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悪の問題〜あるいはYの悲劇’18〜  作者: 若庭葉
第五章:晦冥を飛ぶ
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暴かれた世界

「まさか、ここまで何もかも言い当てられるとは思わんかったわ。外におる二人の姿は見えんかったはずやって指摘された時は、言い逃れできる自信あったんやけどなぁ」

「確かに、あれだけでは証拠にはならないでしょうね。俺もその話を聞いた時点では、多少違和感を覚えた程度でしたから」

「すぐそこに気付く時点で、十分勘がええと思うけど……。そう言えばペンキと斧のことやけど、どうしてホンマに見立てやってわかったん? 一度自分で否定しとったのに」

「それこそ勘ですよ。大して根拠があったわけではありません」

「ふうん、ホンマに? ──まあ、ええか。渾身の見立てがスルーされへんかっただけでもよしとするわ。ミクちゃんが日和ったせいで、中途半端になってもうたからなぁ」

「話は変わりますが、畔上を殺したのは、彼が『亡霊』を見てしまったからで間違いないですね?」

「せやで」

「畔上は『亡霊』の正体が矢来さんであることと、矢来さんが怪我をしていることに気付いてしまったんだ。そして、矢来さんを心配するあまり、そのことを本人に打ち明けて来たんじゃないですか?」

「そうそう。あの時は焦ったわ。やっと()()()()()()()()と思ったのに、いきなり頓挫しそうになったんやから。──ホンマは『亡霊』云々の話自体、誰にも知られん方がよかったんやけど」

「畔上が日々瀬のいる前で話した為に、隠しおけなくなってしまった。だから、自ら若庭に説明したんですね?」

「なんでもお見通しやね」

「……あの花束とスケート靴は、まだこの部屋に?」

「ああ、そのクローゼットの中や。……まあ、しまってあるのは、()()()()()()()()()けどな」

「なるほど、それではやはりあれは……」

 ──嘘だ。信じたくない。

 と言うか、まだまだ納得のいかない点が幾もあった。

 なのに、僕が茫然としているうちに、二人の間で話が進んで行く。

 そのことに気付いた僕は、ようやくそこで、彼らの会話を遮ることができた。

「ま──待ってください! ……おかしいじゃないですか。どうして須和子さんが電話を壊す必要があるんですか? 畔上を殺した理由が、『花束を持って戻って来るところを見られたから』だとしたら、その時点ではターゲットは山風だけだったわけですよね? だったら、さっき緋村が言ったように、その場合僕たちを閉じ込めようとする意図が不明だ。──そもそも、山風を殺す動機がわからない。いや、そんな物あるはずがないじゃないか。なのに、一日目の夜の時点でもう犯行の準備を進めていたなんて……」

 自分でも、うまく整理して話せていないことに気付き、言葉に詰まる。

 しかしそれでもやめることはできず、僕は彼を睨め付けた。

「緋村。君はさっき、答えをはぐらかしていたことが幾つかあったよな? ──その説明を聴けない限り、僕は君の推理を受け入れられない」

「……わかってる。言われなくても、全て話すつもりだ。──いいですね?」

「うん。こうなったらもうしゃあないわ」

 彼女の了承を得た緋村は、話を整理する為かわずかに間を置いた後、

「……そもそも、矢来さんは何故あの夜《バブルランド》にいたのか。彼女に何が起こったのか、そこから話すべきかな。と言っても、例によりこれは俺の想像に過ぎませんから、もし何か間違いがあったら指摘をお願いします」

 そう前置きをし、緋村は語り始めた。

「まず断っておくと、あの夜矢来さんは犯行の準備をしていたわけじゃない。それどころか、その時点ではまだ事件を起こすつもりなんて微塵もなかったはずだ。

 それでは何故、矢来さんは電話を壊し、二人を殺害するに至ったのか。──その話へ移る前に、一つ確認だ。順一さんが、Yへの復讐を目論んでいたと言うのは覚えているだろ? 石毛さんは彼に協力するつもりで毒薬を用意し、復讐を見届けようと《GIGS》の合宿に合わせて投宿した。しかし、復讐を果たす前に、順一は亡くなってしまったわけだ。──矢来さんは知らないでしょうが、順一さんの本当の死因はどうやら病死、それも俺が思うに心筋梗塞だったようです。そして、左胸に刺さっていたナイフの刃は、弥生さんたちが彼の死を修正する為に、埋め込んだ物でした」

 須和子さんは少しだけ意外そうな顔をしていた。が、すぐに合点がいった様子だった。「やっぱり、『他殺に見せかけた自殺』って言うのはフェイクやったんや」

「ええ。──かくして、順一さんの目論見は潰えた……ように()()()()

「どう言う意味だ?」

「本当は違ったんだ。順一さんはやはり一日目の夜、()()()()()()()()()()()。──それも、ある大きな()()()をしたまま……。つまり、この時彼は、自分が復讐すべき相手を間違えていたんだ」

「──まさか!」

 瞠若した僕の視線の先で、緋村の指が、今度は色の付いた道化師を撫でた。

「そう。順一さんはYの正体を、()()()()()()()()()()()()()んだよ」

 ──馬鹿な。そんなこと、あり得るのか? 殺したいほど憎んでいた相手を、取り違えるだなんて。

「信じられないって顔だな。無論、俺だって突飛なことを言っている自覚はある。だが、どうもこの馬鹿げた考えは現実らしい。──そうですね?」

 果たして、須和子さんは頷いた。

「せやね。だからこそ、オーナーさんは私を()()()()()()んやろう」

「殺そうとした⁉︎ ──それじゃあ、須和子さんが怪我を負ったのは」

「……その時や」

 本当なのか? 本当に順一さんは、ターゲットを勘違いしたまま復讐を? ──いったい何故……。

「Yはキヨカさんの元クラスメイトだ。順一さんも石毛さんも、当然彼女は今年で四回生になると思っていた。よって、毎年ここで夏合宿をする《GIGS》の部員と面識があった順一さんは、矢来さんがこそがYだと考えたんだ。──八月一日に復讐に使う為の毒薬を石毛さんから受け取っていたと言うことは、その時点ですでに心当たりがあったわけだな。《GIGS》にはイニシャルがYの女子部員がいて、確か彼女は今年四回生になるはずだ、と」

 だとしても、山風の様子から彼女がYだと察することはなかったのだろうか?

「……俺が思うに、そもそも順一さんは山風の名前を別の名前と勘違いしていたんだろう。つまり、彼の中で山風のイニシャルは()()()()()()()んだ」

「じゃあ、何だと」

「『嵐』、じゃねえかな。たぶん」

「あらし?」

「ほら、山風は自分の名前を書く時、『山』の字を小さく書く癖があっただろ? だから『山』と『風』の二文字じゃなくて、『嵐』一文字が苗字だと思ったんだ。おそらく彼女の荷物を運ぶのを手伝った時に、鞄に貼ってあった名札を見て勘違いしたんだろうな。あの名札には、()()()()()()()()()()から」

 そう言えば、山風のボストンバッグは順一さんが運んであげていたな。確かにそれなら間違えてもおかしくはない──山風と言う苗字に比べたら、嵐の方がまだ一般的だろう──かも知れないが、それでもまだにわかには信じ難かった。

「一応もう一つ根拠を示しておくと、飲み会の時の順一さんの発言からもそのことが窺える。石毛さん曰く、順一さんは嵐を気にかけて『心配やなぁ』と呟いていたらしい。これは、実際には『()()()、心配やなぁ』って言っていたのかも知れない」

「つまり──順一さんが気にしていたのは、外の暴雨ではなく、山風のことだった……?」

「そう考えることもできる。彼女はキヨカさんの写真を見てから、ずっと気落ちした様子だったんだろ? だったら、それを見た順一さんが心配になってもおかしくはない」

 それは、そうかも知れないが……。

「加えて、その後の会話の件もある。順一さんの言葉が天気を指していると思った石毛さんは、『今年のは災害級やから』とあいの手を入れたそうだが、すると順一さんはこう返した。『ああ、昼間暑かったせいかも知れへんなぁ』と。──この返し、少しチグハグだとは思わないか?」

 ──言われてみれば。確かに、「昼間暑かった」と言う部分が唐突すぎる。

「これまた大した根拠はない話だが、順一さんは石毛さんの言った『災害級』と言う言葉を、()()()のことを指しているのだと解釈したんだと思う。今年は大雨の被害も甚大だったが、熱中症による死者数も多かったからな。ニュースなんかでもよく言われていただろ? 『災害級』だって。──で、その時の山風は今言ったような元気がなさそうに見えた。だから、『彼女は昼間の暑さにやられて弱っているんじゃないか』と言う意味のコメントだと捉えたんだろう。──さすがにここまで来るとこじ付けが過ぎるな」

 そう言って、自嘲するような笑みを見せた。

 まさしく、壮大なこじ付けだ。そう思うと同時に、妙な説得力を感じたのも事実だった。

 真偽のほどは定かではないが──十分にあり得ることなのではないか、と。

 無論、それと須和子さんが犯人であることを認めるか否かは、また話が別だが。

「とにかく、順一さんは山風を嵐だと勘違いしていた、と言う前提で話を進めさせてもらおう。──彼の襲撃を受けた矢来さんは、そこで一度意識を失ってしまったんだ。そして、それを見て死んだと判断した順一さんは、()()を遺棄する為にある場所へ向かった」

「それが、《バブルランド》だったって言うのか?」

「ああ。だからこそ、矢来さんは一日目の夜中に廃墟にいたわけだ。謂わば、死体として運ばれて行ったんだな。その際、おそらく順一さんは、()()()()()()を使ったんだろう」

 その言葉を聞いた僕は、あの時の違和感の正体に気付く。手押し車には昨日僕たちが拵えた薪を乗せていたはずだ。そして、その薪は別棟の倉庫にしまってあった──にもかかわらず、手押し車だけが何故か母屋の裏手に放置されていた。外の喫煙所から母屋に戻る時、僕はそのことに違和感を抱いたのだろう。

「ついでに言うと、当然ながら、順一さんはその時合羽を着ていたはずだ。あのビニール合羽を。そして、犯行後彼はそれを()()()()()()()()()()()んだと思う。写真の裏にあんな犯行声明とも取れるメッセージを遺すくらいだし、順一さんはあまり自分の犯行を隠す気はなかったんじゃねえかな。それどころか、積極的に自分から犯人であろうとしたのかも知れない。まあ、今はもう、ただ想像することしかできないが……。

 いずれにせよ、あの大雨の中死体を棄てに行ったのだから、合羽を着ていたのは確実だ。となると、当然それはずぶ濡れになった」

「それで?」

「お前の疑問の一つに、『何故矢来さんはそこまで手の込んだトリックを用いて、犯行道具を遺棄したのか?』ってのがあっただろ? その答えだよ。──矢来さんは、()()()()()()()()()()()()()()()()()。その為には、どうするのが手っ取り早いか」

「──濡らすこと、か。だから……」

「だから、どうしても()()()()()()()()()()()()()。これがあんな綱渡りのトリックを実行した理由──だと、思ったんですが、どうでしょう?」

「正解や」須和子さんは満足げに答える。

 しかし、いったいどうしてそこまでして、濡れているのを隠したかったんだ?

 思わず疑問を口にすると、

「だって、台なしになったら嫌やん。せっかく()()()()()のに。もしそこからあの夜あったことが露呈してもうたら、私は犯人やなくて被害者に戻ってまうかも知れん。そんなん、不粋やと思わん?」

「な、何を……言っているんですか……?」

「あれ、理解できひん? まあ、普通はせやろうな……」

 呟く彼女の瞳は、何者も映っていないように見えた。ただ、果てしなく落ちて行ってしまいそうな深淵だけが、そこにあった。

 二つの虚無への入り口が。

 それ以上何も問うことができず僕は口を噤んだ。

 入れ替わるように、再び緋村の無味乾燥な声が響く。

「別棟の廊下は土足なので、すでに他の人の靴の跡で汚れていたはずだから、水が滴るのを気にする必要はなかった。また、『練習室1』の方は、水滴の痕跡が目立ち難くなるように、血とペンキで誤魔化したんですね? むしろ、あの見立ての本当の狙いはそこで、山風に赤ペンキをぶち撒けさせたのもその為だった」

「咄嗟の思い付きにしてはよくできとったやろ?」

「ええ。かなり周到でしたね。──畔上のスマホで写真を撮る時も、濡れていることがわからないよう、サンダルに寄って撮影するほどですから。まあ、そこまでしなくともカーペットならさして目立たなかったとも思いますが」

 おそらく、そうなのだろう。彼の言うとおりだ。──僕は酷く無気力な感覚に苛まれた。

「話は変わりますが、廃墟から戻る際矢来さんの靴がなかったのは、自室にいるところを襲われたからですね? マスターキーを管理していた順一さんであれば、客室に浸入するのは容易だったでしょう。──そして、手押し車によって運ばれた為、帰りはスケート靴を履くしかなかった」

「あれにはホンマに驚いたわ。ちょうどシャワーを浴びようとしとってな。そしたら人の気配がして、慌てて振り返りかけたところでブスリや。ヒッチコックの映画みたいやろ?」

「では、やはり矢来さんは()()()()んですね?」

「せやねん。やばない?」

 須和子さんが微苦笑と共に応じる。世間話でもするかのような言葉の軽さが、かえって異様に思われた。

 ──しかし、本当に刺された上で廃墟に棄てられたのなら、当然それなりの出血があったはずだ。演技をしていたとしても、あそこまで普段どおりに振る舞うことができるものだろうか?

 そして、なにより、須和子さんの怪我はどの程度の物なのか。見たところ、腕を上げさえしなければ、痛みもないようだが……。

 その疑問を口にするよりも先に、緋村がこんなことを尋ねる。

「順一さんが用いた凶器は、()()()()()()()だったのでは?」

「そこまでわかるんやな。実は盗撮でもしてたんとちゃう?」

「だとしたらもっと早く真相に辿り着いてますよ。ただの勘です」

 面白くもなさそうに切り返す。

 折り畳みナイフと言われると、順一さんの左胸に埋め込まれた物を思い出すが……。もしや、須和子さんを突き刺したのも、あの冷たい刃だったのか?

「……気になる?」

 考えが顔に出てしまっていたのか、そう尋ねられる。

 僕は戸惑いながらも、「は、はい……」

「やったら、見せてあげようかな。もう、隠す意味もないんやし」

 彼女はカードを(わき)に置いて立ち上がり、僕たちに背中を向けた。

 かと思うと、徐にパーカーのファスナーを下ろし始める。いきなりのことで面喰らう間もなく、彼女は上着をはだけさせ、白皙たる両肩を露わにさせた。

 普通であれば、下着の上に直にパーカーを着ていたことに驚くのだろうが、そこに現出したある()()が、それを許さない。降り積もった新雪の如き白い背中──ちょうど一対の肩甲骨の真ん中辺りに、何かが()()()()()のだ。

 ──純白を冒すそのドス黒い物体が、()()()()()()()()()()()()()であることに気付くのに、数秒を要した。

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