06 私、友達一人もいないのに?
「夢喰い……?」
聞いたことのない単語に首を傾げる。
ロイド様は私の反応を予想していたのか、「やはり知らなかったか」と言った。
「ミリア嬢は、ユーカブ伯爵家の初代当主が爵位を承った経緯をご存知で?」
ロイド様の問いに、私は頭の隅に置いてある実家の歴史を引っ張り出した。
「確か、百年ほど前に王都で起こった反乱を鎮めた功績で、爵位と領地を当時の国王レオナルド陛下から承ったはずです」
家庭教師の代わりであったお兄様に覚えさせられたことを思い出しながら、ロイド様に答える。
彼は頷くと、私の答えを補足した。
「その通りだ。ミリア嬢のご実家の伯爵家初代当主——ユーカブ伯アドルフは、百年前の『三日月の乱』を収め、王国に多大なる貢献をした。当時平民であった彼が、伯爵位を陛下から承るほどの功績だ。それほど『三日月の乱』というのは、規模が大きく厄介なものだった。ところで、ミリア嬢。君は先代がこの反乱をどうやって収めたか知っているか?」
私は首を振った。
「そのときの資料は伯爵家にあまり残ってなく、詳しいことは……」
「そうだろうな。製紙が市井に普及するほど一般的になったのは三十年前。当時、紙は貴族にとっても高級品だったため、伯爵になったばかりの彼がおいそれと手に出せるはずがない代物だ。記録を残したくても残せなかったのだろう」
ロイド様の推測は、お兄様のそれと同じだった。昔、お兄様に反乱をどうやって鎮めたのか質問したとき、同じことを返されたのだ。伯爵家に残っている資料は、領主たる者の心得や不作のときの対処法など、領地を安定して治めるための記述が多い。初代様は自分の武勇伝より私たちにとって有意義な情報を残してくれたんだよ、とお兄様は教えてくれていた。
だから、初代様がどのように反乱を収めたか私は知らない。
でも、ロイド様のこの口ぶりは——
「……まるで、公爵家には記録が残っていたような言い草ですね」
ロイド様は薄く笑った。
「ご明察。先代の日記が残っていたんだよ」
彼は足を組み直し、説明を始めた。
「当時のオーゲスト公爵は反乱を収めるために躍起になっていてね。というのも、その代は事業に失敗して宮廷での地位が危ぶまれた頃だったから、なんとかして手柄を上げたかったんだ。そのとき、目を付けたのが一人の平民の男。どうやら未来を予測できるらしく、周りからは気味悪がられていたらしい。その男が悉く反乱が起こる場所を当てるものだから、藁にも縋る思いで先代は彼に会った。その彼がユーカブ伯アドルフであり、夢喰い——先代が勝手につけた名前だけど——という能力を使って反乱を鎮めた方だ」
未来を予測できる、という言葉にピクリと反応する。
もしかして、初代様も私のように悪夢が視れたのだろうか。だとしたら、夢喰いというものが私の現状と関係しているのか。
私は先ほどよりも真剣に、ロイド様の話を聞いた。
「日記にはこう書かれていた。『夢喰いは、相手の願いを破壊する行為だ』と」
「相手の願いを破壊する?」
とんでもない単語の羅列に、思わず復唱してしまった。予想外に大きな声が出て少し恥ずかしい。
「突拍子もない言葉だよね。僕も最初はそう思った」
ロイド様は苦笑して私の反応に共感してくれた。
「相手の願いを破壊する。仰々しい物言いだけど、あながち間違いではない。先代の公爵が実際に体験した物を読んだけど、その、うん、まあ……凄かったよ」
ロイド様が苦虫を噛み潰した顔を浮かべ、言葉を濁す。
どんな内容なのだろうか。ちょっと気になる。
「先代の体験談をすごく簡潔化すると——夢喰いは、夢の中で相手の隠された願望を暴き、曝け出し、辱しめ、凌辱の限りを尽くしたあと、現実を叩きつけトドメを刺す……という感じだった」
「………」
何を言っているんだこの人は。
ロイド様に怪訝な視線を送ると「その目で見るのはやめてくれ」と言われた。
「僕だって最初は信じなかったさ。だけど、夢喰いされた相手は思考が変わったり、憑物が落ちると書かれている。実際、先代の日記は夢喰いされる前と後では価値観が変わっていた。これは仮定だが、夢喰いは相手の精神に干渉できるものではないのだろうか」
「精神に干渉ですか……」
なんだかとんでもない話になってきたな、と考えながら冷めてきた紅茶を飲む。
「それが、初代様の反乱を鎮めた功績と関係あるのですか」
「大いにあるさ。価値観に影響できるほど精神に大きな干渉ができるということは、反乱を辞めさせるように思考を変えられることだってできる。反乱軍全員に夢喰いをする必要もない。リーダー格の心を折り、指揮系統を混乱させるだけで十分だ。あとは公爵家の私兵で何とかなる。先代が反乱軍を鎮めることができたのは、こういう仕組みだ」
ロイド様は一旦言葉を切り、紅茶に口をつけた。ずっと喋りっぱなしだから喉が渇いたのだろう。空になったティーカップにおかわりを自分で注ぎ始めた。
私はお茶菓子のクッキーを一枚つまんだ。あ、これ美味しい。高い小麦の味がする。
「正直、僕の話を全て信じることはできないだろう」
ロイド様もお茶菓子のマフィンに手を付けた。一口で半分ほど消えたマフィンをぼんやりと眺めながら、私は言う。
「ええ、まあ。にわかには信じ難いです」
二口目でマフィンを全て食べ切り、ロイド様は優雅な仕草で口を拭いたあと紅茶に口をつける。
「悪夢の原因が、夢喰いで解消されるとしても、信じられないか?」
彼の言葉に、もう一枚とクッキーに伸ばしかけた手を引っ込めた。
両手を膝の上に重ね、先程より背筋を伸ばし姿勢を良くする。
「……どうして言い切れるのですか? お話を伺う限り、私にはそう考えられませんが」
私が悪夢——予知夢を視れることには触れず、彼の根拠をやんわりと尋ねる。
すると、ロイド様は一瞬だけ目を伏せたあと、ゆっくりと話し出した。
「日記には、予知した未来を変えることはできないと書かれていた。だが、夢喰いで相手の精神に干渉できれば、その限りではない。渦中の人物の思考や行動が変われば、予知夢は打ち切られる(・)と——初代ユーカブ伯が言っていたらしい」
「………」
思わず無言になる。
彼が言いたいことは何となく理解できた。
つまり、私がレオナルド殿下に夢喰いをして、スカーレット様との婚約破棄をしない方向に精神を干渉できれば、未来が変わり私が悪夢を視なくて済むということだろう。
……だけど、私はまだロイド様を信用できない。
先程から探っていたが、彼は私が予知夢を視れるということを知っている。ハッタリでも鎌を掛けているわけでもない。まるで誰かから教えられていたような、そんな確信を持っている。
私が悪夢を視れるということを知っているのは、お兄様と、今は亡きお父様とお母様のみだ。それ以外の方にこの能力を話したことはないはず。お兄様の親友が亡くなった夜会でも、協力してくれた男の子に悪夢の内容は話せど能力について詳しいことは話していない。
となると、身内の三人が秘密を話したと考えるのが妥当だ。だが、その可能性は低い。だって家族だもの。誰かの秘密を他人に話すような人達ではないことを、私が一番知っている。だから、三人が話したことは絶対に有り得ない。
しかし、それなら一体どうしてロイド様が悪夢について知っているのか——
……堂々巡り。
私は小さく息を吐いて、頭を冷やす。
うん、考えたって仕方がない。私一人では答えが出ないんだ。
「ロイド様」
彼の名を呼んで、私は席を立つ。
なんだい、と微笑む彼に、私は腕を組んで偉そうに言った。
「まだ肝心なことを教えてもらっていません」
見下ろしたロイド様に指を差し、少し……いや、多分かなり危ない橋を渡ろうと試みる。
「なぜ、私の能力を知っているのか。その理由を明らかにしてくれませんと、私は貴方を信じられません」
おそらく、はぐらかさられるだろう。私に情報経路を明らかにする利点はないもの。
それで構わない。重要なのは、わざと失礼な態度を取り、従順ではないことを示すこと。
現状、この交渉は私が不利である。私にはロイド様に優位に立てる切り札はない。だから、協力をするにはするが、せめて気持ちの上だけでも対等であることを伝える必要があった。
要は「舐めるなよ」というメッセージだ。
あくまでも対等な関係であることを示す一方で、これにはいくつかの欠点がある。
それは——
「……ふーん?」
ロイド様は見るからに不機嫌になった。眉間に軽く皺を寄せ唇を尖らせる様子は、明らかに怒っている雰囲気だ。
まずい、と冷や汗を掻く。
先程述べたとおり反抗的な女性を無理やり従わせるのが好きな殿方もいれば、一切逆らわない従順な女性が好きな殿方もいる。前者はともかく、後者は女性が男性と対等であろうとすると激昂する場合も多い。手を上げられることだってある。
ロイド様が後者だった場合、この状況は最悪だ。個室で、しかも助けを呼んでも人が来ない場所。もし身の危険を感じるようだったら、ティーカップを投げたりして時間を稼いで出口まで走って……
「別に教えても良いよ。だけど、条件がある」
私が最悪の場合を想定していると、拗ねたような声が聞こえてくる。
うん? と、ロイド様に目を向ければ、彼は私から顔を逸らし、ツーンとした表情で金髪を指で弄っていた。その様子は怒っているというよりも、いじけていると表した方が適している。
「……僕と」
声が小さく聞き取れなかったため、もう一度お願いしますとロイド様に頼む。
彼はちらりと私を見たあと、やはり顔を逸らして言った。
「僕と友人になってくれたら、教えてあげる」