MANGA SICK②
以降、特に言及すべき事物は発見できず、僕たちは大した成果も得られぬまま、母屋へと引き上げることにした。
別棟を出る間際、緋村は畔上の部屋を調べると言い出す。その為に、部屋の鍵も遺体から失敬して来たのだとも。そこまでするのはさすがに気が引けた──が、結局事件の真相への興味には抗うことができず……。
乗りかかった船だと覚悟を決めた僕は、再び調査に同行することにした。
かくして母屋に戻ると、落ち着かない様子の石毛さんが、ロビーで待ち構えていた。どうやら現場検証の結果が気になりそこで待っていたらしい。
「どないでしたか? 何か、手がかりは見付けられました?」
「残念ながら、あまり芳しくはないですね」
石毛さんの問いかけに、緋村が答える。やけにそっけなく感じられたが、おそらくさっさと被害者の部屋を調べたいのだろう。
「そうですか。まあ、こう言ってはなんですが、結局は素人ですからね。後は警察に任せた方がいいでしょう」
順一さんの時は、緋村が捜査することを歓迎していた彼だが、今度は違うらしい。それもある意味当然か。あれは謂わば偽物の事件だったが、今回のは本当の殺人事件なのだ。ただの学生が現場を弄り回すことを、快く思うはずがない。
が、当の素人探偵はそんなことなど歯牙にもかけず、
「そうですね。──しかし、バトンタッチする前に、一度畔上くんの部屋を調べて来ようと思います。もしかしたら、事件に関して何かわかるかも知れません」
唯一の戦利品とも言える畔上の部屋の鍵を掲げながら、そう告げた。
ノンフィクション作家は、さすがにたじろいだ様子だった。しかし、彼が制止する間もなく、緋村はさっさと階段へ向かってしまう。
僕と石毛さんは、慌ててその後を追った。
「さすがにそれはやりすぎなんやないですか? ほら、順さんの時とは状況が違うわけですし」
「確かに、そのとおりです。自分でも非常識だと思っています。──が、気になりませんか? 何故彼が殺されてしまったのか。そして、昨夜彼が目にしたと言う『亡霊』とは、いったい何だったのか」
「『亡霊』⁉︎ なんですか、それは!」
予想外なワードだったのだろう、石毛さんが頓狂な声を上げる。あの話を知らないらしい彼に説明しようとしたところで、二階に到着した。──と言うか、緋村の奴、このまま有耶無耶にする気だな。
二階の廊下に出ると、須和子さんと日々瀬の二人に出会った。浮かない表情で何やら相談していたらしいが、僕たちの姿を認めると、中断して顔を上げる。
「どないしたんですか? もしかして、また何かありました?」
「あ、いえ、それが……」
石毛さんが視線を流した先で、彼はすでに鍵を差し込んでいた。
「畔上くんの部屋を見てみます。何か発見があるかも知れませんので」
言うが早いか、緋村はドアの鍵を開け、ノブを捻った。誰もそれを止めることはできず、行きがかり上捜査に立ち会う形となる。
──室内は片付いており、脱いだ衣類が散らかっているようなことはなかった。几帳面な性格の現れなのだろうか。行儀よく口を閉じた旅行鞄とベースケースが、机の傍らに鎮座しており、まるでたった今チェックインしたばかりのようだ。
「畔上」とガムテープの名札が貼られたそれらに歩み寄ると、しゃがみ込んだ緋村は、躊躇なく鞄の中身を漁り始める。順一さんの部屋を調べた時はまだ多少の遠慮があったはずなのだが、いったいどこに行ってしまったのか。
さすがに石毛さんから注意されるかと思い、その顔を窺い見たが、呆気に取られるあまり何も言えないらしい。
代わりに、と言うわけではないだろうが、須和子さんが声を潜めて話しかけて来る。
「なあ、緋村くんっていつもあんな感じなん? ちょっと意外なんやけど」
「いや、あそこまでアグレッシヴではなかったんですけどね。僕も少し驚いてます」
僕たちの会話は聞こえていないのか、それともワザと無視しているのか、彼は手を休めることなく、淡々と鞄の中身を取り出しては床の上に置いて行く。
手持ち無沙汰な僕は、ふと気になったことを尋ねた。
「そう言えば、さっきは廊下で何を話していたんですか?」
「ああ、実は、うちらミクちゃんの部屋に行って来たんや。せやから、ミクちゃんの疑いが晴れるとええなって話を少しな」
「そうだったんですね。……どうでしたか、山風の様子は」
「うーん、だんだん落ち着いて来てる感じやったで? 一人になって頭が冷えたんやろ。『見苦しいところをお見せしてすみません』って謝っとったわ。──まあ、キバちゃんのことはまだちょっと許せんようやけど」
苦笑する須和子さんの言葉を聞いて、僕は昨夜聞いた話を思い出す。母屋内の喫煙所で、木原さんは山風に嫌われているらしいと言っていた。彼女にとって自分は、「特に理由もなく気に入らない相手」なのではないか、と。食堂でのやり取りを見る限り、どうも思い過ごしと言うわけではなさそうだ。それどころか、彼の方でも相手に対してあまりいい感情を抱いていないのではないか──と、勘繰りたくなるほど、二人の応酬は終始険悪だった。
「さすがにあれは可哀想でしたね」緋村の作業を見守っていた石毛さんが、こちらを振り返る。「状況的に見て一番怪しいとは言え、あんな風に糾弾されてしまっては敵わないでしょう。それに、彼女が犯人と言う具体的な証拠は、何もないわけですから」
彼の言うとおりだ。木原さんが指摘したのは、全て状況証拠にすぎない。
──もっとも、例の手の一件がある以上、疑われても仕方がないとも言えるが。
そう考えていると、日々瀬が顳顬を指で抑えつつ、オズオズと口を開く。
「あの、一つ不思議に感じていることがあるんですけど……みなさんが別棟の周辺を調べた時、不審な足跡は見当たらなかったんですよね? でも、死体を発見する直前、先輩方は誰かが別棟の角から手を突き出して、『オイデオイデ』しているのを目にした……。だったら、その角のところの地面に、手の主の足跡が残っていないのはおかしいんじゃないでしょうか? それこそ、幽霊でもない限り……」
もっともな疑問だ。一瞬言われてみればそのとおりだなと納得しかけた──が、すぐに、これは彼女が現場に来ていないからこそ、飛び出した問いだと気付いた。
そのことを説明したのは、畔上の荷物を広げていた緋村だった。
「コンクリートの上に立っていたからでしょう。別棟の周囲には四、五十センチほどの幅のコンクリートの部分がありましたから」
おそらく彼の言うとおりだろう。コンクリートの部分は庭側を縦の辺に見立て、「コ」の字型に別棟を囲っている。つまり、入り口側の角に立って身を隠すだけであれば、足跡が残ることはないわけだ。
あまりにも呆気ない答えに、日々瀬は「そう言えば、確かにありましたね。練習の時に見た気がします」と苦笑する。早とちりしてしまったと後悔しているのか、気恥ずかしそうに横髪を弄っていた。
「あ、あの、どうですか? 何か見付けられそうですか?」話題転換とばかりに、彼女は尋ねる。
「……ええ。一応、気になる物が出て来ました」
そう言って緋村が差し出したのは、一冊のスケッチブックだった。