09 殿下の秘密
「貴方は……?」
レオナルド殿下が訝しげに私を見上げる。
私はそこで王族の頭上にいるという、すごく不敬な状況だということに気が付いた。降りた方が良いのだろうかと途中まで考えて、ここは夢の中なのだから現実の法は無問題だろうと結論付ける。
ただ、名乗りあげるべきかどうかは迷っていた。私のように夢を事細かに思い出せる性質だと、今ここで名前を教えるのはまずい。不敬罪で訴えられるとか以前に、王族に顔を覚えられるのが嫌だ。私はそんな大層な人間でもなければ目立つことが得意な女でもない。私はひっそりとした日陰の中で学園生活を終えなければいけないのだから。夢の出来事を詳細に覚えている方が珍しいのだから、さっさと教えても良いかもしれないが……。
私が名前を教えるのを渋っていると、殿下が「ああ」と思い出したかのように仰った。
「貴方は確か日陰……ユーカブ伯の妹御、ミリア嬢だったか?」
ちょっと殿下。いま「日陰令嬢」って仰りかけませんでしたか? まあ、別に良いですけど。名前よりも字名を先に思い出されるぐらい影が薄いのは自覚していますし。
とはいえ、流石に顔ぐらいは知られていたか。レオナルド殿下が夢の出来事を起きたら綺麗さっぱり忘れるよう願いながら、私は「ええ」と肯定の返事を返す。
「わけあってこのような形で対面させていただきます。ご無礼を」
形だけ頭を下げれば、レオナルド殿下は戸惑いを露わに言った。
「いや……それは別に構わないが、どうやって貴方がここに? 王族用のサロンに突然現れるなんて……ああ、そもそも貴方が一体何の用でここに来たのだ? 私の記憶では、貴方はスカーレットやアリスと特別親しい友人ではなかったと思うが……」
「………」
彼の発言に思わず無言になってしまう。
王族用のサロン? ここが?
こんな不安定な作りの法廷をそう認識していると?
見れば、弁護側と検挙側にいたアリスとスカーレットがいつの間にか消えていた。傍聴席や裁判官席にいた猿の人形も無くなっている。証言台に立っていたはずのレオナルド殿下は、同じ場所で突然現れたふかふかなソファに腰掛けている。先程の切羽詰まった態度とは違って、優雅に紅茶を飲んでいるが、そのティーカップにはなぜか猿の絵が描かれていた。
……殿下の発言で部屋が少しだけ変化した?
殿下の周りだけ高そうな家具やカーペットが敷かれているが、本当にそれだけだ。あとは何も変わっていない。大まかな構造は先ほどと一緒。だが、殿下の様子からしてこの法廷をサロンだと認識しているようだった。
——今は夢であるということを告げるべきか? いや、信じられなくて話が拗れる可能性の方が高い。
この夢がいつまで続くか私にはさっぱりだ。制限時間が把握できない以上、無駄なことは避けたい。今は殿下に話を合わよう。
「私がここに来たのはロイド様の命令です」
「ロイド? それはまたどうして彼が……」
不思議そうに尋ねる殿下に、私は本題を切り出した。
「じつは私、昨日の昼休み旧校舎の裏庭で休憩をしていたのです。殿下たちもお休みになられていた、あの大木の場所で」
「……ああ、そういうことか」
殿下がティーカップを机に置くと、得心したように頷いた。
「それで、ロイドは貴方に何を命じたんだい? だいたい想像はつくけどね」
殿下は思い出したかのように、言葉を一度区切った。
「ああ、もちろん。個人的な話がしたいなら応じよう。そうだね……最近、ユーカブ伯が投資した織物工場の経営難のこととか。情報と金銭程度なら、私個人でどうとでもなるからね」
にっこり微笑んだレオナルド殿下は、ロイド様のそれとどことなく似ていた。再従兄弟だったはずだから当たり前かもしれないが。
焦りなど微塵も感じさせない様子が、先程とは真逆の印象を受ける。体面は大事だとお兄様からしつこいぐらい教わったが、ここまで違うと少し怖い。お兄様の投資先を把握しているのが更に恐怖を倍増している。どういう情報網しているんだろう。
殿下の遠回しな脅迫を私ははねのけた。
「申し訳ありませんが、殿下とのお話には応じられませんわ」
「……ロイドの命令の方を優先するのかい?」
「いいえ?」
私がわざと言葉足らずに答えて首を振ると、殿下は眉を潜めた。
「だが、先程ロイドの命令で来たと」
「確かに、私はロイド様の命令でここに来ましたが、それとは別に私の目的は申し上げたではありませんか」
木槌をくるくると回す。レオナルド殿下は要領を得ない私の返答に、ため息を吐いた。
「勿体ぶらないで早く教えなさい。時間の無駄だ」
「奇遇ですね。私もそう思っていたところです」
私は回していた木槌をブーメランのように投げた。狙いは上からぶら下がっているレースなどと言った小物。それらが木槌にぶつかっていとも簡単に千切れ、下へ——殿下が座っている証言台などに落下する。
「は? うわあ!?」
ドサドサドサ、と降ってきた大量のアクセサリーやリボン、レースの残骸に全身まですっぽり埋もれた殿下。「いきなり何をするんだ!」と怒鳴る彼を無視して、私は昨日の疑問に感じたことを殿下に言った。
「疑問だったんです。どうして昨日、殿下とアリス嬢があんなところにいたのかがわからなくて」
残骸から這い出ようとしている殿下が「何か言ったか?」と聞き返してきた。
別に彼の返事が欲しいわけではないので、このまま続ける。
「いくら人気がない裏庭だと言っても、昨日の私のように誰かがいる可能性は無いと言い切れない。逢引がしたいのなら、サロンに勝る場所は学園内にないのですから」
そもそもサロンとはそういう面で利用されることの方が多い。先に男子生徒が入室して、合言葉を知っている女子生徒が後から入ってくる。帰る時間もずらして退出すれば良い。周りに絶対バレないとは言い切れないが、それでも昨日のような大事な話ならサロンで密談した方が確実だ。
なのに、それをしなかったということは——
「昨日の殿下たちは、密談しようと思って会っていたわけではない。ましてや、逢引をしていたわけでもない。人に見られても、多少話を聞かれても大丈夫な外見だったから、あそこにいらっしゃったのでしょう?」
もぞもぞと残骸の山から殿下の顔が出てくる。不機嫌を隠しもしない彼は、私に文句を言いながら残骸を掻き分け身体をを徐々に外へ出していく。
「全く、私になんてことをするんだ。危うく怪我をするところだったぞ。それに、先ほどから何をぶつぶつ言っているが全く聞こえなか——」
ピタリ。
残骸の山から全身を脱出させたあと、殿下の動きが止まった。彼はおそらく違和感があった足を見て、次いで自分の胸元に視線を移して、顔色が青いを通り越して真っ白となった。
「え、あ、あ……!」
小刻みに震え出した彼は、側から見ても異常なほど怯えている。
彼は自分の姿を確認したあと、ハッと思い出したかのように顔を上げた。私は先ほどよりも可憐になった彼へ向かって一言、「お似合いですね」とだけ言った。
「う、うわあああああああああああああああああああああああ!?」
レオナルド殿下は悲鳴を上げて、己の今の格好——女子の制服姿を隠すように座り込んだ。
私は、殿方だったときの面影がひとつもない、美少女となった殿下に向かって心を鬼にして告げる。
「レオナルド殿下の秘密。それは『女装癖』。間違いありませんね?」