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悪の問題〜あるいはYの悲劇’18〜  作者: 若庭葉
第四章:失楽のワンダランド
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涙がこぼれたら②

 続いて僕たちが訪ねたのは、弥生さんの部屋だった。中に通してもらうと、やはり匣の中で咲く青い薔薇が、まっさきに目を惹く。

「もしかして、お休みになるところでしたか?」と、緋村が珍しく殊勝な口調で尋ねる。

「いえ、お気になさらないでください。普段ならとっくに夢の中ですが、不思議と目が冴えてしまって……今も一人でボケっとしとったところですから」

 今朝肉親を失い、さらにこんな事件に巻き込まれているのだから、眠れなくて当然だろう。とは言えあまり時間を取らせるのも非常識だ。

 僕たちはさっそく本題へと入る──が、その前に、

「まず先に、謝っておきたいことがあるんですが……」

 そう前置きして、僕は順一さんの死の真相について木原さんに話してしまったことを白状した。「すみません」と軽く頭を下げると、弥生さんは戸惑ったような微苦笑を浮かべる。

「いいんです、お気になさらないでください。元はと言えば、妙な偽装をした私共が悪いんですから。──むしろ、他の方々にも本当のことをお話しするべきでしょう。いずれ、警察が来ればわかってしまうことですし」

 翳のある表情だった。謝るはずが逆に気を遣わせてしまったようで、余計に申し訳なくなる。

 しかし、僕の隣りに佇立する男は、待ち兼ねたらしく、「もういいだろう」と言いたげな視線を寄越して来た。──仕方なく、僕も目顔で頷く。

「ところで、実は、山風の部屋からこれが見付かりまして……」

 そう言って、緋村が彼女に渡したのは、もちろん山風の部屋で発見した手紙だった。書き損じではあるが、あれほど真摯な気持ちに溢れたメッセージである。せめて弥生さんにだけでも届けなくてさならないと思った。

 受け取った物を真剣な面差しで一読した彼女は、やがてふうっと小さく息を()き、目を伏せた。

「……正直言って、複雑な気持ちです。ちゃんと反省してくれとったことは嬉しいですが、何故、当時それができんかったんやろう、と思うと……。せめて、兄が生きているうちに読ませたかった……」

 そう語る言葉が震えていたのは、万感の思いによる物だろう。

 彼女はそう言っていたが、もしかしたら山風が謝罪文を認めるに至ったキッカケは、順一さんの死だったのかも知れない。山風は写真の裏側に記されたメッセージを読み、さらに彼の死が自殺であることを教えられたことで──無論、実際は病死なのだが、彼女はそのことは知らなかったはずだ──、贖罪を決意したのではないか、と。

 だとしたら、皮肉極まりない話ではあるものの、順一さんの想いはシッカリと彼女に届いていたことになる。

「……山風さんも、殺された可能性が高いんですよね? もしホンマにそうなら、私は犯人が許せません。この手紙を読む限り、彼女も少なからず罪悪感に苛まれて来たようやのに、どうしてその上こんな(むご)い目に遭わなあかんかったんでしょう? こんな、人の想いや尊厳を踏み躙るようなこと」そこで少し、言葉に詰まる。「……どんな理由があろうと、していいはずがない」

 どうしても堪えきれなかったのだろう、涙の粒が零れ、一筋伝い落ちた。

「お気持ち、お察しします。──昼間お話を伺った際に、僕はできる限り自分の手で事件の真相を突き止めたいと考えている、と言ったかと思います。その気持ちは今も変わっていません。ご協力、願えますか?」

「……わかりました。私にできることであれば」彼女は涙を拭う。

 礼を述べた緋村は、少し意外な方向から質問を飛ばした。

「順一さんの遺書は、まだ読まれていないんですか?」

「ええ、まだですが……」

「もし差し支えなければ、内容を拝見させてもらっても?」

「それは──兄の遺書が、事件と何か関係あるんでしょうか?」

「わかりません。ただ、その可能性もあるかも知れない。ですから、それを確かめる為にも、読ませていただきたいんです」

 緋村が珍しく真剣なのは間違いないだろう。しかし、さすがにこれは断られて当然だと思った。身内の(したた)めた遺書を、昨日雇ったばかりのアルバイトに読ませるはずがない。

 僕は、勝手にそう決め付け諦めていた──のだが。

「……わかりました。緋村さんたちでしたら、構いません」

「いいですか?」意外な快諾に、聞き返さずにはいられない。

「ええ。ちょうど迷っていたところでしたから。兄がどんな言葉を遺しているのか確かめたい反面、もし怖いことが書いてあったらどないしようと……。きっと一人ではいつまで経っても読むことができません。ですから、先にお二人に確認してもらうのもいいかも知れないと思ったんです」

「お二人」と言うことは僕も含まれているようだが、本当に僕まで読んでしまっていいのだろうか? こちらの困惑を他所に、緋村が再び礼を述べる。

 それから、立ち上がった弥生さんは箪笥の引き出しを開けた。

「ついでに注射器と瓶も見せてください」と言う要望に応え、彼女は三つの品を卓上に並べた。緋村はビニール手袋を嵌めた手で遺書を取り、糊付けされた封を開いた。

 ──そしてその中には、予想だにしない形の「遺書」が封入されていた。

 彼が取り出したのは、一枚の()()()()らしき物だった。短冊のような形の紙には、青空と緑を背に佇む観覧車と、白いドームのような建物を写した写真がプリントされている。

 かなり色褪せており、所々文字が掠れてしまっているが、「バブルランド」と書かれていることや、それがどうやら未使用の入場券であることは、すぐに判別できた。

「これは──どうやら《バブルランド》の入場券のようですね。特に怖い物ではありませんでした」

 わかりきったことを呟き、緋村はそのチケットを円卓の上に置く。

「しかし、どうして順一さんはこれを遺書に選んだのでしょう?」

「……おそらく、キヨカちゃんが亡くなった場所だからやないでしょうか? 前にもお話ししたように、キヨカちゃんは《バブルランド》のスケートリンクの中で、自殺していましたから……。きっと、あの()の元に行く為のチケットと言った意味で遺書代わりにしたんやと思います」

「なるほど。とても──文学的だ」

 少し考え込んで、おかしな評し方をする。

「そうかも知れません。兄らしいと言えば兄らしい遺書です。──それに、《バブルランド》自体にも少なからず思い入れがあったはずです。キヨカちゃんが産まれる前、義姉さんと何度か遊びに行っていました。二人とも、アトラクションよりも、薔薇園がお気に入りで」

「そう言えば、あの薔薇は元々《バブルランド》に植わっていたのを引き取って来た物だそうですね」

「ええ。もうかれこれ二十年以上生きてます。こうなると、花と言うよりかは立派な樹ですね。生前、兄は『薔薇の遺児』と呼んで大切に育てていました。……キヨカちゃんが亡くなってからは、特に」

「薔薇の世話は、主に順一さんがしていたんでしたっけ?」

「はい。錫宮くんがおった時は、彼もよく手伝っていましたが」

「錫宮さん──キヨカさんの恋人でしたか。どんな方だったのか、改めて教えていただけませんか?」

 これまた意外な質問だった。彼のことを掘り下げて、何か意味があるのだろうか?

「彼は、前にもお話ししたとおり、朴訥な文学青年と言った感じの子でした。寡黙だけど、真面目で思い遣りがあって──こう言うと、故人やから美化しているように聞こえるかも知れませんが、本当にそうやったんですよ。少なくとも、私の印象としては」

 どこか遠くを見やるように、彼女は何もない空間に視線を向ける。

 それから、ふと思い出したように、

「そう言えば、私の携帯に彼の写真があったはずです。錫宮くんが日本を発った日に撮った物なんですが、ご覧になられますか?」

「ぜひお願いします」

 弥生さんはパールピンクの携帯電話(ガラケー)を取り出し、少し操作した後、「これです」とこちらに寄越した。

 僕は先ほどと同じように、それを緋村の横から覗き込む。

 画面の中では、三人の人間が笑っていた。場所は《マリアージュうたかた》花壇のの前であり、ベンチに腰かけたキヨカさんを左右から挟むように、背の高い青年と、順一さんが並んでいる。

 この青年が錫宮平司さんなのだろう。黒いニット帽に黒いジャケットと言う出で立ちの彼は、確かに優しげな雰囲気を醸していた。控えめな笑みや黒目がちの瞳から、物腰の柔らかさが自然と想像できる。

 また、彼は体の前で、三十センチ四方くらいのクリアケースを抱えていた。中に入っているのはどうやら()()であるらしく、大輪の白薔薇が隙間なく半球形に集められた、瀟洒(しょうしゃ)な物だった。純白の花冠(かかん)と要所要所に配された瑞々しい葉の(あお)が、目に心地よい。

「この真ん中の人が錫宮さんですね? 彼が抱えているのは、プリザーブドフラワーではないですか?」

 耳馴れない単語が飛び出す。

「ええ、そうです。知り合いの花屋さんに頼んで、ここで育てている薔薇を花材にして作ってもらった物です。錫宮くんがとても気に入っていて、旅立つ記念に兄がプレゼントしていました」

 まだピンと来ていないが、生花を用いて作る物なのだろうか? 会話の切れ目を狙って、緋村に解説を求める。

「ああ、特殊な液体を使って、生花から水分を抜き取る処理をした物だ。こうすることで、瑞々しい見た目のまま長期間保存できる。聞くところによると、寿命は短くても二、三ヶ月くらいだが、工夫次第では五年以上も保つこのもあ?そうだ。まさにpreserved──『保存された』花ってわけだな」

 彼の薀蓄話はしばし続く。生花と違って水を与える必要もなく、水分がないぶん軽くなること。花粉や匂いもない為、見舞いの花やレストランなんかでも重宝されること。油分が多い為燃えやすく、且つ破損しやすいこと等々。

「あとは、ウエディングブーケなんかにもよく用いられるようだ。式が終わった後でブーケをプリザーブドフラワーに加工することもあるが、それならばいっそ初めからプリザーブドフラワーを使った方が手っ取り早いからな」

 なるほど、言われてみると、写真に写っている花束もラウンドタイプのブーケのようにも見える。

 それから、僕は窓辺に目を向け、

「それじゃあ、あの青い薔薇もプリザーブドフラワーなんですね?」

「ええ。あれも元々は同じフラウ・カール・ドルシュキーやったんですよ。今年の春先に咲いた物を青く染色してもらったそうです」

 そう言えば、今咲いているのは返り咲きさせた物だと順一さんが話していたか。

「では、この写真のも同じように、春に咲いていた花を使ったんですか? 服装を見るに、写真を撮ったのは冬頃のようですが……」

 ここで初めて「ノー」が返って来た。

「これだけは、()()()()なんです。錫宮くんの門出を祝う為に作ったのではなく、もっと前に兄が誂えていた物で……。このプリザーブドフラワーは、七年前──例の震災があった年の春に咲いた花を、花材にしているんです。あの年は、いろいろありましたから……。震災で義姉(ねえ)さんが亡くなったり、兄がキヨカちゃんを引き取ったり……。そして、キヨカちゃんと錫宮くんが出逢ったのも同じ年でした。きっと、兄はいいことも悪いことも含めた“記念”として、プリザーブドフラワーを作ったんやと思います」

 だとすれば、順一さんは文字どおり「保存」したかったのだろう。水分を抜き去り伽藍堂になった薔薇の中に、希望も絶望も──全ての想いを閉じ込めたのだ。

 ──泡の花、あるいは薔薇の墓窖(ぼこう)と言う言葉がふと浮かび、しばし思考の淀みを揺蕩(ようとう)した。

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