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悪の問題〜あるいはYの悲劇’18〜  作者: 若庭葉
第三章:亡霊
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スモーキン・ビリー①

「このトリックを使う上でのポイントは、二つ。一つ目は、別棟の周囲には、四十センチほどの幅のコンクリートの部分があったと言うこと。さっき緋村も日々瀬に言っていたけど、そこに立てば足跡は残らない。

 そして、二つ目のポイントは、庭に敷き詰められた砂利。こちらもよっぽど踏み荒らさない限り、足跡が付くことはない──と言うことは、この二つの間に広がる()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()わけです」

「それはそうやろうけど……そこが一番大変なんやない? 確か、別棟から前庭までは十メートルくらい離れとったやん。とても飛び越えて行けるような距離やないと思うけど」

 ピンと来ていないのか、須和子さんがわずかに眉をひそめる。

「確かにそのとおりです。──しかし、もしこのコンクリートの部分と砂利の間に()()()()()ことができたとしたら、どうですか?」

「橋を? ──いや、でもそんな物都合よくあるわけが」

「あったんですよ。ちょうどお誂え向きの物が。……犯人が使った架け橋とはいったい何か。結論から言うと、それは──ズバリ、()()です」

「脚立?」と須和子さんが普段よりも一オクターブほど高い声を上げる。対して、緋村は全くの無反応であり、相変わらず何を考えているのかよくわからない。

 無機的にこちらに向けられた眼差しを見て、僕は死体の瞳を思い出しつつ──口を動かし続ける。

「そうです。しかも、この脚立は順一さんが薔薇の世話の為に使っていた物で、屋根に上るのにも使えそうなほど大きい。だいたい四メートルくらいはあったと思います。昨日、夕食の支度をする前に順一さんを呼びに行った時、脚立を片付けるのを手伝ったんですが、その際別棟の倉庫ではなく()()()()()()に立てかけました。大きすぎて屋内にしまうのは手間なので、普段からそうしていたらしいです。──つまり、脚立は誰にでも簡単に取り出せる場所にあったわけですね」

 そして、喫煙所の(そば)の外灯のプラグが抜かれていたこと。これらの事実を考え合わせ、僕が辿り着いた答えはこうだ。

「犯人はまず、明るいうちに密かに外灯の電源を抜いておいたんです。こうしてセンサーが反応しないようにしておいてから、次に畔上を『練習室1』に呼び出しました。母屋の裏口から続いていた彼の足跡は、その時の物でしょう。おそらく、雨が上がった後で呼び出したんですね。

 それから、犯人は玄関の方から庭へ出て喫煙所へ向かい、脚立を取り出して、例のコンクリートの部分へと橋をかけました。こうして間の泥濘に足跡を残すことなく、その人物は現場へと向かい、畔上を殺害したと言うわけです」

 そこで区切りを付けた僕は、再び彼らの反応を窺った。先ほどと同じで、戸惑っている様子の須和子さんと、表情のない顔の緋村が目の前にいる。

「……えっと、一つええかな。トリック自体はわかったし、確かに誰にでもできるやろうけど──そもそも、四メートルの脚立じゃ届かんくない? さっきも言うたけど、別棟と庭の間は十メートルくらい離れとるんやで?」

「仰るとおり。──しかし、その問題は簡単に解決できます。すなわち、脚立を()()()()()んですよ。こうすれば、長さは単純に倍になるわけですから、コンクリートの部分と合わされば、ギリギリ足りるはずです」

 むしろ、だからこそ架け橋はあの脚立でなくてはならなかったのだ。

「おそらく、犯人は別棟に渡った際、一度脚立を()()()()()()()()にしまっておいたんでしょう。迫り出した屋根に重しで留めたブルーシートは、ちょうどコンクリートのスペースを隠すように、壁一面に垂れていました。十分ブラインドの役目を果たしたはずです。

 そして、犯行に及んだ後、現場にペンキをぶち撒けたり、ドラムを斧で壊した。それから再び脚立を取り出してその場から立ち去ろうとした時、僕と須和子さんが喫煙所にいることに気付いたんです。別棟に身を潜めながら、犯人は焦ったことでしょう。せっかく足跡を付けずに渡って来たと言うのに、庭に人がいては、架け橋のトリックが使えませんからね。──そこで、一計を案じた犯人は、いっそのこと僕たちを手招いて死体を発見させ、その隙を突いて現場を脱出することにしたんです」

 ここが、僕の推理の一番のミソだった。つまり、あの時「オイデ、オイデ」をしていた白い手は、やはり()()()()だったのだ。

「それじゃあ、やっぱり葉くんも──ミクちゃんが犯人やと考えとるん?」

「はい。──木原さんも言っていたとおり、あの手の持ち主は彼女である可能性が最も高いですから。それに、僕たちが死体を見付けて固まっている間に別棟を出ていたのであれば、みなさんの靴を盗むこともできます。

 また、倉庫の窓に鍵がかかっていなかったのも、そこから人が出入りした証拠と言えるでしょう」

 僕は少なからず、この推理に自信があった。そもそも「女の手」で僕たちを手招くことができたのは山風しかいないはずだし、先ほどの彼女の狼狽えっぷりも見過ごせない。

 しばしの静寂の後、須和子さんの呟き声がそれを終わらせた。

「……()()()と思うで」

「……え?」

「いや、言い辛いんやけど──四メートルの脚立って、確かそれ以上開かんのやなかったっけ?」

 ──マジですか……?

 もしそうであれば、僕の説は一瞬にして瓦解してしまう。

 今度は声に出して「マジですか……?」と尋ねると、彼女のみならず緋村も共に頷いた。

「マジだ。十四尺脚立──脚立のサイズは通常『尺』で表されるんだが──に、梯子兼用の物はなかったはずだ。一般的に流通している物では、確かこれが最大サイズだからな。

 あと、十四尺脚立を一人で運ぶのは、かなり骨が折れる作業だと思うぜ。と言うか、普通の女性だったらほぼ不可能だろう」

「いや、でもそれは──うまいこと畔上を言い包めて手伝ってもらったとか」

「まあ、確かにそう言うことも考えられなくもない。どんな状況なのか全く想像付かねえけどな。──が、とにかく、脚立が開かない以上、泥濘の部分を渡ることはできないわけだ」

 緋村の言葉を聞いている間、ガラガラと何かが崩れる音が頭の中で響いていた。僕は精一杯それを食い止めようと試みる。

「じ、じゃあ、別棟を囲うコンクリートの角と、裏口側の砂利の上ならどうだ? これなら、開かないままでもギリギリ」

「届かねえだろうな」

 辛うじて残った壁を支えていたら、崩壊に巻き込まれてしまった気分だ。まさか、こんなにもあっけなく否定されるとは。

「ついでに言わせてもらうが、もしお前の推理のように、何らかの方法によって足跡を付けずに移動できるとしたら、例の手の主は、わざわざ二人を招き寄せる必要がないだろう。畔上の血は完全に乾いており、犯行時刻から幾らか間が空いていることは明白だ。なら、ペンキをぶち撒けたりドラムセットを壊したりしたとしても、人が来る前に立ち去る余裕は十分にあったはずだろ? 少なくとも、俺なら無駄に現場に留まるようなことはせず、さっさと逃げるね。──脚立の橋を渡ってな」

 トドメの一撃、にしてはあまりオーバーキルすぎやしないか。こちらはとっくに瓦礫の下で伸びていると言うのに。

「けど、それじゃあ……外灯のプラグが抜かれていたのは何故なんだ? 君も言っていたとおり、あれは『誰にも知られずにあそこで何かをする為の細工』としか思えないじゃないか。──脚立を取り出したのでなければ、その人物はいったい何を」

 悔し紛れに難問をふっかける──つもりだったのだが、最後まで言い終えるより先にある物が目に入り、声を失ってしまった。

 それは、緋村の体越しに見える窓の向こうで起きた。まるで狙い澄ましたかのようなタイミングで、暗い庭の先に()()()()()()()()()()()()のである。

 間違いなく、それは(くだん)のセンサー式ライトの灯りだった。

 誰かが外の喫煙所に向かったのだろう。

「どないしたん? 外に何か──」

 突然黙り込んだのが気になったのか、僕の視線に吊られたように、二人が窓の方を振り向く。

 するとちょうどその時、光の作り出す陰の中で、何かが動く気配を感じた──と思った矢先、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ではないか。

「緋村」思わず声をかけると、彼は「見に行って来る」とだけ答え、煙草の火を揉み消した直後には、すでに廊下へ飛び出していた。

 彼の頭にも、先ほど発見したプラグのことが浮かんだのだろう。

 事件と関係があるか否かはともかく、同じ人間の仕業なのであれば、その目的や正体を知る絶好の機会だ。

「さっきのって外の喫煙所の灯りやんな?」

「はい、おそらく」

 答えるのももどかしく、ほとんど燃え尽きていたマルボロを灰皿に沈めた僕は、そのまま彼の後を追いかけた。須和子さんもそれ以上説明を求めようとはせず、一緒に付いて来る。

 あっと言う間に廊下を通り抜け、緋村が開け放して行ったドアを、閉まり切る寸前でノブを掴んで引き外へ踊り出た。

 ──と、一歩目を踏み出したところで、指の間に泥が入り込む嫌な感覚がして立ち止まる。ようやく裸足であることを思い出した僕は、靴を取りに戻るべきか逡巡した後、すぐ左手に花壇の角が見えていることに気付いた。僕は咄嗟に花壇の縁に飛び乗ると、その上を伝って砂利が敷き詰められている方へ降り立つ。

 足の裏の痛みを我慢しつつ、僕は小走りに喫煙所へ向かった。一度振り返ってみると、須和子さんも同じ方法で追って来ているのが見えた。

 ──ほどなくして、目的地に到着すると、すでに緋村はある意外な人物と対峙しているところだった。

「──()()()()?」

 ついさっき仮眠を取ると言って別れたばかりの彼が、何故かそこにいた。それも、少々狼狽えている様子である。いったい、彼はこんなところで、それもわざわざ外灯を消してまで、何をしていたのだろうか……?

 まさか、石毛さんが犯人で、何かの証拠を隠滅しようとしていたのか──と、身構えた時、僕は彼の手にある物を見付ける。

 それは、火の点いた煙草だった。

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