夢②
「ですがそれを話す前に、矢来さんと若庭に質問させてください」
僕たちに? いったい何のことだろう、と少々身構える。
「さっき外の喫煙所から戻って来る時、二人とも裏口の鍵をかけていませんね?」
それは意外な質問だった。須和子さんにしても同じだったらしく、不思議そうな表情で彼を見返している。
──ほどなくして、僕たちはほぼ同時に、
「う、うん。うちはかけてへんけど……」
「僕も……」
正直、あの時は特に気に留めてていなかったが、まあ元から鍵がかかっていなかったのだし、普通はそのまま閉めるだろう。
「そんなこと確かめてどうするんや? 二人が閉めてへんってことは、鍵をかけられるのは山風しかおらんわけやから、いよいよ自殺って話になるやないか」
湯本の反論はもっとものように思われた──が、しかし。
「それが何よりもおかしいんだよ。もし湯本の言うように、鍵をかけたのが山風さんだったとして、彼女は何故そんなことをする必要があったんだ?」
「何故ってそれは……誰にも自殺を邪魔されない為やないんですか?」と、石毛さんがきき返す。
「邪魔? いったい誰にです? ──裏口のドアに鍵をかけたところで、脱衣所自体がそのままでは、誰の侵入も防げないと思いますが」
その言葉に、誰もがハッと息を呑んだ。確かに彼の言うとおりだ。裏口のドアの鍵は密室状況を作り上げこそすれ、邪魔立てされないようにすることとは、無関係ではないか。
「そもそも、邪魔されずに死にたいのであれば、初めから自分の部屋で首を吊ればこと足りるはずです。──そして、『彼女にとってかける必要のない鍵がかかっていた』と言うことは、それは別の誰かの仕業だと考えるべきではないでしょうか?」
これもまた自明の理だ。
「改めて、今度はみなさんに尋ねます。この中に、誰か裏口の鍵をかけた方はいませんか?」
そう問いかけてから、「ちなみに僕は違います」と付け足す。それはそうだろう。僕たちは彼を先頭にして母屋に戻って来た上、その後もずっと一緒に喫煙所にいたのだ。彼にあの扉を施錠する機会はなかった。
答える猶予を与えるように、緋村は口を閉ざし、暫時関係者たちの様子を観察していた。──が、結局、名乗り出る者は誰もいなかった。
「……わかりました。念の為、後で弥生さんにも訊いてみようと思います。──が、とにかく、ひとりでに鍵がかかるはずはありませんし、ここに我々以外の人間はいません。つまり、このまま誰も名乗り出ないのであれば、誰かかが嘘を吐いているわけですね。……そして、嘘を吐かざるを得ないと言うことは、その人物は事件に関与している可能性が極めて高い」
「ちょっと待って。緋村くんは大事なことを忘れてないかしら? そもそも、ミクちゃんが降りて来てから死体を発見するまで、三人は喫煙所にいて、誰も廊下を通らなかったのを確認しているんでしょう? だったら、たとえ不自然だろうが何だろうが、鍵をかけることができたのは、ミクちゃんだけなんじゃ」
「そうとも限りません。──裏口から入って来て、そのまま閉めればいいだけですから」
確かに、鍵をかけるだけであればそのとおりだが……。
「けど、それじゃあその後は? 犯人はどうやって密室状態から脱出したわけ? ──わかっているとは思うけど、『鍵をかけた状態でドアを思いっきり閉める』って言うトリックは、今回はなしよ? さっき確認したら、裏口のドア枠はすり減っていなかったし、留め具もレの字ではなく真四角のタイプだったからね」
「……ナルホド、それもご存知なんですね」
その一言と共に寄越された視線を受け、僕は苦々しい思いを噛み締める。彼に順一さんの死の真相を話したことが、露呈してしまった……。
「安心してください。その方法もだいたい見当が付いてます。──が、今は言わないでおきましょう。少し確認したいことがあるので」
「それって時間稼ぎのつもり? 全くもって期待外れだわ。──さっきのロジックはまだまともだと思ったけど、結局のところこの状況を説明できていないじゃない。どうしても事件は終わりじゃないって言うのなら、もっと決定的な証拠を示してもらいたいわね」
「確かに、仰るとおりですね。では、これからそれを見付けて来ることにします」
「……話にならないわね。やっぱり役者不足だったのかしら」
彼は大袈裟に肩を竦めてみせた。先ほどからわざと過激な言葉を選んでいるようだが、食堂で推理の穴を指摘されたことへの、意趣返しだろうか?
いずれにせよ、木原さんは自殺説を取り下げる気はないらしい。──とは言え、他殺である可能性は十分に示されたようで、死体発見当初とは明らかに場の空気が変わっていた。
「と、とにかく、まだ油断するには早すぎるようですね。道が通じるようになるまで、無事に過ごせるよう協力し合いましょう」
石毛さんの言うとおり、大切なのはこれ以上犠牲者を出さないことだ。その為にも現状の整理や情報の共有は不可欠であり、僕たちはこれまでと同じく、一度食堂に集まり話し合うことになった。
──そして、遺体を残して脱衣所を後にする間際、気になる出来事が一つあった。
廊下に向けて踵を返した途端、とある小さな呟き声が耳に入ったのだ。
「……てんでんこ」
それは、どうやら日々瀬が零した物だったらしい。
と、思う間もなく、彼女の後ろ姿は廊下へと消えてしまう。その声を聞いたのは僕だけのようで、自然といつかの「無風」の食卓を思い起こさずにはいられなかった。
彼女の零したその言葉──異常なまでに無機的な響きを持った呟きには、いったいどのような意味があるのだろうか……?
僕がそれを知るのは、もう少し後のことだった。