想像のSecurity①
「前提として、さっきも言いましたが、山風が犯行に関与しているのは確実でしょう。例の女の手は、やはり彼女の物であり、雨が上がった後で畔上のクロックスを履いて別棟に向かったのも、死体や薔薇にペンキをぶち撒けたのも、彼女だったわけです」
今更そんなわかりきったことを──と思っていると、彼の目玉だけが動きこちらを捉えた。
「今更そんなこと言うなって顔だな。まあ、ぶっちゃけこれから話すのは木原さんの推理の改訂版みてえなもんだ。重複する内容だらけだろうが、我慢して聞けよ」
「改訂版、ね。それはつまり、あの時食堂で指摘していた点を、君自身が修正したってことか?」
「ああ、基本的にはな。──つうわけで、まずは最初に指摘した点に関して話して行きましょうか」
確か、ドラムセットの陰に隠れるのは不可能だし、そもそも隠れ場所として選択しないだろう、と言う話だったか。
「別棟の角から二人を手招いた山風は、いったいどこに隠れたのか。それは、ドラムセットなどではなく──鍵のかかっていなかった倉庫でした。彼女はひとまず倉庫に入り、二人をやり過ごしたのです」
「いやでも、それはおかしくないか? 緋村たちが別棟に駆け付けた後、みんなで中を見て回ったけど、その時倉庫には誰もいなかったはずだ。それに、そもそもあそこには、人が隠れらるようなスペースはなかったじゃないか」
「確かに、倉庫の中にそんな場所はなかった。……なら、外だったらどうだ?」
「外? ──それじゃあ、あの時すでに山風は別棟内にはいなかったって言うのか?」
「まあ、そうだ。だが、かと言って別棟から離れてもいなかっただろうがな」
……また無駄に迂遠な言い回しを。
「つまり、どう言う意味なん?」と、須和子さんも困惑したような表情で、小首を傾げる。
「割とそのままの意味です。──要するに、俺たちが倉庫を見に行った時、彼女はすでに窓から外に出ており、別棟の周囲のコンクリートの部分に身を潜めていたんですよ」
「あっ」と思わず声が出かけた。こんな単純なことに気付かなかったなんて、我ながら迂闊すぎる。
──いや、ある意味それも当然だったのだ。何故ならあの時、窓を開けて外を確認した緋村は、何も言わなかったではないか。
「もし山風が本当にあのコンクリートのところにいたとしたら、君が窓から首を突き出した時に、気付いたはずじゃ……。──それとも、わかっていながら黙っていたんじゃないだろうな」
「違えよ。別に、何も難しい話じゃねえさ。ただ単に、彼女は『練習室1』の方に回り込むことで、俺に見付かるのを回避したってだけだ」
「ああ……」今度は完全に声が零れた。そう言えば、問題のコンクリートのスペースは、コの字型に別棟を囲っていたっけ。
「誰かさんの推理にもあったように、お誂え向きにブルーシートが干してあったからな。母屋の方からバレる心配もなかっただろう。無論、『練習室1』のある方に回った時も、角度的に向こうからは見えねえはずだ」
僕は、窓の外一面に広がるブルーシートを思い出す。屋根から垂れ下がったそれが、茫漠と横たわる海面のように、波打つ様を。あの時、彼女は現場の裏側に回り込み、息を殺して、こちらの様子を窺っていたのだろうか……。
「その後、俺たちが外を調べに出たのを見計らって、山風は再びブルーシートが垂れている側の辺に移動した。あるいは、倉庫の窓からもう一度中に入ったかして、俺たちの目をやり過ごしたのさ。──そこから先は、木原さんの意見とまるっきり同じです。俺たちが母屋へと引き上げて行った後で、彼女は堂々と別棟を脱出しました」
「な、なるほど。そんな簡単なことやったとは……。──けど、それやと結局、キバちゃんの推理と変わらんくない? つまり、緋村くんも指摘しとったように、偶然誰もミクちゃんに声をかけんかったから成立する、ハイリスクなトリックなわけやろ? 誰かが呼びに行ったら、それだけで部屋におらんことがバレてまう──そこまでして密室にする意味がわからない、って自分言ってたやん」
「ええ、言いました。──ですが、実は俺の考えは、木原さんの推理とは根本的に違っている点があります」
いったいそれは何なのか。今のところ大して変わらないように思うが。
「前提として、そもそも犯人に現場を密室にする意図はなかったはずです。それこそ、偶然そうなってしまった──要するに、今説明した要領で逃げ回った結果、自然と密室のような状態になっただけなんです」
「え? でも、ミクちゃんは雨が上がった後でわざわざ別棟に戻ったわけやろ? それって、密室を作り出す為やったんやないん?」
「確かに、彼女が畔上を殺した犯人だとすれば、そう言うことになります。そして、そう考えるからこそ、先ほどの指摘──つまり偶然に頼ったトリックを実行するだろうか、と言う矛盾が生じてしまうんです。
であるならば、逆に考えればいい。すなわち、山風の他にもう一人犯人がおり、その人物こそが殺人の実行犯だったとすれば、矛盾は解消されます」
それこそが、木原さんの推理との「根本的な違い」と言うわけか。
「二人が死体を発見した時、残されていた足跡は、畔上のクロックスの物のみでした。──と言うことは、実際の犯行時刻は、やはり雨が降っている間と見ていいでしょう。もし畔上が殺されたのが雨が上がった後で、クロックスを履いていたのが彼自身だったとすると、足跡を残さずに移動する方法が他にない以上、犯人が別棟に渡れなくなってしまいます」
これもまた言われてみれば当たり前の話である。ミステリ好きとしてはあまりにも無味乾燥と言うか、面白味に欠ける推理、とも思わなくもないが。
「さて、それではこうした状況に最も自然な解を与えるとしたら、いったいどうなるか。それは──『雨が上がる前に畔上を殺した犯人は、クロックスを持って一度母屋に戻った後、雨が上がった後で再びそれを履いて別棟へ向かった』とするべきです」
つまり、「クロックスの足跡だけが残っていた」=「雨が上がった時点で、クロックスは母屋に持ち去られていた」=「その時ですでに畔上は殺されていた」と考えられ、「犯行時刻は雨が降っている間である」と言うロジックが、成り立つわけだ。
一瞬感心しかけたが、よくよく考えてみれば──いや、考えるまでもなく──、木原さんが言っていた推理にそれらしい説明を加えただけではないか。
食堂で話を聴いた時、あそこまで否定する必要はなかったんじゃないのか? と、少々呆れてしまう。
「……しかし、これはこれでおかしい。そう、わざわざ一度母屋に帰ってから、再び現場に出直す意味がありません。──それこそ、密室に見せかける為だったんじゃないかって? まあ、絶対に百二十パーセント違うとは言わねえが──やはり、考え辛いだろう。何度も言うように、リスクが高いばかりで得られる物がなさすぎる。
それに、現場の様子を見る限り、事故や自殺に見せかける意図はサラサラないようだった。と言うことは、犯人がクロックスを持ち帰ったことと密室は全くの無関係であり、そこにはもっと別の理由があったと見るべきだ」
「別の理由──それが、ミクちゃんの他に犯人がいるってことと、どう繋がるんや?」
「今までの話を纏めると、犯人は足跡が残る心配もなく、また、雨が上がってから現場に戻る必要性もないにもかかわらず、畔上のクロックスを持ち帰ったことになります。と言うことは、クロックスは『雨が上がった後、母屋にいる別の人間に履かせる為に持ち去った』と考えるのが、最も自然ではないでしょうか。──すなわち、犯人は二人おり、彼らの間に役割分担があったわけです」
──つまり、もう一人の犯人と山風は、「殺人の実行犯」と「現場を荒らす役」を分業して行ったと言うのか。
「この場合、当然クロックスを持ち帰った方が前者、そしてそれを履いて現場に向かった方が後者──つまり、例の手の主と言うことになります。加えて、これまで何度も言っているように、他に該当者がいない以上あの手の主は山風に相違ない。──であれば、彼女がしたことは後から来て現場を荒らしただけであり、殺人犯は別にいると見るべきでしょう」




