デッドマンズ・ギャラクシー・デイズ②
彼らが持ち帰ったのは、山風の自殺を裏付けるような情報ばかりだった。
「裏口のドアには、中から鍵がかかっとったわ。あと、ついでに男湯の方も見てみたけど、大して変わったところはなかったな」
「お、女湯にも、誰かが潜んでいるようなことはありませんでした。そもそも、浴場には窓がありませんから、誰も出入りできないはずですし。──た、ただ、浴槽の中に」
女湯を見に行った日々瀬は、ある遺留物を発見していた。彼女が指差した浴槽を覗き込むと、湯の色が幽かに濁っており、さらに何かが浮かんでいることに気付く。
──一瞬巨大な海月のように見えたそれは、一着のビニール合羽だった。さらにその下には鈍く光を反射する刃──包丁が沈んでいるではないか。
言うまでもなく、お湯の「濁り」はこれらから解け出した血であろう。犯行に使われた道具が遺棄されているのは、もう用が済んだと言う意味なのだろうか……?
「遺書の次は、凶器と血の付いた合羽か……これは決定的やな」
再び脱衣所に戻り、浴場の戸を閉めながら、佐古さんが呟く。
「そうっすね。──もっとも、そんな物が見付からなかったとしても、ここが密室だった以上、自殺としか考えられませんけど」
先ほどの報告にもあったように、男女両方の浴場に窓はなく、裏口のドアは内側から鍵がかけられていた。のみならず、山風が女湯に向かってから遺体を発見するまでの間、誰も廊下を通った者はいなかった──喫煙所にいた僕たちの目に触れることなく、脱衣所へ向かうことは不可能だ。
つまり、今回の現場もまた、完全な密室状態だったのである。
「やっぱり、畔上くんを殺した犯人は、ミクちゃんだったのよ。そして、逃げられないと悟った彼女は、自らの手で命を絶った──これが真相でしょう」
確かに、この状況だけを見れば、そうとしか思えないが……。先ほどの緋村の話を聞いたばかりだからだろうか、この幕引きにはどうにも納得がいかなかった。こんなタイミングで容疑者が自殺をするだなんて、できすぎているではないか。
「でも、彼女の手足には傷があります。これって、誰かと争ってできた物なんじゃ」
意を決して異議を申し出たが、これは意外な方向から棄却されてしまう。
「……いや、そうとも限らない。首が絞まって意識がなくなった後も、体は激しく痙攣する。だから、手や足に傷があったとしても、それ自体は何ら不自然じゃないどころか、非定型縊死──こんな風に、足や尻が床に着いていたり、寝転がったりした体勢での首吊りだ──の所見としては、あって然るべき物だ……」
法医学の知識を披露しながらも、緋村の視線は床の辺りを彷徨ってていた。何故かは知らないが、「心ここに在らず」と言った様子である。
いったい、彼は何を考えているのだろう?
「しかし、気になるのはこの『二人もの人間を殺した』ってところやな。一人は畔上のことを指しとるとして、もう一人は誰や? オーナーさんの死は自殺やったんやろ?」腕組みをした佐古さんが、誰にともなく問う。
実際の死因は病死だが、いずれにせよ殺されていないことは確かだ。
「それって、もしかしてオーナーさんの娘さん──確か、キヨカさんと言ったかしら。彼女を自殺に追い込んだって意味なんじゃない?」
「えっ」と思わず声を漏らし、僕は木原さんの姿を見返した。──何故、彼がそれを知っている?
「どう言うことや、哲郎」
「実は、昨日のミクちゃんの様子がずっと気になっていたのよ。あの写真を見た時から、やけに元気がないようだったから、もしかして彼女は、キヨカさんのことを知っているんじゃないかって。──それで、さっきロビーで石毛さんと会った時に、少しキヨカさんのことを訊いてみたの。そうしたら、虐めの主犯格のうち片方のイニシャルはYであり、尚且つ彼女は今、阪芸に通っていることを教えてもらったわ」
「ホンマなんですか?」
「え、ええ」石毛さんが頷く。
「……実は、私はキヨカちゃんを虐めに追いやったクラスメイトについて、調べたこがあるんです。しかし、その内の一人はイニシャルがYであることしかわかりませんでした。……ところが──これは弥生ちゃんにも言っていないことですが──、最近になって、どうやら彼女は阪芸に通っており、尚且つ《GIGS》と言う音楽サークルに所属していることを突き止めたんです。と言っても、まさか一回生とは思いませんでしたが……」
それを聞いて、僕は密かに納得していた。昨日弥生さんから聞いた話では、石毛さんがこの時期に泊まりに来るのは珍しいとのことだった。これはおそらく、Yが《GIGS》の部員であることを知ったからこそ、この合宿に予定を合わせたと言うことだろう。
その目的が、ただ相手の姿を確かめる為だったのか、あるいはそれ以上の物だったのかはわからないが……。
「いずれにせよ、これで事件は解決したわけですよね」
安堵したように、湯本が会話に加わる。
「やろうな。かと言って安心しとる場合でもないが。部員が二人も亡くなってもうた上、そのうちの一人が殺人犯やったんや。ホンマに大変なんは、ここから帰った後やろ」
「そうねぇ、下手したら部の存続さえ危ぶまれる事態だわ。少なくとも、ほとぼりが冷めるまでは活動自粛をした方がいいんじゃないかしら」
「これから学祭ライブに向けて、本格的に準備してかなあかんって時期やのに……」
「最悪、俺らだけでも出られればええんやないですか?」
彼らの中ではすでに事件は終わった物になっているらしく、早くも下山した後のことを心配していた。
すると、耐え兼ねたように──
「やめて!」
須和子さんが声を荒げる。
「そんな話、今するようなことやないやろ! ミクちゃんの遺体も、そのままやのに……」
「矢来先輩……」俯いた彼女を気遣い、日々瀬がその肩に手を添えた。他の部員たちはバツが悪そうに黙り込む。
重苦しい場の空気に、フリーライターも困惑した表情で立ち尽くしていた。
──何にせよ、大勢は決した。
現場は完全な密室であり、遺書も残されていたのだ。
釈然としない物を感じてはいたものの、この場の流れを覆せるとは、到底思えない。
おそらく、あの男であっても──
僕は彼の横顔を盗み見た。
綺麗な顎のラインをこちらに向けながら、緋村は相変わらず濡れた床に視線を落としている。
「とにかく、一度ここから出ましょう。弥生ちゃんにも報告せなあかんですし、いつまでも遺体の傍におるわけにもいいませんから」
その一声により、僕たちは脱衣所を出て行──こうとした。
が、しかし。
「……待ってください」
そこで、彼が沈黙を破る。
「まだ、終わってはいません。これは──どうやら自殺ではないようです」
そう言って関係者らに向けられた昏い瞳には、何やら怜悧な光が宿されていた。