03 悪夢の始まりです
今日は散々な目にあったと、私はため息を吐いて手当てしてもらった膝をさする。
一日の授業全てが終わった夜。私は寮の部屋にいた。
全寮制であるこの学園は、生徒一人一人に個室が与えられている。もちろん、爵位によって部屋の大きさは違う。私の実家程度ではベッドと勉強机の置き場所が確保できるぐらいの広さだ。人によってはドレスや本など嵩張るものが置けないと嘆いているが、私は不自由していないのでこの程度で十分だった。
ディナーも済ませ、あとは就寝時刻まで自由時間だ。普段なら寝る直前に今日の授業の復習をして、ほどよく頭が疲れたところでベッドに潜り込むのだが、今日はもう既にくたくたである。そんなことせずとも、ぐっすり眠れるだろう。
私は共同浴場で身体を清めたあと、急いで部屋に戻ってベッドに飛び込んだ。
灯りを消し、毛布で身体を包む。ぬくぬくとした感覚を楽しんで目を閉じれば、すぐ眠気が襲ってきた。
今日もきっと良い夢が見れるはずだ。
そう、できれば昨日の冒険の続きが良い。
星を呑むこむ化け物を退治する、あの英雄譚の続きを——……
*****
「未婚の女性が軽々しく男性に触るのはみっともなくて? ねえ、皆さま。そう思いませんか?」
わーわーわー。
中庭の薔薇が、二人の女性を囲っている。二人が立っている地面の土が盛り上がり、まるでサーカスの舞台のよう一段と高くなる。その円に沿うように観客達が集まり、思い思いにヤジを飛ばしていた。
「そうだそうだ! みっともないぞ」
「さすが愛人の子供! 卑しい者の考えは私たちにはわからないわ!」
先程発言した女性に同調する声がいくつも上がる。金髪を優雅に手で払い、女性——スカーレット嬢は対峙する小柄な乙女を嘲笑った。
「あらあら、皆さま。たとえ事実だとしても、そのような事仰っては可哀想ではありませんか」
ふふ、と扇で口元を隠し、スカーレットは乙女に近寄る。
スカーレットの装いは、まるで王族の舞踏会に出席するかのような豪華な物だった。装飾が凝った真紅のドレスを身に纏い、髪を複雑に編み上げ、美しい顔をさらに引き立てるよう化粧をしている。身につけている宝石がキラキラと光り、対峙する乙女を威嚇している。
「よろしいですか? 別に私は意地悪で指摘しているのではありませんのよ? あくまでも、貴族社会にまだ馴染んでいない貴方に、親切心で指導しているのですから。でないと、いつか恥をかくのは貴方なのですよ——ねぇ? アリス・ロウ・サビラン?」
幼い子供なら泣いてしまうような、あからさまな侮蔑の視線に、乙女——アリスはにっこりと笑った。
「いやだわ、スカーレット様。そんな怖い顔で指導だって言われても、説得力がありませんよ? 怒っているのかな、て勘違いしちゃうじゃないですか!」
ひゅー、と口笛が上がる。次いで、ぱちぱちぱちと観客の拍手が場を埋め尽くす。
アリスも着飾っていたが、その装いはとてもシンプルで、スカーレット嬢と正反対だった。
コルセットでウエストを絞り、フリルやレースがふんだんに付いた伝統的なドレスとは異なり、身体の曲線に沿うよう作られているドレス。白を基調としているのに安っぽい印象を受けないのは、光沢があるからだろう。目を凝らせばドレス全体に刺繍が施されているのがわかる。フリルやレースなどの装飾は少ないが、それがかえって洗練されたデザインとなっている。あれは、アリスの自作なのだろうか。
アリスは観客の喝采に一礼したあと、見惚れるような笑みを浮かべたまま、スカーレットの周りをくるくると踊るように歩く。
「それに触ったと言っても、殿下に借りたご本を返すとき、ちょっと指に触れた程度です。そんな些細なことでスカーレット様が怒るわけありませんが、そんなに目をつり上げてたら、よっぽど気に触れたのかなーと、心配になっちゃいますよー?」
——まさか、スカーレット様がそんな余裕の無いことするわけありませんよね?
アリスは冗談めいた声色で、公爵令嬢に問いかける。男爵令嬢は依然として笑顔であったが、その目は笑っていない。
スカーレット嬢が扇を片手で握り潰すと、観客から驚きの声が上がった。
「おおー、喧嘩だ!」
「面白い面白い!」
「良いぞ良いぞ! もっとやれ!」
下品な野次が飛び交う中、二人は睨み合ったまま動かない。
膠着状態を打ち消すかのように、観客席から一つの影がステージに飛び込んだ。
「二人ともそこまでだ!」
新たに舞台に登場したのは、正装を纏ったレオナルド殿下。お伽話の王子様のような格好をした彼は、渦中の二人に告げる。
「これ以上の言い争いはやめて、一度落ち着いてくれ。二人が衝突したところで、何の益もない。そうだろう?」
女同士の喧嘩を仲裁しようとする殿下に、スカーレット嬢が鼻で笑う。
「あらあら。レオナルド殿下はなんてお優しいのでしょう。このような身の程知らずをお許しになるなんて、私にはない器の大きさですわ。もっとも、それを発揮する時を選ぶのは、まだお得意ではなさそうですが」
スカーレット嬢の嫌味に、レオナルド殿下が困ったように眉を下げる。どこか疲れた態度で殿下はアリスに目配せしたあと、スカーレット嬢に向き直った。
「わかった。貴方の忠告は正しい。アリス嬢に関しては僕から注意しておこう。今回の件は僕にも非がある。僕の顔に免じて、ここは一旦引き下がってくれ」
殿下の言葉に、スカーレット嬢はぴくりと目を引きつらせた。アリスを庇うような発言が気に食わなかったのだろう。どこからともなく取り出した新品の扇を広げ、わざとらしくため息を吐く。
「殿下。そもそも貴方様には王族としての自覚が——」
「スカーレット様。この度は親切なご忠告ありがとうございました」
スカーレット嬢の発言を遮るよう、アリスは大きな声で礼を述べた。
眉を顰めた彼女からギロリと睨まれても、アリスは飄々とした態度でドレスの裾を掴み、頭を下げた。
「お忙しいスカーレット様とレオナルド殿下のお時間をこれ以上割くわけにはいかないため、私はこれにて失礼させていただきます。今回のことは良いお勉強になりました。今度は注意されないよう、気をつけますね?」
最後の最後に、スカーレットを馬鹿にするかのように笑って、アリスは舞台から飛び降りていった。
次に、彼女の後を追うよう、レオナルド殿下がステージから降りようとする。
そんな彼に、スカーレット嬢が声をかけた。
「殿下。私とアリス嬢。どちらが悪いとお考えですか?」
その問いかけに、殿下は答えなかった。
スカーレット嬢は大きくため息を吐く。扇を握る手は弱い。
いつの間にかいなくなった観客達。一人となった舞台の上で、照明を浴びたスカーレット嬢はポツリと呟く。
「貴方様は、私のことを理解してくださらないのね」
照明がバタンと消え、周りは闇に支配された。
*****
——……なんだあの悪夢は。
呆然としたまま、むくりと起き上がる。目覚めは最悪だ。部屋に差し込んだ朝日が眩しい。なんだか頭痛がする。頭が痛いまま、顔を洗うため呼び鈴を鳴らす。寮の侍女からもらった冷水で顔を叩いてようやく、現状を確認できた。
「もしかして、また視えてしまったのかな……」
タオルで顔を拭きながら、最悪の事態を想定する。
もしかしたら、だ。本当に、万が一の可能性。普通なら、思いつかないこと。でもきっと、おそらく、あり得ること。
——今日の昼か放課後、学園の中庭であの夢が再現される。
私が今後、熟睡できるかどうかは、それ次第だった。