10
さっきまでこの家の中に漂っていた妖気は消え去っている。
今はただ、倒れている籠女から弱々しい気が感じられているだけだ。
「この人は……小鳥遊籠女さんとは誰なんですか?」
響は立ち上がり、もう一度訊いた。
「結局、思い出せなかったのね」
ぶっきらぼうに雅緋が言う。その表情からは何を考えているのかは読み取れない。
「やはりボクの知っている人なんですね? ボクが思い出すべき人だったんですね?」
「いいえ、どっちが正しいことだなんてことじゃないのよ。思い出しても、思い出さなくても、それだけの話しってだけよ」
「それで? 籠女さんは?」
「だから思い出す必要なんてないと言っているのよ」
雅緋は冷たく突き放す。
「でも、ボクは知りたい」
「そう。でも、私に聞いても無駄よ。私は詳しい事情を知らないから」
「知らない? でも、それを知っていたからこそ、ここにボクを連れてきたんじゃありませんか?」
「いいえ、私はただ案内しただけ。そして、あなたが妖かしに対処出来なかった時のために待機していただけ」
「じゃあ、誰が知っているんですか?」
「そんなことを聞いてどうするの?」
「ボクは自分の過去を知らなきゃいけない」
「自分? それって違うんじゃないの?」
「違う?」
「あなた、誰なの?」
「誰?」
「草薙響なの? それとも別の人?」
一瞬、響は戸惑いながらーー
「ボクは草薙響……だけど、もとは玄野響という陰陽師だ。ボクは玄野響としての自分を知らなきゃいけない」
「それってただのあなたのワガママでしょ?」
「いけませんか?」
「そうね。いいえ、それをあなたが自覚していればいいのかもしれないわね。私はあなたじゃないし、あなたの本当の気持ちなんてあなたにしかわからない」
「それは……そうですが」
「冷たい言い方をすると思っている? 私は私なりにあなたの立場というものが少しはわかるつもりよ。知っているかもしれないけど、私の中にももうひとつの存在があるのよ」
「呉明沙羅さんですよね」
「沙羅を私の中に受け入れることによって、きっと私は元の私ではなくなった。沙羅の記憶と私の記憶は融合し、性格だって好みだって変わった。時々、自分が何者なのかわからなくなることだってあるわ。でも、それが幸せか不幸せかなんて、何と比較して決められるの?」
「それはーー」
「違う違う。答えてほしいわけじゃないのよ。くどいようだけど私とあなたとは違う。だから、私はあなたの幸せについて何も言わないわ。でも、私は存在しない未来と比較して自分の今を嘆くつもりなんてない」
「嘆いているつもりはありません」
「それなら今の自分を受け入れたら?」
「音無さんは迷うことはないんですか?」
「迷っている時間なんてないわ。あなただってそうなんじゃない?」
「ボク?」
その時――
強い霊力が家全体を包んでいることに響は気がついた。
「時間だわ」
そう言うと、雅緋は響の襟首を掴んで窓から外へと飛び出した。響たちが家から飛び出すと、霊力はさらに強くなった。
雅緋は門の外へ飛び出し、響を放り投げた。
家の周囲に強い霊気が張り巡らされていることを感じる。
またたく間に空間が歪み、家ごとその歪んだ空間へと消えていく。




