killer②
その人物の部屋も、内装は他の部屋と変わらなかった。主はベッドに腰下ろし、勉強机とセットになっている椅子を寄せ、緋村がそこにかける。僕は立ったままで構わないと伝え、ドアに寄りかかって二人の対決を観戦することにした。一応、相手の退路を塞ぐ目的もある。
「事件に関することで、大事なお話があって来ました。もしかしたら長くなってしまうかも知れませんが、お付き合いください」
平板な口調でそう告げてから、彼はすぐに本題に入る──かと思いきや。
「と、その前に、少し世間話をさせてください。昨日夕食の時に拝聴したお話が興味深かったものですから」
僕にはわざわざ寄り道する意味がわからなかったが、それは彼が差し向かっている相手にしても同じらしい。
「はあ、構いませんが……」
その人物──石毛幹久は、当惑しつつも要望に応じた。
「『黒い波』の中で、いくつか印象に残っているエピソードがたくさんあります。全てを挙げるとその話だけで夜が明けてしまいそうですので、取り敢えず一つだけ。──被災者の男性に話を聴いている中で、『避難所では肉親の死を嘆くことすら許されなかった』と、悲痛な思いが語られる場面です。『みんな辛い思いをしているのだから、お前も我慢しろ』と言う無言の圧力に、苦痛を感じる被災者は少なくはなかったそうですね」
「ええ。その男性の他にも、同じような経験をされた方は何人もいました。特に、津波による被害が甚大だった地域では、肉親の遺体が見付からないと言う人が大勢いましたが、やはりそこでも『辛いのはみんな同じだから』と言われることがままあったようです。みな疲弊していて、神経が過敏になっていたのでしょう。──そうでなくとも、あの震災はあまりにも規模な大きすぎました。一人一人の死は、時として膨大な数の中に埋もれてしまう」
やはりノンフィクション作家の弁舌は滑らかだった。自著に関する話題だからと言う以上に、彼自身思い入れのあるエピソードだったのかも知れない。
「二〇十六年時点で、震災による死者、行方不明者数は一万八千人以上にも上るそうです。ここまで大きな数字になると、そのうちのたった一人にフォーカスが当てられないのも、無理からぬことでしょう。『百年に一度の大災害だから仕方がない』なんて声もあったようですから」
仕方ない──そんな風に言われて納得した遺族など、一人もいなかっただろう。しかし、それでも感情を呑み下さざるを得ない苛烈な現実が、確かにあったのだ。
「遣りきれない話ですね。自然災害ですから、誰か犯人がおるわけでもない。きっと、本気で神様を恨んだ人も少なくはなかったはずです」
世間話がしたいと言っておきながら、緋村は無言で傾聴していた。石毛さんはそのことを不審に思わないのか、「そう言えば」と一人でトークを転がす。
「お二人は、当時まだ小学生か中学生くらいやったと思いますが、どんなニュースが流れとったか覚えておりますか? ──おそらく、初めのうちは、ひたすら被災地の様子が画面に映されとったと思います。津波によって壊滅させられた街の惨状や、パンクした遺体安置所で嗚咽する遺族の姿、いつ何時来るか知れない余震に怯える避難所の被災者たちなど……。
ですが、実はそう言った映像が主として流れていたのはほんの一、二週間ほどだけで、報道される内容の毛色はすぐに変わりました。高校生による炊き出しや、著名人による義援金の話題など──要するに、復興ムードを感じられる物が多くなったんです。この辺りのことは、『黒い波』の中ではあまり触れていませんが──どうしてだかわかりますか?」
彼はそう言って少し間を空けたが、特に回答を求めていたわけではないらしい。出題者自ら答えを教えてくれた。
「飽きられるからです。悲惨なニュースが一週間も続くと、視聴者は飽きる──あるいは堪え兼ねる。だから今度は、心温まる画を撮って来いと言う指令が現地の記者に飛ばされ、そう言った事実のごく一部ばかりがお茶の間に供されたわけです。視聴者の見たい物を観せるのがマスコミの仕事ですから、仕方がないことなんでしょうが……報道者の中には、目の前に広がる惨状とのギャップに、強い葛藤を抱く人もおったようです」
彼の話を聴いているうちに、僕は昨日の夕食でのある会話を思い出した。
それは、今のような震災の話題の中で、佐古さんの口から零れ出た物だ。
──しかし、当時はアホみたいにテレビで流れとったよな。「頑張ろう」とか「絆」とか、安っぽい言葉が。そう言うのを目にする度に、的外れなことを堂々と言うもんやなぁって、ずっと不思議やったわ。被災した人が頑張ってないはずがないし、その「絆」を失った人が大勢おるはずやのに。
彼の意見に、須和子さんや湯本も同調していた。僕も似たような疑問を抱いたことがあった。
しかし、ノンフィクション作家は穏やかに、その意見を否定する。
──そもそも、あれは被災者に向けられた言葉ではないんでしょう。当時、被災地でテレビなんて観られなかった。当然ですよね。震災が起こった直後は、どこまで被害が及んでいるのかさえわかっていない被災者の方もいたくらいです。
──では、ああ言ったメッセージは誰に対する物やったのか……。そう、それは我々のように、被災しなかった無傷の人間です。要するに、対岸から大災害を目の当たりにした人たちに、「大変な時だからお互いに助け合おう」とか「復興への道は必ず拓けるから安心してくださいね」と言ったことを伝えていたわけですね。そうすることで、ボランティアへの参加や募金、それから物資の援助などを呼びかける目的があったのでしょう。──実際、当時は直接被災していない地域でのガソリンや食料品の買い占めが問題になっていましたし。
──それからもう一つ、「こちらのことは気にしすぎず、あなたはあなたの為すべきことをしてください」と言う意味もあったはずです。日本周辺で観測された、史上最大の震災が起きた。そんな時やからこそ、無事な人間にはなるべく平時と同じように働き、自分の役目を果たす義務がある、とも言えるわけですね。でなければ、極端な話国の機能が麻痺し兼ねません。薄情なように聞こえるかも知れませんが、それもまた国家が震災を乗り越える上で必要なことですから。
その後、石毛さんは実際に震災の報道に触れたことが原因で、地震の被害を全く受けていなかった者が自殺してしまった事例を挙げる。遠地にて発生した奇禍に全くの無関心でいるのも、無論問題だろう。とは言え、何も自ら命を絶つほど不安や絶望にかられることはなかったはずだ。
「──こうした事情もあってか、報道に関しては過剰なまでの自主規制が問題になりました」
回想から我に返ると、そんな声が聞こえて来た。
「つまり、遺体を映さなすぎたんです。そのこともまた、被災地の実情がなかなか伝わり辛い事態を招いたのでしよう」
そこで、ノンフィクション作家の語りは一区切りとなった。そして、彼の言葉に、僕は人知れず奇異な感覚を味わう。
──当時、「過剰なまでの自主規制」とやらが敷かれていたと言う。にもかかわらず、僕は居間で箸と茶碗を手にしたまま、名も知らぬ誰かの遺体を目にしたのか、と。
きっとそれは単なる偶然であり、特に意味はないのだろう。しかし、だからこそ、あの日見た誰かの遺体は──瓦礫の下からはみ出した両脚は──、いっそう僕の中に強く刻み込まれたように思えた。
僕だけは、あの誰かのことをずっと覚えていよう、と。
「ありがとうございます」入れ替わるように、ようやく彼が声を発した。「改めて、貴重な体験をさせていただきました。自分が味読したルポの著者から、直にお話を聴けるなんて」
それから、彼は体を前に傾け、長い脚の間にぶら下げた両手を組む。
「おそらく、それももう最後でしょうから……」
「最後?」
怪訝そうに鸚鵡返しするのを、学生は黙殺する。
「石毛さんほど被災地の実情に精通した人であれば、尚のこと被災者への虐めは赦し難い物があったでしょう。つまり、あなたにも彼女たちを裁く動機はあった」
「いったい、何を……」
「少し寄り道をしすぎてしまいました。ここからは単刀直入にいきましょう。──あなたが三人を殺したんですね?」
無感動に言い放ち、彼は垂れた前髪の隙間から相手の顔を見上げた。