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悪の問題〜あるいはYの悲劇’18〜  作者: 若庭葉
第四章:失楽のワンダランド
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夜の子供たち②

 解散後、何人かは食堂に残り、もう何人かはそれぞれ自室へと引き上げて行ったようだ。単独行動は禁ずるべきではないのか──と思った矢先、緋村がさっさと食堂を出て行ってしまった為、やむなく僕もその後を追いかけた。

 ロビーに出ると、彼はこちらをいっさい振り返らぬまま、

「……木原さんに話したみたいだな。順一さんのこと」

「ああ……。『他殺に見せかけた自殺』って言う君の話を、疑っているようだったから、つい。──ごめん」

「俺に言っても仕方ねえだろ」

 もっともである。返す言葉もない。

 弥生さんには、後で一言謝っておこう。彼の背中に付いて歩きながら、僕は罪悪感を噛み締めた。


 ほどなく、僕たちは事件現場である脱衣所に到着した。

 お馴染みのビニール手袋──一応先ほど使ったのとは違う物らしい──を装備した彼は、初めにトートバッグを漁る。

「やっぱり、ちゃんと中身が()()()()()な。これじゃあ、包丁はともかく、どう考えても合羽を入れて来るのは不可能だ」

 僕もそう思う。そもそも山風のトートバッグは小さめな物であり、合羽と包丁をしまうのであれば、中を空にしなければ無理そうだ。

 ひとまず手にしていた物を元に戻した緋村は、今度は死体に近寄り、畔上の時同様その傍らにしゃがみ込んだ。そう言えば、彼女にはまだシーツをかけてあげられていない。さすがに可哀想だし、後でもらって来ようかな。

 そんなことを考えつつ、例により手持ち無沙汰な僕は、改めて脱衣所内に視線を彷徨わせた。

 ──戸口の方から見て、向かって右手に荷物や服をしまう為の棚があり、当然トートバッグと遺書があったのもその中の一つ──真ん中の下から二段目──だった。

 続いて真正面に目を向けると、曇りガラスの戸が一面に広がり、その先は言うまでもなく浴場である。また、左右の壁側にはそれぞれ、使用済みのタオルが何枚か入っている大き目の籠と、鏡の付いた小綺麗な洗面台があった。山風はそこで化粧を直したのだろう。

 ──そして最後、左手の壁には先述のとおり手洗いのドアがあり、そのドアノブで彼女かが首を吊っている。

「……特に不自然な形跡は見られないな。索状痕もちゃんと耳の後ろから斜め上に付いてるし、顔も鬱血している。……それに、何より防護創がない」

 通常、誰かに首を絞められたのであれば、索状痕は水平に刻まれるはずである。そしてその際被害者は抵抗するだろうから、両手が封じられていたのでなければ、防護創が残って然るべきだ。この辺りのことは僕でも知っていた。

 また、顔面の「赤い鬱血」に関しては、

「定型縊死──足が床に着いていない状態の首吊り──の場合、体重が全てかかる関係上、一瞬にして動静脈がシャットアウトされるから、こんな鬱血は見られないそうだ。反対に、非定型縊死は徐々に首が絞まって行くから、絶命するまでの間に、顔に血が溜まっちまうわけだな」

「と言うことは──どれも非定型縊死の所見としては間違っていない、と?」

「そうなる」

 アッサリと認める。そんなことで果たして大丈夫なのかと、早くも不安になった。

「心配しなくても、こんなもん幾らでもやりようがあるだろう。例えば、一度山風を気絶させてから、ドアにベルドをかけて首を吊らせるとかな」

「けど、それじゃあ気絶させた時の痕跡──例えば殴打による傷だとか、首を絞めた痕だとかが残るんじゃないのか? さっきの話だと、防護創もなかったそうだけど……」

「ああ、そんな物は一切見られなかった。──だが、凶器が紐ではなく()()()()()()だったら話は別だ。厚手の素材の物で首を絞めた場合、その痕跡は残り辛い。それに、ほら」タオルを入れる籠を顎で指す。「お誂え向きに、そこにタオルがあるだろ? おそらく、犯人はあれを使ったのさ」

 もしそれが本当であれば、確かに自然な「首吊り」の状況を作り出すことができるかも知れない。

 が、そうなって来ると、今度は犯行が可能だったのは誰なのかと言う問題になるが──

「待ってくれ。どんな方法で山風を殺したにせよ、結局犯人はどうやってこの現場に来たんだ? 君は裏口から入って来たと言っていたけど、それじゃあ脱出できなくなるわけだから、やっぱり密室だったってことに」

「簡単な話さ。──裏口から入って鍵をかけた犯人は、犯行後、()()に身を潜めていたんだ。そして、他の人間がここに駆け付けるのに乗じて、自分も()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()んだよ」

 あまりにもあっけない答えに、声も出なかった。なんと言うか、納得すると同時に酷く落胆している自分がいた。

「俺に不満そうな顔すんじゃねえよ。前にも言ったと思うが、現実の犯罪者が凝ったトリックなんて弄するわけねえだろ? 詐欺や窃盗ならまだしも、殺人事件なんだぜ?」

「それは、そうだろうけど……」

「まあ、とにかく、だ。これでおおよその犯行方法はわかったわけだから、後はどいつがやったのかを考えればいい」

 言いながら、緋村は立ち上がった。サラッと口にしたが、それが一番骨が折れるのではないか?

「結局のところ、この犯行が可能だったのは──」

「石毛さん、佐古さん、木原さん、湯本、日々瀬の五人だな」

「えっ? ──でも、一番アリバイがないのは弥生さんだろ? 僕も彼女のことは疑いたくないけど、どうして容疑者から外したんだ? ハッキリとした動機もあるのに……」

「俺の話を聞いてなかったのか? 男湯に身を潜めた犯人は、悲鳴を聞いて駆け付けた振りをして密室から抜け出したんだぜ? これは裏を返せば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ってことじゃねえか」

「あっ」

「『あっ』じゃねえよ。──とにかく、これで異論はないな?」

「いや、まだ一つだけある。石毛さんは除外してもいいんじゃないかな。彼は食堂から出て来るところを木原さんに見られているし、その後二人で話をしてから、二階に上がって行ったそうじゃないか。部屋に戻るフリをしてすぐに引き返し脱衣所に向かったのだとしても、山風を気絶させて首を吊らせるには、時間的に厳しいと思うんだけど」

「そんなことはないさ。犯行を()()()()()()()()()と考えればいい。──まず、母屋に戻って来た石毛さんは厨房の方の裏口から外へ出て反対側へと向かい、脱衣所にやって来た山風を気絶させたんだ。で、首を吊らせてから再び大急ぎで厨房に戻り、ずっと片付けをしていたかのように、食堂からロビーへと出た。その後はお前が言ったのと同じさ。彼は部屋に戻ったフリをして再び階段を下り、改めて裏口へ──今度は玄関から外に出て回り込んだのかもな──行くと、ここでようやくドアの鍵をかけたんだ。その後は、男湯に隠れて死体が発見されるのを待ったわけだな」

 なんとややこしい話だろう。それに、かなり綱渡りのような気がする。

「無論、これは木原さんにしても同じだ。石毛さんを見送った後、そのまま外に出て、裏口に回り込めばいい。俺たちの話を盗み聴きしてたらしいが、案外犯行を終え隠れている時に聴いたのかもな」

「わかった。その五人が怪しいって言うのは認めるよ。──で? 結局のところ、君は誰が犯人だと考えているんだ さっき、『気になっている人間がいる』って言っていたよな?」

「ああ。だが、決定的な証拠はない。俺の直感的には間違いないんだけどな」

 なるほど、当てにならないな。

「何にせよ、もっと情報が必要だ。山風のことだって、今のままじゃ自殺で押し切られちまうかも知れねえ」

 そう言った彼は、続いて洗面台に向かった。こちらにも、一見して不自然な点は見受けられなかった──のだが。

「見ろよ、ハンドルの凹んだ部分に、わずかに()()()()が付いてる。──どうやら、()()()みてえだな。誰かがペンキの付いた指で捻ったんだ」

 それを聞いて、僕はあの女の手を思い出した。月光に照らされた指の先にも、赤い汚れが付着していたことを。

「つまり、あの手の主──山風は別棟から戻って来た後、ここで手の汚れを洗い流したってことか?」

「らしいな……」

 しかし、そんなことがわかったところで何の意味があるのだろう? 僕には大して重要な点には思えなかった。

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