涙がこぼれたら①
その後、緋村は浴場内を見て回ったが、特段気になる点はなかったらしく、すぐに調査を切り上げた。
そして、脱衣所を出た彼の手には、どこから取出したのか、一本の鍵が。どうやら山風の部屋を調べるつもりで、彼女のバッグから失敬していたらしい。畔上の時といい、かなり手グセの悪い素人探偵だ。
──そんなわけで、僕たちは次の目的地へと向かった。
そして。
そこで、幾つかの重大な発見をすることとなる。
まっさきに緋村が目を付けたのは、部屋の左奥にあるクローゼットだった。両開きの扉の隙間から、何かビニールのような物がはみ出していたのだ。
果たして、彼がそこを開けると、僕たちが探していた物が現れた。
──盗まれていた靴が、70ℓのゴミ袋に入れられていたのだ。
シッカリ数えたわけではないが、見たところ全員分揃っているようだった。慌ててクローゼットに押し込んだと言った様子で、ゴミ袋の一部がはみ出していたのも、おそらくその為だろう。
「誰とは言わねえが勝ち誇った顔が目に浮かぶな。誰とは言わねえが」
ウンザリしたように緋村がごちる。絶対にそうなるだろう。誰とは言わないが。
「とにかく、これで山の中を突っ切るのはほぼ決定か。タイムリミットまであと五時間もないけど、それまでに犯人を突き止められるのか?」
「どうだろうな。まあ、せいぜい夜明けまで好きにやらせてもらうさ。──ん? ヤバイな、もう一つ見付けちまった」
何がヤバイのだろう、と思っていると、彼はクローゼットの奥に手を伸ばし、ある物を取り出し振り返った。
その手に握られていたのは、一台のスマートフォンたった。──まさか。
「畔上のなのか?」
「じゃなきゃいいんだが」言いつつホームボタンを押す。
電源は切れておらず、問題なくロック画面──スタンドに立てかけあベースを撮影した物──が表示された。確か、畔上のパートってベースだったような……。
「ロックがかかってねえな。持ち主には悪いが、少しだけ拝見させてもらおう」
一時的に手袋を脱ぎ、彼の指が画面を横切った──その途端、ショッキングな画像が画面イッパイに表示される。
それは、どうやら二番目の現場を撮影した写真らしかった。フォーカスが当たっているのは、鮮血を浴びた一揃いのサンダルだが、その背景にはハッキリと死体の右半身、そして床に転がった白薔薇が映り込んでいる。
まるで、一目で殺害現場だとわかるよう、わざと画面に収めたかのように。
──いったい誰が、何の目的でこんな写真を……?
そして、そもそも畔上のスマートフォンは何故ここにある?
「……驚いたな」緋村も素直に驚嘆を口にする。「……しかし、これで一つ俺の説が裏付けられたことになる。やはり、山風のサンダルは一足先に真犯人によって盗まれていたんだ。でもって、そいつはその証拠として、畔上の携帯で現場の写真を撮り、山風に見せたんだろう」
酷く冒涜的な行為に思え、僕は寒気すら感じた。自ら命を奪った者の亡骸を写真に収め、あまつさえそれを脅しの道具のように使うだなんて。
「で、山風はこいつを持ち帰る為に、仕方なく真犯人に従った、と……」
彼の視線の先──クローゼットの隅の暗がりに、ゾッとするほど赤黒く汚れたサンダルが転がっていた。
緋村の話が正しいことを証明するかのような事物が次々に現れた──のだが、あまりいい状況とは言えないだろう。これらの品々は、見ようによっては山風が犯人であることを示しているとも取れなくもない──少なくとも、関係者の中にはそう捉える者もいるはずだ。
もっと、決定的な証拠──自殺説を完全に否定するに足る物は、出て来ないものか……。
──そう考えていた矢先だった。
クローゼットの前を離れた緋村が、机の傍の屑篭の中から、それを発見したのは。
彼が引っ張り出した物は──クシャクシャに丸められた数枚のルーズリーフだった。どうやら、現場に残されていた遺書に使われていたのと同じ物らしい。
ルーズリーフを開きその中身を見た緋村は、途端に瞠若したかと思うと、口笛でも吹きそうな笑みを片頬に刻んだ。
「あったようだぜ。決定的な証拠が」
そう言って寄越された物を受け取り、僕も目を通した。
「──緋村!」思わず顔を上げ、彼の名を叫ぶ。
そこに認められていたのは、謝罪文だった。
五年前のキヨカさんへのいじめに加担してしまったこと、そしてその結果彼女を自殺に追いやってしまったことへの謝辞が、懸命に絞り出すような文章で綴られているのだ。
言葉に迷いながら、何度も何度も書き直したらしきその内容に、嘘偽りは感じられず、心底から反省していると言う想いが、少し読んだだけでも伝わって来た。言言肺腑を衝くとはこのことか。
無論、脱衣所に残されていた「遺書」のように読み辛い物ではなく、むしろ女子らしい丸っこい字は少しも行からはみ出すことなく、整然とならんでいる。やや文字が細かいことと、文末の署名の「山」の字が小さいことが気になるくらいだった。
「絶対におかしいよな。そんな物を書いていたにもかかわらず、遺書の中にキヨカさんへの謝罪の言葉が一切出て来ないなんて。しかも、それはゴミ箱に捨てられていた──つまり、書き損じのようだ」
そうなのだろう。もし犯人が処分しようとしたのなら、ゴミ箱なんかには捨てずに持ち去ったはずである。
と言うことは、彼女はこれからこの手紙を書き上げるつもりでいたわけだ。
そんな人間が、自殺なんてするはずがない。
緋村も言っていたように、これは彼女の死が他殺であることの「決定的な証拠」と言えるだろう。
「当然、この字が山風本人の物か確かめてみる必要はあるだろうが……何にせよ少しはツキが回って来たみてえだな。この調子でバシバシ手がかりが見付かるといいんだが……」
──が、しかし、そうは問屋が卸さないとでも言うのか、それ以上この部屋から大した物は出て来ず、三十分もしないうちに、緋村は捜査を切り上げた。
とは言え、収穫はあった。
僕は現金にも、部屋を後にする頃には一度は犯人扱いしていたことも忘れ山風の疑いが晴れるの心底から願っていた。そして、強い同時にこの事件の犯人の卑劣さに、強い義憤を覚えずにはいられなかった。
※
その後、僕たちは靴が発見されたことを報告する為に、食堂へと向かった。無論、例の謝罪文も共に携えて。
食堂に残っていたのは、佐古さん、木原さん、石毛さん、日々瀬の四人だった。盗まれていた靴や畔上のスマートフォンについて告げた時は、当然「山風犯人説」が息を吹き返しかけた──が、書き損じの手紙やその内容を話すと、明らかに潮目が変わる。
そして、《GIGS》の面々に確認してもらった結果、
「間違いありません! 山風さんの字です! 字が細かいのもそうですし、こんな風に、『山』字だけ小さく書く癖がありましたから……!」
日々瀬からお墨付きを得ることができた。無論、正式な筆跡鑑定を行ったわけではないが、ひとまず緋村はそれを信じて次に進むと言う。
食堂を後にする間際、彼はその場にいた四人に向け、
「また後で個別に話を伺うかも知れませんので、その時はご協力をお願いします」
愛想の欠片もなくそう告げると、緋村は踵を返した。その声は、まるで「逃げるなよ?」と釘を刺すかの如く、硬い響きを帯びていた。もしや、彼はこの中の誰かを疑っているのだろうか……?
背後を少し気にしつつ、僕はドアを閉めた。