ヘッドフォンチルドレン①
「本当に石毛さんの言葉を信じて大丈夫なのか? 念を入れてもっと厳重に閉じ込めておくべきなんじゃ……」
彼の部屋のドアを施錠し、鍵をしまった緋村に尋ねる。
「さあな。これ以上無意味に罪を重ねるとは思わねえけど……とにかく、今は他の人に報告しに行くぞ」
「弥生さんにも、か?」
「……ああ。どのみち、いずれわかることだからな」
それはそうだが──あまりにも酷なことではないか。実の兄を亡くした直後だと言うのに、幼馴染が殺人犯だと告げられるだなんて。
無論、緋村もそんなことは承知の上で、彼を糾弾したのだろう。彼は自ら嫌な役回りを買って出たことになる。
「俺も一つ訊きてえんだが──お前、なんでずっと隠してたんだ?」
不意に嫌な質問が飛んで来た。
「別に、隠していたわけじゃ……」
咄嗟に嘘を吐くも、彼には全てお見通しだったようで、
「矢来さんが落としたと思ったんだろ? そして彼女が犯人なんじゃねえかと早合点したお前は、咄嗟にコインをポケットに捻じ込んだ。あの部屋を現場検証をした時点ではまだ、順一さんの死は他殺だと思われていたからな」
そこまでわかっているなら訊くな。と言うか、こいつ、本当はあの時僕の方を見ていたんじゃないか?
そんな風に思いながらも、自分のしたことに罪の意識がないでもない為、口にはしない。
「悪かったよ」潔く謝罪した。
「大して気にしてねえけどな。結果的に、事件とは関係なかったようだし」
そう、先ほどの質問により、例の五セントユーロは特に重要な証拠物ではないらしいことが判明したのである。
──異国の硬貨を見せつつ、僕はそれを順一さんの部屋で発見したことを伝えた。その上で、この硬貨も石毛さんの物ではないかと尋ねたのだ。
彼は一瞬意外そうな顔をした後、穏やかな笑みを湛え、
「──いえ、それは私の物ではありません。その五セントユーロは、錫宮くんのやと思います。私が持ち帰った彼の服のポケットに入っていたと、昨日順さんから聞かされました」
あまりにもあっけない答えに、僕はどう反応すべきかわからなかった。取り敢えず、石毛さんの取材旅行の「お土産」は、本当に「たくさん」だったらしい。
「……そう言えば、順さんが嵐を気にしとったのもその時でした。『心配やなぁ』って。それで私が『今年のは災害級やから』ってあいの手を入れたら、『ああ、昼間暑かったせいかも知れへんなぁ』って。──その後もごちゃごちゃ駄弁っとったはずやけど……覚えてへんな。最後の会話になるのわかっとったら、もっと大事な話をしたんですけどね」
そう締め括り、ノンフィクション作家は哀しげな笑みを浮かべていた。
「お前、まだ他に黙ってることがあるんじゃねえだろうな?」
「もちろん、もう何も──」
ない、と言いかけて思い出した。まだ二つ、彼に話していないことがあるではないか。
「あんのかよ」
「いやでも、大したことじゃないと思うし……」
「取り敢えず話してみろ。大したことかどうかはそれから判断する」
そう言うと、緋村は廊下を歩き出す。
偉そうな口調が少々カンに触ったが、まあ、ここは僕が大人になろう。彼の後に付いて行きつつ、僕はその二つの出来事を彼に話した。どちらも日々瀬に関することだ。
「ふうん、窓の外を見て怯えた顔をした、ねえ。──幽霊でもいたんじゃねえの?」
話せと言ったから話したのに、この反応とは。ウンザリしているところで階段に差しかかる。
彼が興味を示したのは、二つ目のエピソードの方だった。
「『てんでんこ』か……彼女は確かにそう呟いたんだな?」
「ああ。どう言う意味の言葉なのか、知ってるのか?」
「三陸地方の方言で、確か『各々』とか『めいめい』って意味だったはずだ。──なんで俺が知ってるかっつうと、石毛さんの著書の中に出て来たからさ。岩手県で作られた標語に『津波てんでんこ』ってのがあって、要するに、津波が来たら各々自分の命は自分で守れって意味になるんだそうだ。
これだけ聞くと利己的と言うか、自分さえ助かれば他人のことはどうだっていいって言っているように思うかも知れないが、実はもっと多くの意義を含んでいる。例えば、非常事態はお互い自分の身は自分で護ろうと予め決めておくことで、いざと言う時に速やかに避難できたり、姿の見えない家族を探して二次被害に遭う、なんてことを防いだりするわけだな」
また、それだけではなく、逃げる姿勢を周囲に見せることで、他の者が後に続きやすくすることや、生き延びた者の自責の念を軽減する目的もあるのだとか。確かに、単に利己的な発想とはほど遠く、非常時においては重要な指針となるだろう。
「しかし、あのタイミングで呟いたってことは……きっと、自分の身は自分で守らなきゃならねえと、改めて思い知ったんだろうな」
畔上に続き同期である山風が死んだ──それも自殺に見せかけて殺されたらしいことが示唆されたのだ。改めて危機感を覚えたとしても、おかしくはない。
しかし、もし本当にそうだとすれば──
「じゃあ、日々瀬は『てんでんこ』の意味を知っていたわけだから……三陸地方の出身ってことなのか?」
「かもな。無論、俺みたいに本で読んだ知識って可能性もなくはないが──いや、その程度にしか馴染んでない言葉なら、咄嗟に呟きはしねえか」
同感である。事件と関係のある情報とは思えないが、不思議な符号だ。
「──あっ、そう言えば」
「まだ何かあるのか?」
これまた日々瀬に関することで、気になる出来事があったのを思い出したのだ。
とっくに食堂の扉の前まで来てはいたが、しばし立ち話を続ける。
「昨日の夕食の時、彼女は君たちの方を盗み見ていたみたいだった。確か、旅館からDVDが盗まれたとかって話をしていた時だったかな」
「そうだったのか。てことは、もしかして彼女は岩手の出身なのかな」
そう言えば、石毛さんの話ではその旅館は岩手県にあるんだったか。
──それにしても、DVDなんて盗んでどうするつもりなのか。と言うか、いったいどのような映像を収めた物だったのだろう?
今更ながらふと疑問に思い、彼に尋ねる。
「なんでも、津波が襲来する瞬間を撮影した物らしい。──そう、七年前のあの日の津波だ」
その老舗旅館は、東日本大震災の際津波によって被災した。そして、その瞬間を上階に避難した者が撮影していたのだが、それを記録したDVDが盗まれていたことが、二〇一二年の秋頃になって発覚したと言う。
確かに貴重な記録ではあるのだろうが、正直盗んでまで手に入れたくなるような物とは思えない。
「……一度話を聴いてみるか」
「えっ、DVDのことを? まさか、ここにいる人間の仕業なのか?」
「違えよ、日々瀬の方だ」
ああ。
「まあ、それは好きにしたらいいと思うけど──何にせよ、事件はもう終わったんだろ? 石毛さんは否定していたけど、畔上や山風に関しても彼の犯行なんだろうし。これ以上情報を集める必要なんて、ないんじゃないか?」
僕にはどうも、緋村がまだ調査を続行しようとしているように思えてならなかった。
「そうだな。お前の言うとおりだよ」
心の籠っていない返答に、言い知れぬ不安が鎌首をもたげる。まさか、本当にここで起きた事件は石毛さんの犯行ではない──犯人は別にいるのだろうか、と、
少なくとも、緋村はその可能性を捨てきれずにいるように見えた。
「とにかく、今は報告が先だ」
まるで自らに言い聞かせるように呟き、彼はようやくドアノブに手をかけた。
予想に反し、食堂内には誰の姿もなかった。みな自分の部屋に戻ってしまったのだろうか?
──と、奥に見えるドアがわずかに開いており、その向こうの厨房に灯りが点っているのが見えた。そちらの方には、誰かいるようだ。コーヒーでも淹れているのか?
僕たちは厨房へ向かう。
すると、戸口に立ったところで、中にいた人物が、喫驚した様子でこちらを振り返った。
果たして、そこにいたのは──今し方俎上に載せられていた彼女だった。
「日々瀬さん? どうかしたんですか?」
彼女の様子にただならぬ物を感じたのか、怪訝そうに緋村が尋ねた。
──直後、僕はあることに気付き肝を潰した。おそらく、それは緋村も同じだったのだろう。ハッと息を呑むのが伝わって来る。
彼女の手には、包丁が握られていた。