想像のSecurity②
緋村が語ったのは衝撃の事実、とはほど遠い内容だし、そもそも推測による部分が多すぎる気がしないでもない。しかし、話を聴いているうちに、この事件との向き合い方がわかったことは確かだった。
密室や亡霊の手、赤く染められた白薔薇などと言った幻妖な装飾物のせいで、僕はある種の錯覚に陥っていたのだろう。目に映る景色以上の物を見出してしまっていたのだ。
「そもそも、靴が盗まれた時、山風はまだ別棟内に隠れていたはずです。これでは彼女に靴を盗むことはできない。……裏を返せば、それが可能なのはあの時母屋にいた人間だけであり、もう一人の犯人は、確実にその中にいることになる。
その点で言えば、二人は容疑者候補から外れたとことになりますね。まあ、だからこそ、まっさきに考えを聴いてもらう気になったのですが。──とにかく、山風の他にもう一人、犯行に関わった人間がいたのは確かだと思います。……それどころか、彼女はその人物に利用されていただけなのかも知れません」
「利用されていた?」
「ああ。──例えば山風の弱みを握ったその人物が、彼女を脅して犯行を手伝わせた、とかな。さすがにそれで畔上を殺させることは難しいだろうが、現場を荒らすくらいなら引き受けたかも知れない。ちょうど、彼女には後ろ暗いことがあったようだし」
無味乾燥な声と共に、紫煙を吐き出す。彼が言っているのは、キヨカさんへの虐めに加担していた過去のことだろう。しかし、さすがにそれだけでは、脅しの材料としては弱い──彼女自身、緋村に指摘された時はアッサリ認めていたし──のでは?
そう思っていると、こちらの考えを見抜いたらしく、
「まあ、あくまでも可能性の一つとして聞いてくれ。──ちなみに、やろうと思えばもっと想像を膨らませることもできるぜ? 例えば、もう一人の犯人──謂わば“真犯人”が、あのタイミングで靴を盗んだ理由とかな」
そう言えば、靴が盗まれた一件に関しては、これまで不思議とその意味を考えたことはなかった。それこそ密室やら亡霊やらにばかり気を取られがちだったが、確かにこのささやかな事件も、立派な謎の一つだ。
「俺たちの靴を盗むことに、いったい何のメリットがあったのか。最もわかりやすいのは、やはり犯行に関する痕跡を揉み消す為だったと考えることです。──すなわち、靴を奪うことで、ある痕跡を非常に目立たなくさせようとしたわけだ」
そう言うと、緋村は僕たちの答えを待つかのように言葉を切った。さほど難しい問いではないだろうに、なかなか彼の言わんとするところが見出せない。
酷くもどかしい思いをしながら、必死に頭を働かせたが──結局、煙と共に正答が吐き出されるのが早かった。
「シンプルに考えてください。──犯人が隠したかったのは、実は消えた靴の中で一つだけ、先に盗まれていた物があったことだとするのが、一番シックリ来ませんか?」
なるほど。それならば、確かに他の者の靴を奪うことで、容易に隠蔽できる。木を隠すには森の中と言う言葉はミステリにおいても馴染み深い物だが、まさに彼の「想像」も、そのパターンの一つだったのだ。
「さて、ここからさらに想像の翼を広げてみましょう。他の靴よりも先に盗まれた──あるいは隠された靴があったとして、それは誰の物だと推測できるか。俺の頭の中には、ただ一人しか思い浮かびませんでした」
「もしかして──山風のサンダルか……?」
知らず零れ出た呟きに、ヘヴィースモーカーは頷く。
「ああ。そう考えれば、もう少しだけ長く飛ぶことができそうだ。──真犯人が予め山風のサンダルを盗んでいたとして、その目的は何だったのか。その人物が山風を利用していた可能性を考慮するに、最も正解に近いと思われるのは、彼女の逃げ道をなくすこと。要するに、彼女が『犯行を手伝わざるを得ない状況』を作り出したわけですね」
今度の話は、正直あまりピンと来なかったが、それも仕方なのないことだろう。そう思われるほど、彼の目指す地点へ向かうには、かなりの飛躍が必要だった。
「例えば、靴がないことに気付いた彼女に、『ならば代わりにこれを履いて行け』と、畔上のクロックスを手渡したとしたらどうです? あるいは、地味なクロックスですから、何も言わずに裏口に置いてあったとしても、《マリアージュうたかた》の備品だと勘違いさせられるかも知れません。──とにかく、あれを山風が手に取った時点で、彼女の指紋が付着することになるでしょう。その上で、その指紋が付いたクロックスを履いて別棟に向かい、現場を荒らしたとなれば、一気に最有力犯人候補が完成すると思いませんか?」
──そう言うことか。緋村の「想像」の中の真犯人の目的は、初めからその一点のみ。
すなわち、山風に罪をなすり付けることだったのだ。
「無論、その現場を荒らすと言う行為自体も、山風が犯人だと思わせる工作の一環でした。『不思議の国のアリス』の見立てだと言う意見もありましたが、おそらくペンキや薔薇その物に、大した意味はなかったはずです。重要なのは内容ではなく、それを山風にさせること──すなわち彼女を別棟へ向かわせる口実だったのでしょう」
確かに、見立てなどと言う猟奇的な演出に比べれば、遥かに現実的な理由である。
しかしながら、ただ濡れ衣を着せる為だけに、そこまでのことをするものだろうか? それに、何故スケープゴートは彼女でなくてはならなかったのか……。
その辺りに関しても、緋村は答えを持ち合わせていた。
「ただ身代わりを用意するだけであれば、ここまでのことをする必要はありません。しかし、犯人が山風に対して、元から強い憎悪を抱いていたとしたら、話は別です。つまり、彼女は共犯者でありながら、同時にターゲットの一人でもあったのではないでしょうか?
ところで、ここで一つ質問させてもらいますが、俺がこれまで話した推理の中に、どこか違和感のある箇所はありませんでしたか?」
違和感? ──はて、何のことだろう? 緋村の口振りだと、わかっていながらわざと触れなかった瑕疵があるようだが……。
僕は皆目見当が付かなかったが、先輩は違った。
「もしかして、アレがそうなんかな? 実は、うちも少し変やなって思っとったねん」
いったい何が変だったのか、素直に教えを請うことにする。
「ほら、ミクちゃんがコンクリートの部分に隠れてみんなをやり過ごしたって話あったやろ? あの時、緋村くんはたまたま窓に鍵をかけへんかったけど、もしそうやなかったら、ミクちゃんは倉庫に戻れんくなるやん。となると、当然ブルーシートの陰に留まるしかなくなるけど、そんな場所じゃ、みんなが外を調べた時に簡単にバレてまうんやないかなって。──緋村くんのロジックに当て嵌めて言うと、『果たして、そんな場所見付かりやすそうな場所を隠れ場所に選ぶだろうか?』って言う矛盾が生じるわけやな。──って思ったんやけど、違う?」
「そうです、それが言いたかったんです。まさしく我が意得たりですね」
彼は満足げに頷いてみせる。ナルホド言われてみれば、確かにおかしな話ではある。それこそ、そんなところに隠れることなどせずに、多少リスクを伴うことを覚悟してでも、現場を離脱するのが普通だろう。ちょうど畔上のクロックスもあることだし。
「さて、素晴らしいアシストをいただけたところで、話を本筋に戻しましょう。──この違和感に対して少々強引に理由を与えるとするならば、それは『山風に罪を擦り着ける為に、真犯人がそうするよう指示をしたから』と考えるのが、最も自然ではないでしょうか。即ち、真犯人にとっては、山風が見付かろうとどうなろうと、問題ではなかった──いや、それどころか、隠れているのがバレることを望んでいたのかも知れない。その人物は、山風を陥れるつもりで、俺たちをやり過ごす為のトリックを伝授し、別棟に留まるように仕向けたのではないか──と、こんな風に捻くれた考え方もできるわけです」
普通、あの状況下で別棟に留まる理由はない。それこそ、発見されることを望んでいたのではない限り。
そして、実際彼女はすぐに母屋へ戻らなかったのだから、殺人犯として糾弾されるのを望んでいたのでなければ、その理由は真犯人の策謀による物だと考えるのが自然である──と、緋村は言いたいらしい。
──もし彼の「想像」が当たっているのだとすれば、その真犯人とやらは相当冷酷な人物であると言わざるを得ない。ある意味では、それは殺意以上の情念だったのではあるまいか。
少なくとも、尋常ではない悪意を抱き犯行に及んだ者がこの中にいることは、間違いないだろう……。