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悪の問題〜あるいはYの悲劇’18〜  作者: 若庭葉
第一章:病める薔薇
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透明少女①

 おお ばらよ おまえは病んでいる!


 ウィリアム・ブレイク(土居光知訳)『病める薔薇』

 八月四日。大学に入学(はい)って二度目の夏休みを迎えてから、すでに十日ほどが経過していた。しかしながら、大学の長期休暇などと言う物は、大した趣味も金もない人間にとっては、ただ無為に費やす時間が増えただけである。

 実際、「暇な貧乏人」の代表格である僕は、その日も無目的に街を歩いた挙句古本屋に立ち寄り、店先の日陰の中で、百円均一コーナーの棚を吟味していた。すると、ちょうど以前から気になっていた竹本健治の『匣の中の失楽』を見付け、手に取って裏表紙の推薦文に目を通していた、その時──

「わっ」

 ガクンッと両膝が沈み、思わず声を上げてしまった。和英辞典のように分厚い文庫本を握ったまま、振り返る。

 すると、すぐ真後ろに、一人の女性が佇んでいた──いや、腹を抱えて笑っていた。

 ──やっぱりこの人か。呆れつつ僕がイヤホンを外すと、彼女は手の甲で涙を──そんなに面白いか? ──拭いつつ、

「ごめんごめん、そこまで驚くとは思わんかったわ。ええリアクションやね、(よう)くん」

 その女性──矢来(やらい)須和子(すわこ)さんは、言葉の割に悪びれる様子もなく、そんなことを宣う。髪は明るい金色に染めたショートヘアーで、Tシャツの上に羽織ったベストやジーンズと言ったボーイッシュな出で立ちが、よく似合っている。髪の隙間から覗いた小さな耳たぶのピアスが、夏の日差しを反射し、「葉くん」こと僕──若庭(わかば)葉は、一瞬目を細めた。

「そりゃ、この歳でいきなり膝カックンなんてされたら、誰だって驚きますよ。小学生ならまだしも──いや、小学生だとしても、普通女子はやらないと思いますけどね」

 腕白小僧のように笑い続ける先輩に、精一杯の反撃を試みる。

 ──彼女も僕と同じく阪南芸術大学に通う学生で、この春無事にご進級あそばせて、四回生となった。学科は、共に文芸学科だ。

 そして、何故こんなテンション高めな先輩とお近付きになってしまったかと言うと、一つは共通の授業で知り合ったのと、もう一つ僕が彼女に誘われて、あるサークルに入ったからに他ならない。

「なんやの? その言い方。うちかて、昔は純情可憐な乙女やったんやから。……まあ、今はもう女捨てかけとるけど」

「さすがにまだ捨てるには早いんじゃ……」

「ええの! うちはバンド一筋なんやからっ」

 そう言って、肩にかけていたギターケースを揺らしてみせる。

「これから練習ですか?」

「せやねん。やっぱり、長期休暇中は予定合わせやすいからな。うちのメンバー、実家に帰る奴もほぼおらんし」

 須和子さんはバンドマンである──と同時に、学内にあるバンドサークルに所属していた。そして、授業や構内で顔を会わせる度に誘われ続けた結果、最近になってとうとう僕も入部してしまったのだ。とは言え、楽器など買える余裕はなく──そして、余裕のできる予定もなく──、時たまサークルの会合に顔を出すだけの、謂わば「幽霊」状態なのだが。

「練習ってことは天王寺まで行くんですよね? 時間大丈夫なんですか?」

「へーきへーき。次の電車まで、結構余裕あるから。──そんなことより、君、合宿()えへんの?」

「合宿、ですか?」数拍置いて、思い出す。「ああ、夏休み前の部会で言ってた。──いやぁ、僕幽霊みたいなもんですし、遠慮しておこうかな、と」

「そんなこと気にしとったん? 誰も文句なんか言わへんって。そう言えば、この間の花火も来てへんかったやろ? ──せっかく入ったんやし、もっとエンジョイしたらええのに」

 自分が損をしたかのように、須和子さんは少しむくれる。

「一緒に合宿行こうや。今年は参加者が少なくて、ちょっと寂しいねん」

「そう言われても……そもそも、僕何も楽器できませんし」

「立ちボやったらええやん。──それに、別に練習だけが目的やないで? 四日間みんなで遊んだり呑んだりして、親睦を深めましょうって言う、楽しい集いなんやから。ええ思い出になるはずやし、遠慮なんかしとったら、もったいないわ」

「はあ、でも……その、お恥ずかしながら、少しその、金欠で」

「……ナルホド。まあ、そんなことやろうと思ったけどな。学生の財布事情なんて、みんなドッコイドッコイやし。──しかーしっ、安心しなさい。こんなこともあろうかと、実はちゃんと手は打ってあんねん」

 そう言って、自信ありげに口角を吊り上げる須和子さん。やたらと頼もしげな表情だが、だからこそ余計に不安になって来る。

「あの、いったい何を……」

「要するに、お金をかけずに合宿に参加できたらええんやろ? せやったら、話は簡単や。アルバイトしたらええ。そう──()()()()()()()宿()()()な」

 自信満々に放たれた言葉に、一瞬「ナルホド」と納得しかけてしまった。

 が、しかし、そう都合よく雇ってもらえるものなのだろうか? ──と言うか、そもそもそこまでして参加しなければならない理由は、こちらにはないのだが……。

「せやから、手は打ってある()うたやろ? ……もうすでに、先方には話し付けてあんねん」

「え? ──と言うことは、もう向こうはそのつもりだと?」

 答えは「イエス」である。いくらなんでも勝手すぎやしないか?

 こちらがあっけに取られていると、須和子さんは急に申し訳なさそうな表情になり、指で頬を掻く。

「実は、もともとこの方法使って合宿に参加する予定だった子らが、急に来られへんくなってな。それで、さっきも言うたように、あちらさんに快諾してもらった後やから、キャンセルするんも申し訳なくて……。もちろん、合宿自体は、ちゃんとそこでやるつもりなんやけど」

 そう言う事情だったのか。

 別に先輩を助けるのは吝かではないし、むしろ臨時収入を得られるのはありがたいのだが……どうしよう?

「まあ、うちも無理にとは言わへんよ。君にも予定があるやろうし」

「いや、予定とかは大丈夫なんですけど……」

「それに、どの道あともう一人探さなあかんからなぁ」

 つまり、アルバイトをしながらでなければ参加できないほど困窮した経済状況の者が、二人いたのか。確かに、みなドッコイドッコイなのかも知れない。

 ──そんな風に考えているうちに、僕はもう一人の穴埋め用員にも、心当たりがあることに気付いた。すなわち、僕と同じくらい暇で、尚且つ金欠であろう同期の存在に。

「あの、もしかしたらどうにかなるかも知れないです。もう一人の分も含めて」

「ホンマに?」須和子さんの表情が、パッと輝く。

「はい、おそらく」

「ええの? 気ぃ使ってくれてるんとちゃう? 無理なら無理って言うてくれて、ええんやで?」

 さっきは強引に参加させようとしたくせに、気弱そうに眉を曲げて尋ねる。乱暴なようでいて、ちゃんと他人の意思も尊重できる人なんだろう──と、最近気付いた。

「大丈夫ですよ。部外者がいても、みなさんが平気なら」

「その点は安心してくれてええ。よくも悪くもガサツな人間の集まりやから、誰も気にせんやろ。それに、人数が多い方が楽しいし」

 ならば、変に気兼ねする必要もないのだろう。

 かくして、白紙状態だった僕のこの夏の予定表に、合宿参加と言うイベントが追加されたのだった。

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