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「そ、それじゃあ君は、犯人は花束だけではなく、スケート靴も一緒に持ち帰っていたと言うのか……? ──いったい何故」
「履く物がなかったからだろう。自分の靴がなかったから、仕方なくスケート靴を履いて合宿所まで戻って来たんだ。ガラス片やら何やら落ちているだろう廃墟の中を、裸足で歩くわけにはいかないからな。
それと、畔上が見た『亡霊』がフラ付きながらやけにユックリ歩いていたのも、おそらくこの為だ。『亡霊』はスケート靴を履いていたせいで、うまく歩けなかったんだな」
何故そんな突飛なことを断言できるのか。だいいち、履く物がなかったなんて、おかしいだろう。外に出ていたのに。
「その点に関しても、後でまとめて話そう。これまで後回しにして来たことは、実は全て繋がっているからな。──とにかく、今はロジックを先に進めさせてもらう。
電話を壊した犯人は、怪我をしているか何かで腕を上げられない為、斧が使えなかった。と言うことは、今度は腕を上げる動作ができない──今朝以降それをしていない人間を探せばいい。……そして、意外なことに、この条件に当て嵌まるのは、実はたった一人だけだ」
本当だろうか? 甚だ疑わしい。
緋村は「順番にいきましょう」と、僕たちを等分に見据えた。
「まず、俺と若庭に関して。知ってのとおり、俺たちは斧を使って順一さんの部屋のドアを壊しました。斧を振り上げることができるのだから、もちろん犯人ではありません」
当然だ。少なくとも、僕が犯人じゃないと言うことは間違いない。
「続いて、一気に三人が犯人候補から脱落します。佐古さんと湯本、そして日々瀬の三人は、スイカ割りに参加していました。棒を振り下ろす動作をしているわけですから、こちらも条件には当て嵌まりませんね」
「木原さんはどうなんだ? あの時、木原さんの番が来る前に僕がスイカを割ってしまったから、彼が腕を上げられるかどうはわからないんじゃないか?」
「確かに、木原さんはスイカ割りをしていない。──が、その後でバンドの練習に参加していた。怪我をして腕を振り上げられない人間に、ドラムなんて叩けるはずがない」
「ああ……」と、間の抜けた声が漏れ出る。
「次に弥生さんですが、若庭が塩を借りに行った際、彼女は食堂の棚の上に救急箱を戻していたそうです。当然腕を上げていたので、彼女も犯人ではありません。
また、石毛さんも違います。石毛さんは例のキヨカさんの写真を入れ替えたそうですし、実際俺たちの目の前で両腕を上げて、写真を外そうとしていましたから」
これで、須和子さん以外の容疑者が候補から外れたことになる。
しかしながら、電話を壊した人物で考えれば、畔上や山風がやったと言う可能性だってあるはずだ。
「どんな理由かはわからないけど、二人のうちどちらかが電話を壊したのかも知れない。想像できるってことは、実際にあり得ることなんだろ?」
「ああ、そうだな。──安心しろよ、ちゃんと全員分考えてある。
まず話に挙がった畔上だが、彼は弥生さんが写真を戻すのを手伝ったんだろ? と言うことは、腕を上げられたことになる。手伝ったって言うと大袈裟な気がするが、要するに彼女の代わりに壁にかけ直してやったってことだろうからな」
「じゃあ、山風は? 彼女はほとんど部屋に引き籠っていたんだ。そんなこと確認できる機会はなかったと思うけど。──まさか、死体に外傷がないのが証拠だとか、言うんじゃないだろうな。君は所詮素人だし、現場検証の時も死体を隈なく調べてはいなかった。そもそも、電話を壊した人物が怪我をしているって言うのは君の想像に過ぎないわけで、傷の有無では判断できないだろう」
「そんな物見る必要はない。山風も俺たちの前で腕を上げる動きをしていたじゃねえか。ほら、一階の喫煙所に彼女が顔を見せた時のことだ。あの時──山風は大きく伸びをしていた」
──そう言えば。
確かに降りて来た彼女は、眠たそうに伸びをしていた。それから、昨夜はあまり寝付けなかったと誤魔化すように笑っていたのを思い出す。あんなどうでもよさそうな出来事、よく覚えているな。
「さて、これで残るは矢来さんただ一人です。そして、俺の記憶が間違いでなければ、矢来さんは今朝以降一度も腕を上げる動きをしていない。つまり、ここにいる人間の中で、唯一犯人たる資格を備えているわけです」
反応を窺う為か、そう結んだ彼は、昏い黒眼で彼女を見下ろす。
なんてことだ。電話の壊し方などと言う些細な手がかりから、本当にたった一人の人間に辿り着いてしまうなんて。
不思議だ。不気味にさえ思える。
この事件において、何よりも謎ですであるのは、実はこの男の存在ではなかろうか?
愕然とする僕の視線の先で、「探偵」は再び口を開いた。
「……さらに言えば、今朝食堂に集まった時から今まで、矢来さんが椅子にもたれているところを一度も見ていません。これは、背中に怪我を負っている為、もたれかかることができなかったからではありませんか? だから、仕方なくずっと頬杖を突いていたんですね?」
この問いに須和子さんは答えない。彼女は顔を俯け、手の中の女王たちを無言で見つめる。
僕は堪らず、最後の抵抗に出た。
「まだだ。まだ……順一さんが残ってる。殺人犯かどうかはともかく、電話を壊したのは彼だったのかも知れない。その可能性を消せない限り、須和子さんの仕業だと断ずることはできないはずだ」
「……言っただろ、全員分考えてあるって。──順一さんも腕を上げることはできた」
「……根拠は何なんだ?」
「『虚無への供物』だ。弥生さんたちが順一さんの遺体を発見した時、その傍らには『虚無への供物』が転がっていた。だから二人はそれをハンマー代わりに使ったんだ。──と言うことは、亡くなる直前まで彼はそれを読んでいたことになる。そして、『虚無への供物』は元々本棚の最上段にあった。斧を使えなかったってことは、犯人はどちらか片方の腕を振り上げることすらできなかったわけだ。そんな人間が、壁一面を埋めるような本棚の最上段から、本を取り出せたとは思えない。無論、椅子か何かを踏み台にするとしても、だ」
「でも、彼自身が本を取り出したとは限らないじゃないか。本当は石毛さんか弥生さんが取ってあげて、それを読んでいたのかも知れない。可能性としては別にあり得なくはないはずだ。──それに、『虚無への供物』を出した時は怪我をしていなくて、その後で腕が上がらなくなったのかも知れないだろ」
「だとしても、順一さんが電話を壊すのはおかしい。廃墟に花束を供えたのは、他ならぬ順一さん自身なんだぜ? なのに何故夜になってそれを持ち帰るんだ? それも、よりによってあんな嵐の中。──電話を壊した人間=花束を持ち帰った者である以上、花束を持ち帰る理由がない彼は、電話を壊してはいない」
「屁理屈だ」
「そうだな。しかし、覆せないのなら屁だろうが糞だろうが事実だ。
ついでに言っておくが、そもそも順一さんには電話を壊す理由がない。──彼はどうやらYへの復讐を目論んでいたようだが、この場合彼のターゲットは一人だ。電話を壊し、俺たちを閉じ込める必要はなかった」
「それは──元々自殺するつもりだったからじゃないのか? つまり、かつて君が語った偽の推理のように、自分自身も対象に含めた復讐だったとしたら」
「それでも電話を壊す必要はねえだろ。もし順一さんが、Yを殺した上で自分も死ぬつもりだったとして、幾らでも時間はあっただろう。そもそも、やろうと思えばどちらも一日目の夜のうちに決行できたはずだ。その方が手っ取り早いし、初めから死ぬつもりなら、尚のこと他の人間を閉じ込めておく意味はない」
──なす術がない。どんな弾を放っても、擦り傷一つ付けられずに叩き落とされてしまう。
闇の中を突き進むこのイカロスを、僕は止められない。
「無論、自分の推理が危ういバランスで成り立ったいることなど、重々承知の上です。矢来さんが斧を扱えることがわかれば、それだけで全てが崩れ去る。……ですから、もし俺の推理を否定するのであれば、今ここで、両腕を上げてみてくれませんか?」
その言葉に、僕は一縷の希望を見出した。
そう、たったそれだけの話なのだ。須和子さんがここで腕を振り上げるだけで、緋村のこじ付けがましいロジックは土崩瓦解する。
さあ、早く──僕は懇願するような思いで、彼女を見つめる。
──しかし。
どうしたわけか、彼女は身動ぎ一つしない。
ただ、軽く目を伏せたまま、穏やかな笑みを湛えていた。
「須和子、さん……」
僕は、その名を呼ぶことしかできなかった。
すると、それに応じるかのように、白い両手がユックリと持ち上がり始める。
それを見て、僕は安堵した。やはり、彼女は犯人ではなかった。緋村の推理は間違っていたのだと。
──彼女がわずかに顔をしかめ、その手が胸の高さで止まるまでは。
「……あかん、やっぱりこれが限界や。こんなことで負けてまうなんてな。──ご明察のとおり、私が二人を殺した」
須和子さんは苦笑していた。平時と変わらない、屈託のない表情で。