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悪の問題〜あるいはYの悲劇’18〜  作者: 若庭葉
第三章:亡霊
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サニー②

 畔上の部屋を出ると、先ほどのことを尋ねる間もなく、日々瀬は逃げるように自室へ戻ってしまった。

 仕方がないので、そちらに関してはまた別の機会に確かめるとして、僕は次はどうするのかと、緋村に尋ねる。すると、

「そうだな、取り敢えず──気化させたニコチンを吸引しに行きたい」

 と言うわけで、今度は一階の喫煙所へと移動した。「さすがに疲れてしまいましたので、少し仮眠を取ることします」と言う石毛さんとは、部屋を出てすぐに別れる。

 喫煙所に着くと、二人のヘヴィースモーカーたちはさっそくスパスパとやり出した。その様子を眺めていると、

「お前も吸ってみるか?」

 咥え煙草の口角を歪ませて、緋村はマルボロの箱を差し出して来る。別段喫煙に興味はなかったが──なんとなく気が向いたので、一本もらってみることにした。百円ライターで火を点けてもらうと、途端に煙の味が口内へ広がる。まるで舌べらが燻製されるような感覚に、僕は盛大に咽せてしまった。こんな物のどこがいいのか、正直全く理解できない。

「まあ、最初はそんな感じよな。ヤニクラするやろ?」

 こちらはキャメルを口に咥えた先輩が、悪戯っぽい笑み浮かべる。よくわからないが、確かに軽い目眩と言うか、頭がズキズキと脈打つのを感じた。

「もしかして、ホンマは煙草とか苦手やったりする? 無理して付き合ってくれてたんやったら、ごめんな」

「あ、いえ、苦手ってほどじゃないですよ」わざと緋村の方に煙を向け、「彼のせいでだいぶ慣れましたし。──ただ、家族に吸う人が誰もいなかったので、最初は少し臭いが気になりましたけど」

「そうなんや。──そう言えば、葉くんって兄弟とかおらんのやっけ?」

「はい」と頷く。すでに二口目を吸うつもりはなく、僕は煙草の先をさりげなく灰皿に添えた。

「じゃあ、幼馴染とかは? 仲ええ子とかはおらんかったん?」

「えっと、いたにはいましたよ。割と歳が離れてるので、『近所のお兄さん』って感じでした。──まあ、僕が中学に上がる頃には、疎遠になってしまいましたけど」

 もうスッカリ遠ざかってしまった日々の記憶が、須臾(しゅゆ)のうちに再生される。幼い頃の僕は、彼の部屋に通い、よく遊んでもらっていた。棚から溢れた本が山積みとなった六畳間の香り──おそらくは古い本の発する独特の芳香──が、にわかに蘇った。

 かつての僕は、その「お兄さん」の影響をダイレクトに受けて育った──と言ったら少々大袈裟ではあるが、とにかく彼は様々なことを教えてくれた。そして、その中には、探偵小説も含まれていた。奇々怪々な事件の謎が、名探偵によって解き明かされて行く魅力──ミステリの醍醐味を初めて知ったのは、確か、彼の蔵書の中の『シャーロック・ホームズの冒険』を読んだ時だったか。

 記憶の中で、彼はいつも、老人が使うような安楽椅子(アームチェア)に細長い体を収め、悠然と脚を組んでいた。その姿は、当時の僕にとっては、それこそホームズその物のように映ったものだ。

 ──そんな風に、灰皿の上のマルボロをただの燃えカスに変えながら、僕は一人懐古の念に駆られていた。

 その間も、現実のトークは進んで行く。

「緋村くんは? ──て言うか、絶対一人っ子やんな?」

「どうして決め付けるんです? まあ、実際そうですが」

「あ、やっぱり。──いや、何となく? なんや、常に泰然としとるって言うか、マイペースやん? 今だって、たぶんここにいる人間の中で一番冷静やろうし」

 取りようによっては皮肉になりそうだが、おそらくそうした意図はないのだろう。それに、彼女の言っていることには大いに同意である。

「そもそも、どうして緋村くんは率先して事件の調査をしとるん? まさか、実は普段から警察の捜査に同行しとるとか、犯罪者を狩るのが生き甲斐とか言わんよね?」

「もちろん、言いませんよ。若庭にも似たようなことを訊かれましたが、みなさんと同じで事件初心者です。──なら、何故探偵の真似事をしているか、ですか? それは……単に、他にやることがないからですかね。土砂が撤去されるのをただジッと待っているのも焦れったいですから」

「不謹慎すぎますね」と面白くもなさそうに締め括り、彼は灰を落とす。単に答えをはぐらかしただけのようにも思えるが、実際大して彼の行動に理由はないのかも知れない。

 あるいは、緋村もまた「無意識」に突き動かされている者の一人なのか……。

「確かに不謹慎やね。けど、焦れったいって言うのは同感や。──なあ、緋村くん。実際のところ、どこまでわかっとるん? トリックや、犯人の目星は付いとるの?」

「ええ、まあ、トリックの方はだいたい見当が付きました。犯人はまだ何とも言えませんが」

「へえ、なかなか頼もしいやん。参考までに教えてくれへん?」

 須和子さんが白い歯を見せて尋ねると、彼は「わかりました」と、意外にも素直に応じる。

 かと思ったが、

「ですがその前に、二人の意見を聴いてみたいですね。順一さんの時のように、何か思い付いたことはありませんか?」

 煙を吐きながらそう言って、彼は僕たちを交互に見回した。その昏い瞳は、やはり被験体を観察する研究者じみている。

「いやぁ、正直うちはサッパリやな。──あ、でも、現場のあの状況やったら、ないこともないで? あれって、『不思議の国のアリス』の見立てやったんやないかな? ほら、ハートの女王の部下が、薔薇をペンキで赤く塗るシーンあるやろ?」

 ……やっぱり、この先輩とは気が合うのかも知れない。

「すみません、そのネタはすでに僕がやりました」

「あれ、そうなん? て言うか、『ネタ』って」

 取り敢えず、僕は先ほど緋村から賜った指摘を、そのまま説明した。

「そうか、見立てにしては中途半端か……。言われてみればそうやね。うーん、割と自信あったんやけどなぁ……」

 彼女はどこか拗ねたように、唇を尖らせる。

 その様子を見て苦笑していると、「お前はどうなんだ?」と、研究者の視線がこちらに向けられた。

 僕は──

「……一応、あるにはあるよ。密室のトリックだけじゃなく、犯人の正体にも目星は付いてる」

「さすがだなホームズ。──それで? いったいどんな名推理なのか、さっそく聴かせてくれよ」

 片眉を上げ、彼は茶化すような笑みを──目は全く笑っていなかったが──浮かべた。酷く虚仮にされた気がして多少腹立たしかったが、敢えて触れないでおこう。いちいち取り合っていたらきりがないし。

 そう言ったわけで、僕はやたら目の死んだワトソン相手に、自分の意見を披露することとなった。

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