Black Sunshine
「須和子さんには、浴場に合羽と包丁を持ち込む機会がなかったじゃないか。君の言った方法なら自動的に山風を自殺させられたかも知れない。けど、合羽と包丁を湯船に棄てることはできなかったはずだ。──山風のトートバッグは小さい上に荷物が詰まっていた。と言うことは、彼女に持ち込ませることも不可能だったわけだろ?
日々瀬の証言によれば、彼女が浴場を利用していた時、そんな物はどこにもなかったそうだ。当然だけどな。──となると、合羽と包丁が遺棄されたのは、彼女が風呂から上がってから、山風の死体が発見されるまでの間と言うことになる。──何度も言われているように、この時間、須和子さんはほとんど常に誰かと行動を共にしていた。一応、食堂での集まりが解散した後、山風の部屋を訪れるまでの間はアリバイが曖昧だけど、君の話だとその辺りで狂言自殺の打ち合わせをしていたんだよな? それだけの時間で、犯行道具の遺棄までできるとは思えない」
緋村はこちらを見向きもしないが、僕はそんな態度に負けじとその横顔に視線を送る。
「答えられないのか?」
「……いや、その方法も見当が付いている」
無機的な声音で、彼は続ける。
「これも、靴の時と同じで分割して行ったんだ。──まず、畔上を殺した後、矢来さんは合羽と包丁をゴミ袋に入れ、先に脱衣所内のある場所に隠しておいた。それは、使用したタオルを入れる籠の中だ。上からバスタオルでもかけておけば、まずバレる心配はない。使用済みのタオル入れなんて、漁る人間いるわけがないからな」
「けど、弥生さんがタオルを回収しようとしたらすぐにバレるんじゃ」
「だから、そうなる前にさっさと行動に出たのさ。──矢来さんのしたことはこうだ。今言ったように、犯行後すぐ合羽と包丁を脱衣所に隠してから、今度は山風の行動を操る為の策を始動させた。そこからはさっき言ったように、彼女に手を差し伸べるフリをして、靴を盗んだわけだ。で、おそらくこの時、矢来さんは山風の部屋の鍵を借りていて、最初に盗んだ物はさっさと彼女の部屋に運んでおいたのだろう。──しかし、木原さんの物はそうするわけにはいかず、死体発見後、母屋に報告に向かう際に回収することにした」
花壇の縁を伝い玄関へと回り込んだ、と言う奴か。
「が、本当はそれだけじゃなかった。別棟を出た後、矢来さんはすぐには母屋に向かわなかったんだ。外に出ると例のコンクリートの部分を歩き、倉庫の外へと回り込んだ。そして、その時倉庫に隠れていた山風に窓を開けさせ、新たな指示を出した。『一足だけ盗めなかった靴がある。これからそれを盗んで、脱衣所のタオル入れの中に隠すから、後で母屋に戻った時に回収しておいてくれ』と。──当然、彼女は言われたとおりにしました。脱衣所の洗面台のハンドルにペンキの汚れが付着していたのがその証拠です。指示どおり木原さんの靴を回収する際に、彼女はそこで手を洗ったのでしょう」
「たったそれだけのこと、大した根拠にはならないだろう。それに、君の言ったとおりなら、山風が木原さんの靴を回収した時に、合羽と包丁があることに気付いてしまうんじゃないのか?」
「いや、その心配はない。──何故なら、その時にはすでに、合羽と包丁は湯船の中にあったからな。つまり、矢来さんは木原さんの靴を隠す時に、代わりに合羽と包丁を取り出し、湯船に棄てておいたんだ。急いで部屋に戻りたかったであろう山風が、わざわざ浴場を覗くはずなんてないし、日々瀬はすでに風呂から上がっていた。これなら誰かにバレる心配なく、山風を犯人に仕立て上げる為の『証拠品』を仕込んでおくことができる」
これまたややこしい話である。酷く回りくどい上に、綱渡りだ。
「それが事実だとして、どうしてそこまで手の込んだことをする必要があったんだ? 『現実の事件の犯人がそこまで凝ったトリックを使うはずがない』って言っていたのは、他ならぬ君だ」
「そんなことも言ったな。──しかし、裏を返せばそれだけの理由があったとも言えるんじゃないか?」
「いったい何なんだ? それは。無論、考えがあるんだよな?」
「ああ。──だが、それは後で話すとして、矢来さんに訊いておきたいことがあります。犯行を認める気は──ないですよね?」
「そりゃそうやろ。緋村くんの話はおもろかったけど、どれも大して証拠があるわけやない。うちが犯人やと考えた理由も、言動に少し不自然なところがあったかもってだけやし。それに、うちはもっとロジカルな方が好みやねんけど」
「……では、ご要望どおり、もう少し論理的な話をしましょう」
「へえ、ちゃんとした推理もあるんや。──それとも、また想像の翼を広げるつもりなん? いいかげん、その翼が蝋でできとることに気付いたほうがええと思うけど」
「問題ありませんよ。俺たちの向かう先に、太陽なんてないでしょうから」
その言葉に、僕は夢の中で目にした光景を思い出す。
あの、果てなき闇を。
彼は──晦冥を飛ぶつもりなのか?
「まず前提として、了解してもらいたいことがあります。それは、『電話を壊した人物こそが、畔上と山風を殺した犯人である』と言うことです」
今更どうしてそんな当たり前のことを言うのだろう。事件の犯人以外に電話を壊すような人間がいるわけがないじゃないか。
そう答えると、
「本当にいいんだな?」
何故か念を押される。
「これは、実は結構重要な点なんだ。だから後になって否定されないよう、先に根拠を示しておこう。──そもそも、電話を壊した人物は、何が目的でそんなことをしたのか。考えられるのはただ一つ。俺たちが助けを呼べない状況にする為だ」
「まあ、そうだろうけど……」
「そうなって来ると、自ずとある事実が浮かび上がる。すなわち、その人物は電話を壊すだけで俺たちを閉じ込めることが可能だと知っていた、と言うことだ」
なるほど、確かに自明の理だろう。──しかし、だから何なんだ?
「電話を壊すだけでいいってことを把握していた以上、その人物は、土砂崩れがちょうど携帯の繋がらない地点で起きたのを知り得たことになる。と言うことは、その人物は土砂崩れの起こる瞬間を間近で目撃したとしか考えられない」
「つまり……その誰かは昨日の夜中に、外──あの道にいたって言いたいのか?」
「そうだ。そして、そこにいたってことは、こう考えるべきだ。土砂崩れを目撃したのは、《バブルランド》の廃墟から帰って来る途中だった、と。──道の先にあるのはあの廃墟だけだ。そして土砂崩れの瞬間に立ち会ったのだから、そうとしか思えない」
「いや、そうかも知れないけど──でも、どうしてそんな夜中に廃墟に行っていたんだ?」
「そこに関してもいったん後回しにさせてもらう。──とにかく、電話を壊した人物は土砂崩れの瞬間を目の当たりにした人間であり、それは廃墟からの帰り道だった。そして、あの夜、畔上が『亡霊』とやらを目撃したのは、土砂崩れが起きたと思われる時刻のすぐ後だ。つまり、その『亡霊』こそが電話を壊した人物だった可能性が極めて高い」
「まあ、畔上が殺されたのは犯人にとって都合の悪い物を見てしまったせいだろうから、『亡霊』=犯人だと考えるのが自然だな」
「それだけじゃない。畔上曰く、『亡霊』は人の生首のような物を持っていたそうだが、あれは、本当はプリザーブドフラワーの花束だったと思われる。この花束は、一日目の午後に順一さんが廃墟へ供えに行っていた物だ。佐古さんたちが、その姿を目撃したんだよな? と言うことは、それを持っていた以上、『亡霊』は廃墟に行っていたことになる。つまり、順一さんが供えた花束を持ち帰ったわけだ。
そして、第二の事件現場に遺されていた薔薇は、実はプリザーブドフラワーだった。これらのことから、次のロジックが成り立つ。一、畔上を殺した犯人は、廃墟からプリザーブドフラワーを持ち帰った人物である。二、畔上の目撃した『亡霊』は、その花束を持っていた。つまり、犯人は『亡霊』である。三、あの夜花束を持ち帰っていたと言うことは、『亡霊』は廃墟に行っていたことになり、土砂崩れを目にする機会があった。すなわち、電話を壊したのは『亡霊』である。──以上のことから、殺人犯は電話を壊した人物である」
ロジック──そう呼ぶにはいささか大袈裟なように思えた。どうして彼は、こんなわかりきったことを長々と語ったのだろう?
もしや、本当は推理が固まっておらず、考える時間を作る為にわざと遠回りをしているのではあるまいか。先ほども肝心な部分をはぐらかしていたし、あり得なくはない。
そんな風に勘繰っていると、例によりこちらの思考を見透かしたかのように、
「安心しろよ、着地点はもう見えている」
暗闇の中でもか? そう聞き返してやりたかった。
「ようやく『論理的な話』をしてくれるん?」
「ええ。──改めて言いますが、畔上と山風を殺した犯人は、電話を壊した人物です。であれば、今度は電話を壊したのが誰なのかを考えれば、自ずと犯人の正体がわかる……。──さて、ここで一つ質問だ」
無機的な昏い目が、不意にこちらを向く。
「あの壊された電話だが、何か違和感はなかったか?」
──違和感? いったい何のことだ?
ズタズタにされた電話機の様子を思い出してみたが、よくわからなかった。
「わからないか? あの電話の壊し方は、明らかに不自然だったじゃないか」
「えっ……どこが?」
「床に置いてあったことが、だ。電話はカウンターから転がり落ちた感じではなかったし、傷が床にまで達していた。と言うことは、犯人は電話を床に置いてから壊したことになる。……もう一度言うが、これは明らかに不自然だ。
犯人は斧を使って電話を壊したはずだろ? なのに、どうしてわざわざそんな無理な体勢で斧を振り下ろしたんだ? スイカ割りじゃないんだ。斧で電話を壊す場合、カウンターの上に乗せたままやればいいだろう」
言われてみればそうだ。一度床に置いてから斧を振り下ろして壊すのは、確かに妙ではある。
そして、あの時緋村が電話を見つめて青褪めていた理由が、ようやく理解できた。彼はこの違和感に気付き、茫然自失としていたのだ。
──しかし、実際に、電話が床に置いた状態で壊されたらしいことは明白だ。それで、犯人は何故、そんなことをしたのか……。
「……逆に考えればいい。斧を使ったのだとすると不自然な状態だった──と言うことは、本当は斧を使わずに電話を壊したんだってな」
「斧を使わずに?」
予想だにしない言葉だった。
「ああ。──もっと言うと、犯人は斧を使わなかったんじゃなく、使えなかったんだ。電話を壊すのに手頃な道具がすぐそこに出しっ放しになっていたにもかかわらず、それを使わなかったんだから、そうとしか考えられない。
では何故使えなかったのかと言うと、おそらく、犯人はある理由から怪我をしており、腕を上げる動作ができなかったからだ」
今度は「怪我をしていて腕を上げられない」だと? 何故そんなことが言いきれるのだろう?
──何より、彼の言っていることはおかしい。
「けど、あの電話の傷は確かに斧による物だったはずだ。犯人が本当に斧を使わなかったとしたら、いったいどうしてあんな傷が付いたんだ?」
「たまたまそう見える傷ができただけだ。おそらく、斧を使ったように見せかける意図はなかったと思う。犯人はただ、その時持っていたある物で、電話を壊した。それは、俺もお前も目にしている物だ」
「な、何なんだ、君が言いたいのは……」
「……スケート靴さ。──犯人は、《バブルランド》の廃墟にあったスケート靴を履き、踏み潰すようにして電話を壊したんだ」
──瞬間、脳裏に蘇ったのは、Brute FactのPVで見た、スケートリンクの廃墟の映像。そこには確かに、幾つもの投棄物や白薔薇と共に、ブレードの錆びたスケート靴があった。