだよ~、もうお昼の時間だよ?」
オレンジのフワフワが今日も楽しそうに目の前で揺れている。
「……お昼?私、夕食食べてたんじゃ?」
「何言ってるの?」
アンジェリカは心配そうな顔でエミリアの頬をグニョ~ンと伸ばしている。
「……あに、しへるの?」
「えっ?心配だから顔伸ばしてみた?」
てへっと小首を傾げると、周りから男性人の黄色い声がチラホラと聞こえてくるのが分かる。が、それはいつもの事なので気にならない。
むしろ、何で高嶺の華のような彼女が私なんかと友達なのかいまだに謎である。
「ねぇ、今日のお昼はあの場所にしましょ」
アンジェリカはそう言ってまだ心ここにあらずのエミリアをともなって学校内の奥庭へと行く事にした。
奥庭は名前の通り少し外れた場所にある。
先日の図書館からの帰りに通ったあの小道の更に外れた場所で、偶然見つけた場所だった。
少し寂れた小さな東屋と。
天然の樹の傘がまだ少しだけ暑い日射しを遮ってくれている。
「あら?今日はミートパイなの?」
「うん、昨日作り過ぎちゃったから」
お互いのランチを広げながらエミリアは昨日あった出来事をアンジェリカに話す。
「まぁ、じゃあ白騎士様に会えたってこと?」
「う、う~ん?会えたっ言うより突然過ぎて覚えてないし……何か色々と衝撃的なショックが大き過ぎるというか………」
そう、あの心を奪われる程の作品を描いた人がこの人?なのかと言うショックが大き過ぎてまだ放心状態だ。
「……そうね自分の中の理想イメージが大き過ぎて実際に会ってみたら違う!何て話は良くあることよ」
アンジェリカはニッコリと微笑むとビシリとエミリアのでこを指で弾いた。
「痛っ!」
「エミリアは何で、白騎士様に会いたいと思ったの?」
「なんでって、……あの作品を書いた人がどんな人なのかなっ……て」
そうだ、私はあの時。
◇◇◇
“白“
それはビックリする程単純でシンプルな名前だった。
色とりどりの作品の中これだけは私の心の中に引っ掛かった。
芸術祭。
学内のイベントの一つだけどこの芸術祭の時は王宮の関係者も出入りする為、就活時期にもなっている。
特に、王宮勤め希望の人達は。
私には関係がない。
今年も一般の学生達と同じ様にただの祭イベントだと思いながら過ごす。
将来は次兄夫婦が店を次ぐ、目出度いことに次兄のお嫁さんは子供を産んだばかりだし、私はその手伝い。
私の中の将来のビジョンはそう決まっている。
なので祭の当時は暇だ。
友人のアンジェリカは今年も演劇の主役で、今日もキラキラと舞台にいることだろう。
華のある友人は学園内でも人気なのだが、一般公開中に市民からの熱いファンが出来るのはここ何年かの風物詩になっている。
そしてファンサービスで忙しく一瞬に回れないのもいつものこと。
暑い季節が終わったというのに、まだまだ暑い日差しを避けながらエミリアは人の多い学舎から離れ、裏手にある古びた展望室へと足を向けた。
「あれ?こっちにも展示室がある?」
今はあまり使われていない展望室の更に人気のない場所に矢印があるのに気付いて奥に進んでいく。
そこは展望室本館ではなく別館の余り日が当たらない場所だった。
延び放題の木々が小さな展望室の上までありモッサリと緑の葉が乗ってしまっている。
コンクリートの壁は少し苔が生え、白い小さな花を咲かせた蔦が壁全体に腕を伸ばしていた。
まるで、これが一つの美術作品のような佇まいの展望室の中にエミリアは足を踏み込んで行く。
中はひんやりと薄暗い。
本当にここで展示をしているのか不安になるほどだ。
「思ったより暗い……、校内にこんな場所もあったんだ」
横幅のある広々とした通路が一本。奥まで続く両壁は外から明かりを取る為に足元数十センチの高さのガラス窓が嵌められて緩い光が通路を照らす。その両壁には色とりどりのきらびやかな絵が等間隔で並べられている。
「へぇ~、凄い………あっ?これはあの丘の風車小屋の花畑?こんな花咲くんだ~」
一枚一枚、写真の様な絵に感想を言いながら見ているといつの間に人がいたのか、こんなに近づくまで気付けなくて誰かにぶつかった。
「あっ、ごめんなさ……い!」
「相変わらず周りを見て歩かないのな、お前は」
相手は知っている顔だった。いや、私が最後に見た時よりもう少し大人に近づいた幼なじみがそこにはいた。
「アラン!!」
「声がデカい」
「あっ、ごめん……」
アランと呼ばれた青年は相変わらずの無表情。鬼人族特有の角と少し青白い肌、仮面は……まだ成人ではないので付けていないが彫りの深い凛々し顔をしている。
「久しぶり、元気だった?私がパンを届けるときはいつも居ないから心配したんだよ?学園でも見かけなくなったと思ったら急に宮廷画家見習いになったてルイーザさんに言われるし……」
エミリアはモゴモゴと文句をいい募る。
本当にあの時は突然過ぎてビックリしたのだ、心配して家に行ったらもう宮廷の見習い宿舎に行ってしまった後だと聞かされた私は、手紙やらアランの好きなパンをせっせと見習い宿舎に運びアランに話を聞きたくて宿舎に忍び込もうとしたり……………。
それを聞いたアランが月に一度は家に帰るから止めてくれと、嘆願書をエミリアに送った話はまだ記憶に新しい。
「本当に……ビックリしたんだから!」
「ああ、王宮の外側にあるとはいえ宿舎に忍び込もうとしたと聞いた時は驚いた、それとお前の作るヘンテコパンにはいつも驚いている」
相変わらずの無表情でそんな酷いことを言ってくる。
「忍び込もうとしたのは……うん、ごめんなさい。でも、ヘンテコパンは違うよ!可愛い動物の形なの!」
少し見上げる様にエミリアはアランを睨み付ける。宮廷画家見習いになるくらいだから美的センスはアランのがあると思うけど、絵と一緒にされても困る。
「……お前の可愛い基準がいまだに理解不能だが、味はおばさんの次に旨い。宿舎の皆も味は褒めていた」
ポンとアランの意外と大きな骨ばった手がエミリアの頭の上に乗せられた。
「んん~~!なんかしっくりこない!」
誉められたのか貶されたのか微妙すぎる。頭一つ分上から小さな笑い声が聞こえた。
いつものアランの笑い方にホッとする。たぶん元気に宮廷画家になる為に勉強してるんだろうなと少し安心した。
「形も味もまだまだ練習不足だな……それよりお前、この前髪邪魔じゃないか?」
アランがエミリアの長すぎる前髪を持ち上げてみる。
校内にいる時は基本的にこのスタイルのエミリアだけど、邪魔なのは仕方がない。
そばかすが恥ずかしいのだから。
目の前のアランの手をペイッと叩き落としながら。
「……うるさい、顔の良い人には分かりませんよ~だ。それより、アランはこんなところで何してるの?あっ!絵の勉強?」
エミリアの質問に少し考えてから。
「……勉強、そうだなオレの尊敬する人の絵が今回展示されてるからそれを見にきた」
アランの瞳は展望室の奥の作品を思いだしているのか、熱い視線で奥を見つめている。
(アランのこの顔、珍しいな~)
「ふ~ん」
「ふ~んて、お前な……。まっ、センスなしのお前じゃ理解出来ないかもな」
珍しくニヤリと笑うアランに一言文句でもと思ったが、タイムオーバー。夕刻を告げる鐘の音が辺りに響き渡る。
「あっ、閉門の時間……」
一般人への公開時間が終る。
「オレ、そろそろ宿舎に戻るわ。じやぁな」
「うん、またルイーザさんの所に新作パン持ってくから食べたら感想でも聞かせてね」
「ああ」
静かに去ってくアランの背中を見送ると辺りはまたシンっ……と鎮まりかえる。
日は先ほどより少し傾き、下の明かり取り様のガラス窓からオレンジ色の光が中に入り込んできていた。
エミリアはまた奥へと歩き出す。
色とりどりの作品を見ながら奥へと進んで行くと天井がドーム状になった場所に出た。
また端から順番に見て行くなかで、一枚だけ真っ白な作品があった。
題名“白“。
大きなプレートにたった一文字。
それはただの白じゃなく、限りなく白に近い白。
赤みのある夕暮れ時にみる赤い雲のような白。
薄いグレーのような白。
色々な白の形がそこには描かれていた。
一言でいったら『不思議』と、表現しかできない。
けど、何故か惹かれる。
絵に近づいて匂いを嗅いで見ればとても甘い香りがした。
「甘い匂い………」
それから私は芸術祭が終わる日まで毎日それを見続けた。
「エリー、今日も行くの?」
舞台の衣装を着たアンジェリカが声をかけると、校舎から校舎の渡り通路を小走りに走っていたエミリアは急ブレーキで振り返る。
「うん!今日が最終日だし目に焼き付けとかなきゃと思って。アンジーは……何というか今日も凄いね」
エミリアの目の前を軽やかに踊りながら近づいてくるアンジェリカの舞台衣装は今日も豪華で豪快だ。確か今回の舞台は『2人の女王』だっただろうか?双子の女王様で一人二役で大変だとアンジェリカには珍しく弱音をはいていたのを思い出す。
そして今回は毎日衣装が違うらしくそれを毎回観る為に通うファンもいるとかいないとか。
「んふふ♪今日の私も見納めよ?どうかしら?」
クイッと羽扇子で顔を持ち上げられればそこには綺麗にお化粧をしたアンジェリカの顔。
近くで見ても剥きたて卵のような肌に、シミひとつない白い肌といつもはピンクの色の唇が今日は苺のような色に変わりその可愛らし口が女王様の様に微笑んでいた。
「う、うん。今日も綺麗だよアンジー」
思わず色気漂うアンジェリカにドキッとしてしまいそう。
「…………ありがとう」
アンジェリカの目から逃げるようにエミリアは時間だからと走って行く。そろそろ一般の開門時間。最終日の今日はいつもより学生達も気合いが入っているのはお忍びで王族の方々がいらっしゃると噂を聞いたからに違いない。
「もう!絵と私、どっちが大事なの~!」
アンジェリカのそんな言葉を背中で感じながら人混みを縫って今日もあの場所へと急ぐ。
ひんやりと少し薄暗い。
そしてここはとても静かだ。
家にいる時は弟達や、色々な生活音が常にしている中にいるせいか余計に静かに感じる。
「やあ、今日も来たのかい?」
「はい」
暗闇の中からそっと小太りの男が現れた。良く見れば黒い警備服を着ているのがわかる。
私は部屋の中央に置かれた小さな椅子から立ち上がり軽く会釈する。
「今日が最終日だからね、いっぱい見ておくと良いよ」
「はい、そのつもりです」
私がそういうと、警備員さんはチラリと絵を見る。
この人は芸術祭のこの時期だけここに派遣された警備員さんだそうだ。普段は王宮の展示室で警備をしているらしい。
この小さな椅子も熱心に絵を見ていた私に気付いてわざわざ持って来てくれた物だ。
「この絵が好きかい?」
警備員さんは私の隣に立つとそう聞いた。
「……好き……か、は分かりませんがとても気になる絵だなと」
私は正直に答える。絵の良し悪しははっきり言ってわからない。
「ははは、分からないか。でもとても素直な感想だね変に飾りたてるより良い。そうだ、次の巡回の時間に良いものを見せてあげるよ。それまでしっかりこの絵を目に焼き付けておくと良い」
警備員さんはニコニコしながら次の展示室の巡回へと去っていった。
次に来るのは閉門の鐘が鳴る頃だとエミリアは知っている。
「……?」
何となく疑問が浮かぶ言い方だった気がするけど今日で終わり。この作品は王宮の宮廷画家や見習い達の作品。
もし、次に見る事が出来るとしたら王宮でしか見ることが叶わないかもしれない。そう思ったらエミリアは心ゆくまで堪能しようと絵を穴があく程見つめた。
何時間たっただろう。
獣のような重低音を静かな室内で響かせ、それが自分のお腹の音だと気付いたエミリアはビックリして椅子から転げ落ちそうになった。
とりあえず辺りをキョロキョロと見回す。
「ふぁ~他に人が居なくて良かった~」
エミリアの記憶ではこの展望室に人はあまり来ないけど、やっぱり少し恥ずかし。腹の虫を押さえる為に一度展望室から出ようとしたエミリアだか微かに香る甘い匂いに足を止めて振り返る。
そこは天井がドーム場になった薄暗い展望室。
ここ何日かで見慣れた室内は見渡しても数種類の絵画が飾られているだけで甘い物の元になるような物は何処にも見当たらない。
そもそも、ここは飲食禁止である。
「あっ!でも……」
私は“白“の絵の前に立ち匂いを嗅いだ。
手は絵に触れない様に後ろで組んで背伸びする。大きく息を吐き鼻先が付くくらい顔を近づけ鼻から息を吸う。
微かに甘い匂いがエミリアの肺へと送り込まれていく。
(良い、匂い……)
ほんの僅かな堪能の時間を終えると直ぐにエミリアのお腹が鳴りだした。
「もう、私のお腹ったら正直者なんだか……わっ!と、ごめんなさい」
エミリアが奥の部屋から通路を出る瞬間、誰かにぶつかりそうになった。室内よりは明るい通路のせいで目がチカチカする。
「あっ、ぶなかった~。またアランに怒られるところだったよ」
チラリと奥の展望室にはいって行く人影を横目に、今日のランチポイントを考える。
今は芸術祭中なのでどこもかしこも人が多くて、人があまりこなさそうな場所を見つけるのが大変ではあるけれど。
美味しい物が出ているのは嬉しい。
「……今日は何にしようかな~」
ひとりぶつぶつと言いながら出口へと歩いていくエミリアをさっきの人影は、じっと見ていた。
「どうでしたか?」
そう言って暗闇から現れたのは先程巡回の為にと別の展示室へと向かったはずの警備員。
「………別に構わない。が、お前も物好きだな」
男はエミリアが扉から出て行くのを確認すると、奥の展望室へと足を進める。
「ワタシも先生のファンなんですよ」
その後を警備員はニコニコしながら一緒に着いていく。
「そんな言葉は美しい女性に言われたいね~」
「でも、本当に良いんですか?大事な作品を………」
男の細身の人影が“白“と名のついた絵の前に写しだされ男の細い指はそっとその絵に触れる。
表面は少しざらつき、触った部分が少しだけ溶けた。
「いつものことだ……」
この絵をここに展示するように指示したのは自分。理由は人気がないのとここが元々、天文台だったからだ。
「あのお嬢さん、悲しみますよ」
俺の作品はいつも手元に残らない。
「…………」
自分の絵を熱心に見ていた女学生を思い出す。
小柄で小さな少女はこの絵を食い入る様に見ていた、何がそんなに面白いのか聞いてみたいくらいに見ていたので今日の最後の仕上げにあの少女をゲストとして見てもらいたくなったのは俺のただの好奇心。
少女はどんな反応をするのだろう?
やはり警備員の言うように悲しいと、思うのだろうか?
「………そうかもな~」
細身の男の人影はそう言って展望室から出て行ってしまった。
廊下の明かり採りの窓からオレンジ色の光が溢れ出すと終わりの時間。
遠くの方で、夕の鐘が響いている。
閉門の時間だ。
「お嬢さん、今日までありがとうね」
エミリアの隣には警備員さん。
「……はい、警備員さんも今日までありがとうございました。毎日毎日入り浸っちゃって」
「良いんだよ。絵だって誰かに見てもらえて喜んでるさ、特にここは人気がなくて寂しい所だろう?君みたいな可愛らしお嬢さんが居るだけでこの絵達も幸せだっただろう。それよりさっき私が言ったこと覚えているかい?」
「?……良いもの?ですか?」
エミリアは答える。
「そう、良い物。でも、お嬢さんにとって良いかは分からないんだけどね」
警備員さんは私の特等席であった椅子を少し後ろにずらし、何かのスイッチを作動させた。
微かな機械音と共に天井が左右に割れていく。
割れた天井から夕焼けのオレンジの光がこの薄暗い室内を照らし、辺り一面を明るくさせる。
エミリアは直ぐに気付いた。
その光が束になって収束している場所が出来ていることに。あの“白“の絵に向かって光の筋が道のように続いていく。
「光が、絵に……」
「始まるよ、見ててご覧」
エミリアはこれ以上ないくらいに目をあけその様子を見続けた。
すると、光りが当たっている場所から少しずつ下から絵が浮かび上がってきたのだ。
「えっ?何で」
絵に近付こうとしたエミリアを警備員が止める。
「光を遮ってしまうから、見るなら横から行くと良いよ」
私は光の筋を遮らないようにして絵に近づいた。とたんに、蒸せかえるような甘い匂いが辺り一面に漂いはじめる。
「甘っ……もしかして、砂糖?」
ずっと感じていた甘い匂いの招待にエミリアは驚愕した。
そして絵の表面を見ていると少しずつ何かが溶け落ちてきているのがわかる。
この“白“の絵の一面は砂糖で出来ていたのだ。
日が沈み、全ての砂糖が溶けたのだろうか?
白い砂糖で塗りつぶされていた絵は今は完全に表へと出てきている。
「これが、本当の絵?」
エミリアが分かる程の繊細なタッチの絵。
それは天使なのか、悪魔なのか。2種類の羽を生やし闇夜に佇む少年の絵。絵の際まで細かい細工のような絵なのにただ、中央にいる少年はとてもシンプルで無垢に見える。
「綺麗な子………」
少年の周りに幾つもの羽が舞っていて、色鮮やかな羽と花の中に佇む真っ白な少年の絵。
たぶん“白“とはこの少年のことを指していたのだろう。
こんな絵が下に隠されていたなんて驚きだ。
もう少しじっくりと絵を見ようと近いたとたん、メラメラという音と共に絵が突然燃え初めた。
「えっ?やだ!大変!」
「大丈夫、これも演出だから」
慌てるエミリアの腕を取る警備員さんの瞳は少し寂しそうに揺れていた。
絵はあっという間に燃え、残ったのは外枠のみ。
エミリアは突然過ぎて言葉が出てこなかった。ただただ、呆然と何もなくなってしまった場所を見る。
「お嬢さん、この絵はねこれで完成なんだよ」
警備員さんはそう言ってエミリアを
学舎まで送ってくれた。
閉門してからどのくらいたったのだろう?
空には星が見え初め、とぼとぼと歩く足は時々立ち止まりまた歩き出す。
何度かそんなことを繰り返していると聞き慣れたアンジェリカの声が聞こえてきた。
「エリー?そんな所でって、えっ!?何!どうしたの?貴方、泣いてるわよ?」
「……えっ?」
心配そうに覗き込むアンジェリカの顔が歪んで見える。
夜空の星がさっきから歪んで見えていたのはこのせいだったのかとエミリアはやっと気付いた。
何故だろう、瞳からはいっぱいの涙が次々と溢れてきて頬を伝って落ちていく。
私はこの“白“と言う作品を描いた作者に一言言いたい。
―――――大嫌い!!