killer①
僕は改めて、画面の中の青年に目を落とす。足元から頭まで黒尽くめの彼は、まるで濃密な影を纏っているかのようだった。それはさながら、その手に抱えた白薔薇の放つ光によって生み出されているかのような──
そんな風に見つめているうちに、背景は白くボヤけ、反対に影を纏った青年の姿だけが、クッキリと浮かび上がって来るようだった。
──かと思っと、僕は何故だか奇異な感覚に囚われる。
それはある種の既視感と言うべきか──僕は、彼の格好を知っているような気がしたのだ。
「若庭」
名前を呼ばれ、我に返る。そして隣りを見ると、緋村もまた青ざめた顔──でありながら、ウッスラと笑みを浮かべているのが不気味だ──をしていた。……どうやら、僕の感覚は間違ってはいなかったらしい。
「ありがとうございます」ひとまず携帯電話を返した緋村は、「ところで、突然変なことを訊くようですが──錫宮さんの遺品は、誰かご家族の方が管理されているんでしょうか?」
「遺品、ですか? ……いえ、彼は幼い頃に家族を失っていて、遠縁の親戚しかいなかったので、私共の家で保管しています」
訝るように相手を見返しながら、彼女は答える。質問の意図が読み取れないらしい。
「では、今見せていただいた写真の中で彼が着ている服やニット帽も、弥生さんたちのお宅にあるんですね?」
弥生さんは畳んだ携帯を胸の前で握ったまま、怖々と首肯する。
「あの、それが何か……」
「実は、思い出したんですよ。例の飛田の事件の犯人の服装を。──宇佐見と言う従業員を殺した犯人は、季節外れの黒いジャケット着、ニット帽を被っていたはずだ、と」
「そ──それじゃあ、緋村さんは」一瞬言い淀んだ後、弥生さんは血の気の失せた唇を戦慄かせ、「殺人犯の着ていた服は、錫宮くんの物やったと仰るんですか⁉︎」
「……無論、断言はできません。ただの偶然の一致かも知れませんから。──ですが、もしそうでないのであれば、あの日彼の服を着られた人間は、非常に限られることになる」
「……兄、さん……?」
呻くように、彼女は絞り出した。床の方へと逸らされた目線が、動揺の為か酷く揺れていた。
もしも、本当に犯人が錫宮さんの遺品を身に纏い犯行に及んだのだとしたら、それができたのは、彼女が怖れたとおり、順一さんだけと言うことになる。あるいは「二十代から四十代後半」と言う目撃情報が正しく、他の誰かが着ていたのだとしても、服は月島家で保管されていたのだから、彼が何らかの形で犯行に関与していたのは疑いようがない。
問題は、その事実がどのような形で、今回の殺人劇と結び付くかだが……。
「…………」
一方、緋村は相変わらず心情の読み取れない眼差しで、彼女の姿を観察していた。たった今得た情報は、彼の中でどのような形のピースとなったのだろう?
──ほどなくして、彼は手を伸ばし、遺書を入れていた封筒を検分し始めた。照明に翳すようにして矯めつ眇めつする──と、やがて小さく声を上げた。何かを発見したらしい。
「シミがあるな」
彼が呟いたとおり、封筒のベロの裏側に、ボールペンで突いたかのようなごくごく小さな赤いシミができていた。それはよほど注意して見なければ見落としてしまいそうな微細な痕跡である。
よく気付いたなと感心していると、緋村は徐に注射器を手に取った。そして、眉皺を拵えつつ、針の先端を睨み付けた。
「……こっちもだ」
静かにそう零した彼は、注射器の針の先をこちらに突き付けて来た。危ないな──と文句を言う寸でのところで、僕もそれに気付く。
なるほど確かに、注射針の先にも赤黒い汚れが認められるのだ。
この汚れは──まさか、血?
だとしたら、注射器はすでに一度使われていることになるではないか。
「……も、もしかして、これが凶器だったのか? 順一さんはこれを使って宇佐見を」
そこまで口走っておいて、僕は慌てて言葉を呑み込んだ。完全に手遅れでしかないが、弥生さんの様子を恐る恐る窺う。
彼女は紙のように蒼白くなった顔をこちらに向け、何事か口にしたそうにしていた。辛い事実を突き付けられ、為す術なく沈黙したのだろう──と思ったが、同時に何かを迷っているようにも見えた。
「どうかされましたか?」
やけに硬質な声音で、素人探偵が問う。
「い──いえ……。正直なところ、私もずっと兄を疑っていました。けど、誰か他の人の口から言われると、余計ショックが大きいものですね」
彼女は取り繕うように苦笑する。痛々しい笑みを見て、僕は自らの失言を悔いた。
そして逃げるように目を逸らし──ふと、横を見る。
注射器を卓上に戻した緋村は、口許を隠すように手を当て、何もない一点を凝視していた。何やら思考を巡らせているらしい。
かと思うと、唐突に、
「一つ、確認していなかったことがありました」
酷く抑揚のない声を聞き、弥生さんが小さく肩を震わせるのがわかった。
面を上げた彼女を真正面から見据え、緋村は気の抜けるような問いを放つ。
「錫宮さんが修行していた国は──無論、フランスですよね?」
※
弥生さんの部屋を後にする際、僕は山風の遺体にかける為のシーツについて、彼女に許可を得ようとした。すると、弥生さんがかけに行く役を引き受けてくれると言ってくれた。未だ動揺が抜けきっていないであろう彼女に頼むのは心苦しかったが、「それくらいはやらせてください」と言われては引き下がるしかあるまい。
緋村の要望で預からせてもらった遺書と注射器をジッパー付きのビニール袋に入れ、僕たちはシンカンと静まり返った廊下に出た。
「緋村」歩き出した背中に問う。「わかったのか? 真相が」
「まあ、一応は。自分でも困惑するほど妙な画が完成しちまったよ」
「……教えてくれるか?」
「一服しながらでよかったらな。入り組んだ内容だから、落ち着いて話したい」
ほどなくして、僕らはキヨカさんの見守るロビーを横切る。
喫煙所に着くよりも先に、彼は前を向いたまま、ふとこんなことを呟いた。
「問題は、どうやってトドメを刺すか、だが……」
物騒なセリフだが、何故だか酷く板に付いていた。