Brute Fact
弥生さんへの報告は緋村に任せ、僕と日々瀬は他の人たちにこのことを報せに向かった。
《GIGS》の三人は食堂に戻って来ていた。石毛さんが自殺したと告げると、みな驚きを露わにしていたが、それ以上に酷く疲弊した様子だった。
人の死に触れることに、倦んでしまったのだろう。
「自殺したってことは……まさか、石毛さんが真犯人やったのか?」
椅子の上で胡座を掻いた佐古さんが、乾いた声で尋ねて来る。彼はいつの間に取って来たのか、愛機である白いテレキャスターを構えていた。
僕は、少なくとも緋村はそう考えていたと答える。確信を持って首肯できなかったのは、何故だろうか。
「意外な展開やな。──なら、畔上が見たって言う亡霊ってのも、石毛さんやったんか? ちょうど今俺らも話しとったんや。畔上が殺されたんは、昨夜亡霊の姿を見てもうたから──つまり、犯人にとって都合の悪いモンを見たせいやないかってな」
奇しくも僕たちと似たような話をしていたらしい。
「まあ、主に意見を出していたのはあたしと湯本ちゃんだけどね」部長の言葉に微苦笑しつつ、副部長が言う。「ミステリでは常套手段でしょ? 本当にそうなら、余計に畔上くんが可哀想だけど……。──いずれにせよ、生首の正体が謎のままなのよねぇ」
その言葉を聞いて、思い出す。自殺のショックで忘れかけていたが、そもそも僕たちが石毛さんの部屋を訪れた目的は、あの花束について確認する為だったのだと。
その真偽を問う機会は、永遠に失われてしまった。
そんな風に虚無感を味わいつつ、僕は緋村の推測を話した。畔上の見た生首は、半球形の花束だったのかも知れない、と。
例により突飛な想像だし、現場に残されていた薔薇がプリザーブドフラワーだった、と言うことしか根拠がない為、一笑に付されても仕方がないだろう──と、やはり醒めた心地で。
案の定、木原さんは戸惑い半分呆れ半分と言った笑みを浮かべていた。
が、後の二人はまた違った反応を見せる。どうしたわけか、唐突に現れた花束の存在を、スンナリ受け入れている様子なのだ。
ややあって、湯本の口から意外な言葉が呟かれた。
「……そうか。あの花束はプリザーブドフラワーって言うんやな」
「えっ──もしかして、どこかで目にしたのか?」
「ああ。昨日、オーナーさんが持っとるのをたまたま見たんや。もっとも、そんな思い入れのありそうな物やとは思わんかったけど」
順一さんが? ──それは、いったいどこで?
勢い込んで尋ねると、今度は佐古さんが答えてくれた。
「あの廃墟の前でや。確か、《バブルランド》って言ったっけ?」
「でも、どうしてそんなところに?」
「練習が終わって暇やったから、ちょっとどないなっとんのか見に行ってみたんや。もしまだ忍び込めるようやったら、夜に肝試しができるなって。──無論、オーナーさんが寝静まった後に決行する予定やったけど」
そう言えば、以前廃墟に侵入しようとして注意されたことがあったんだったか。PVの撮影まで行っている時点で無駄なことなのかも知れないが、全く懲りていないらしい。
「一応、俺はやめた方がいいって言ったんやけどな? この人が全く聞かんもんやから、仕方なく付いて行ったんや。それで、二人で廃墟に続く脇道に入って少ししたら──」
荒れた道の先──巨大な廃墟の門の前に佇立する、順一さんの後ろ姿が見えたと言う。驚いて足を止めた二人が様子を窺っていると、彼は門扉に巻き付いている鎖のダイヤルキーを解錠していたようだった。
果たして、錆び付いた門を軽く押し開け、順一さんは園内へ入って行く。
その腕に花束と、白いシーツのような物を携えて。
「そう言えば、前にあそこでPVを撮った時にも同じ白薔薇が一輪落ちていたけど……きっとあれもオーナーさんが供えた物だったのね。──これも石毛さんから聴いたんだけど、キヨカさんはあの廃墟の中で亡くなったらしいわよ」
「マジっすか? そりゃ肝試しなんて許してくれるわけないっすね」
「本当に。知らなかったとは言え、なんだか申し訳ないことばかりしてたわね、あたしたち」
こちらは少なからず罪悪感を抱いているらしい。順一さんに注意された際口論になりかけたと言うから、その時のことを含め後悔があるのだろう。
しかし、今更そんな風に自省したところで詮のないことだ。みんな死んでしまったのだから。
そう思うと妙な居心地の悪さを感じ、僕はその場から離れることにした。
「部屋に戻るんか?」と言う湯本の問いに生返事をし、僕は食堂を後にする。
その間際、佐古さんが流麗なアルペジオをワンフレーズ奏でるのが聞こえた。彼らの代表曲──Brute Factのイントロダクションだ。
※
初めは本当に自室に戻ろうとしたのだが、その途中で例の硬貨のことを思い出し、ついでに返しに行くことにした。
順一さんの部屋に着き、ポケットの中にしまっていた小さな遺品を机の上に置く。それから、僕はまるで赦しを乞うかのように、シーツを被せられた遺体に合掌した。
それが済むと、すぐさま踵を返す。
──と、部屋を出て行きかけて、左側の壁を埋める書架が目に入った。
弥生さんか誰かが片付けたのだろう、『虚無への供物』は、やはり最上段の棚に収められている。黒い背表紙の中に浮かぶそのタイトルを、僕は意味もなく見上げていた。
すると──
「おい、何してんだ?」
完全に不意を衝かれ、息が止まるかと思った。驚いて戸口を向くと、見慣れた死んだ黒眼が無感動にこちらを見据えている。
注射器と遺書は弥生さんの部屋に置いて来たのか、緋村は手ぶらだった。
「犯行の証拠品でも始末しに来たのか?」
「……いや、五セント硬貨を返しに来ただけだよ。と言うか、それならこの部屋には来ないだろ。──そっちこそ、どうしたんだ? 弥生さんは……?」
「石毛さんの部屋に行ったよ。俺も付いて行って、ついでに問題の花束を探そうかと思ったんだが……さすがにやめておいた。で、もしかしたら順一さんの部屋に、花束が持ち込まれていた証拠でもないかと思って、先にこっちに来てみたんだ。そしたら、怪しい奴がいたから声をかけたのさ」
そこまで言うと、いつもどおり片頬を歪めて笑ってみせる。──が、皮肉に普段ほどのキレがないように思えるのは気のせいだろうか?
いや、やはり緋村と言えど疲れているのだろう。
ある意味では、佐古さんの方がよっぽど図太いのかも知れない。先ほどあんな話の流れにもかかわらず、あの曲を弾いたくらいだし──などと、どうでもいい考えが頭に浮かぶ。
「そう言えば、石毛さんがどうやって毒薬を調達したのかがわかったぜ。至って単純な手だ。──石毛さんは、予めマスターキーを盗んでいただけだった。きっと、弥生さんの部屋を訪れた時に失敬したんだろう。あれは彼女の部屋に保管してもらっていたから。
俺たちが食堂で日々瀬と話している時、ちょうど弥生さんは山風の死体の傍にいたらしい。シーツをかけてやりに行ってから、しばらく手を合わせていたそうだ。──石毛さんはその間隙を突いて弥生さんの部屋に侵入し、まんまと自殺の道具を手にしたのさ」
なるほど確かに単純なトリックだ。
しかし、ここまで来ると呆れることも驚くこともなかった。疲弊による障害か、本当に何の感慨も沸き起こらない。
寂寞と横たわる荒野のような虚無。
胸の中にあるのは、ただそれだけだった。
「何が『逃げも隠れもしない』だよ。……大嘘じゃねえか」
苦々しげに毒突く。
その姿を無気力に眺めながら、今度は僕が報告をした。湯本たちから聞いた、あの話だ。
「じゃあ、やっぱりあの花束は順一さんが持ち込んでいたんだな。さっき少しだけ弥生さんにも訊いてみたんだが、彼女は何も知らない様子だったから、恐らく、石毛さんを迎えに行ったついでに家から取って来たんだろう。しかし、廃墟に供えに行っていたのか……」
最後は独白のように呟き、目線を足元に向ける。何事か考え込んでいる様子だったが、すぐに頭を掻き回し、
「ダメだ。煙が足りねえ」
またしても喫煙所に向かう流れになった。
僕たちは無言で廊下を歩き、ロビーに出た。
食堂の方から、弾き語りをする佐古さんのハスキーな歌声やギターの音が聞こえて来る。終幕を告げる結尾曲、あるいは虚無へと捧ぐレクイエムのように。
そのままカウンターの前を横切るかと思いきや、緋村は何故か足を止め、キヨカさんの写真を見上げた。
「そう言えば、畔上はあっちの写真を見て『どうして……』って呟いたんだよな? つまり、キヨカさんがいる方の写真を見て」
「ああ。──それがどうかしたのか?」
「いや……」
そう呟いただけで、彼は口を閉ざしてしまう。何か引っかかることでもあったのだろうか?
気になってさらに尋ねようとした──が、そこである異変に気付く。
床に目を向けた緋村の横顔が、見る間に青褪めて行くではないか。
まるで、真夜中の木々のザワめきの如く寒毛樹立する様が、見て取れるかのように。
いったい、本当に彼はどうしてしまったのだろう? ──僕はその視線の先をなぞる。
そこにあったのは──あの、壊れた電話だった。潰れた蜘蛛のようになった薄い電話機が、床に置かれているだけだ。
いったい、釘付けになるほどの衝撃はどこから来る物なのか。思いも寄らぬ事態に戸惑っていると、
「……お前、まだ何か俺に言っていないことがあるんじゃないか?」
「えっ? ──いや、別にないけど」
「……なら訊くが」床に目を向けたまま、緋村は予想だにしない問いを寄越す。「あの時──裏口のドアに鍵をかけたのは、本当はお前だったんじゃないのか?」
その言葉の意味が吞み込めず、僕は暫時フリーズしたように思考を止める。
彼は、何を言った? あの時鍵をかけたのは僕だって? ──長い永い数秒を経て、ようやく理解が追い付いた。
しかしながら、どうしたわけか、僕はその言葉を否定することができない。それどころか、先ほど脳裏を掠めた違和感が、見る間に明確な形を得て蘇るのを感じ、絶句する。
あの時──僕は紫煙の向こうに垣間見た石毛さんの貌に、明確な恐怖を抱いた。
そして、彼を警戒するあまり、僕は無意識のままに、裏口の鍵を閉めていたのではあるまいか?
再生されるイメージは、天井の隅から見下ろす自分自身の姿だった。記憶の中へと幽体離脱した僕の視線の先で、過去の僕は慌ててドアを閉め──その流れのまま、ツマミを捻る。
振り向きもせずに。
「──どうなんだ?」
静かな追撃と共に、彼が横目で視線を寄越すのがわかった。
「……そう、かも知れない。あ、あの時、僕は手押し車に気を取られていたから……」
「手押し車?」
「ああ……母屋の建物にあったんだ。それで、そのまま中に入ってドアを閉めた時、無意識に……」
僕は愕然とした。無意識に行ったこととは、言え、今まで少しも自覚がなかっただなんて。
──と、同時に、ある重大な事実に気付いてしまう。
「……僕が、裏口のドアに鍵をかけた。と言うことは──あの現場は本当に密室だったんだ! あれ以降裏口は使えなかったんだから、君の言った男湯に身を潜めるトリックも不可能だったことになる……!」
自分で言葉にした直後、血が凍り付くのを感じた。今が夏であることを忘れるほどの戦慄が、足元から蟻の群のように這い上がって来る。
開きかけた密室の扉は、より強固な鍵によって再び鎖されてしまったのだ。
他ならぬ、僕自身の手によって。
僕は酷く狼狽した。この奇妙な状況に戸惑い、何より苦々しい罪悪感を味わっていた。
当然、文句や皮肉が飛んで来る物と身構え、恐る恐る彼の顔色を窺い見た──のだが。
「そうみたいだな……」
緋村は、たった一言そう呟いたきり、再び目線を下に向けるだけだった。
何なのだろう、この妙に薄い反応は。
奇妙に感じ当惑していると、彼は不意に、
「お前、少しくらい休んだらどうだ? 別に何かやることがあるわけじゃないんだろ?」
「え? ──いや、でも」
「事件のことはいったん忘れて、仮眠でも取って来いよ。俺も一服したら部屋に戻るつもりだ」
言うが早いか、彼は体の向きを変え、さっさと歩き出してしまう。
呼び止めたるべきかどう迷っているうちに、その後ろ姿は廊下の奥へと消えて行った。
いったい、緋村のあの態度は何だったのだろうか。先ほどは何故、電話を見下ろして凍り付いていた?
そして、いっそう深まってしまった密室の謎を、彼はどう思っているのだろう……?
僕はしばし、無限に続くの謎の螺旋に嵌まってしまったかのような感覚を味わい、立ち尽くす。
──きっと、これは「問うことが危険な問い」なのだ。そう思わずにはいられなかった。
思考を打ち切った僕は、彼の助言に従い仮眠を取るべく、ようやく踵を返した。




