you may crawl ①
「あら、なかなか手厳しいわね。具体的にどの辺りがおかしいのか、教えてくれる?」
「……わかりました」答えた緋村は、考えを纏めるようにわずかに間を置いた。彼が再び口を開くのを、みな注目して待つ。
「木原さんの話を整理すると──まず、山風さんは雨が降っている間に畔上くんを殺害し、一度別棟から母屋に戻った。その後、雨が止んだのを見計らって、持ち去った彼のクロックスを履き、再び別棟へ。それからたまたま外にいた矢来さんと若庭を手招いて死体を発見させ、現場に駆け付けた僕たちが引き上げた後で、堂々と別棟を脱出した。そうですね?」
緋村が視線と共に問いかけると、彼は「ええ」と頷き返す。
「確かに、これなら足跡がなかったことや例の女の手には説明が付きます。しかし、明らかに無理があると言わざるを得ない点が、パッと思い付くだけでも三つ。
一つ目は、果たしてドラムセットの陰に身を潜め、あれだけの人数をやり過ごすことが可能なのか、と言うこと。──いや、ハッキリ言って、かなり難しいのではないかと思います。確かに、山風さんは小柄な方ですし、真っ赤に染まった死体のインパクトによって多少は注意を逸らすことができるかも知れません。それでも、ドラムセット──主に隠れられるとしたらバスドラムの裏でしょうか──では、身を隠すにはいささか心許ないと思いませんか? つまり、可能か不可能か以前に、『そんな物を隠れ場所を選ぶものだろうか?』と言う疑問が生じます」
「けど、別棟内には他に隠れられるようやスペースはなかったわよね?」
「そうでしたね。しかし、それは逆に考えれば、あの時──僕たちが別棟内を見て回った時には、すでに犯人は建物内にいなかった、とも考えられるのでは?」
「どう言うことかしら?」
「これは、靴が盗まれた一件と関係する話です。──と言うことで、二点目に行かせてもらいましょう。
矢来さんから死体発見の報せを受けた我々は、別棟に向かおうとして、靴が消えていることに気付きました。ここで注目していただきたいのは、靴が盗まれたタイミングです。確か、死体発見の直前、木原さんは外に出ており、矢来さんと入れ替わりに母屋に戻ったんですよね? ところが、今さっきも言ったとおり、先ほど別棟に向かおうとした時には、木原さんの物も含め、当時母屋内にいた全員の靴がなくなっていた。──当然ながら、何者かが靴を盗んだタイミングは『木原さんが母屋に戻ってから、事件が発覚するまでの間』と言うことになります」
「……ナルホド。つまり、あたしの推理では、ミクちゃんはあたしたちが別棟から引き上げるまで、現場に潜んでいたはずだから、タイミング的に靴を盗むことはできないって言いたいのね?」
「ええ。あの一件が事件と無関係とは到底思えません。であれば、やはり犯人は、あの時点ですでに母屋内にいたと考えるのが自然かと」
「でも、誰か共犯者がいれば、別棟にいながらでも靴を盗むことは可能でしょ? 無論、あまり考えたくはないけど……」
「最後にもう一つだけ。これはかなり根本的な疑問で、そうまでして現場を密室にする意図がわからないことです。今回の場合、畔上くんの死を事故や自殺に見せかけるつもりはサラサラないようですから、偽装の為とは考えられない。にもかかわらず、どうして山風さんは、そこまでのリスクを冒さなければならなかったのか……」
「確かに、その点に関しては謎ね。でも、あたしたちがまだ気付いていないだけで、何か重要な意味があったのかも知れないわ。──むしろ、そう言うのは直接本人に訊くのが、早いんじゃない?」
多分に挑発的な発言である。これを受けた山風は、怒りを堪えているのだろう、青褪めた表情で唇を噛み締める。
すると、緋村は少しも表情を変えぬまま、
「重要な意味、ですか。──果たして、本当にそうでしょうか? 僕には到底そんな物があるとは思えません。何故なら、木原さんの考えたトリックは、あまりにもハイリスクだからです。……どうやらうまく伝わっていないようですね。では、一つだけ質問させてください。──今回のこの集まりに山風が呼ばれなかったのは何故でしたか?」
「何故って……」
呟きはしたものの、木原さんは返答に詰まった。
他の者も──渦中にいる山風や、無論僕も──、みな質問の意図が読み取れず、戸惑っている様子である。
しかし、その沈黙は緋村にとって想定内の物だったらしい。特に気に留めることなく話を再開する。
「そう──理由なんてありません。ただの偶然です。たまたま誰も彼女に声をかけなかったと言うだけなんです。──これが何を意味するか、わかりますね?」
そこまで言われて、ようやく彼の言わんとしていることが理解できた。
木原さんが語ったトリックは、ある偶然によって成立する──ように思えていただけだったのだ。
「もし山風さんがずっと別棟に籠っていたとして、この中の誰か一人でも部屋に声をかけに行けば、それだけで彼女の不在はバレてしまいます。今回はたまたま誰も気が回らなかったと言うだけのこと。──そんな偶然に頼った密室トリックなんて、果たして実行する意味があるのでしょうか? もう一度言いますが、あまりにもハイリスクだ」
この意見には、彼も反駁できなかったらしい。降参だとばかりに、深く椅子にもたれかかる。
「わかった、あたしの推理に無理があるってことは認めるわ。──けど、だからと言って、ミクちゃんが犯人である可能性は消えたわけじゃないわよね? 例の手のこともあるし、有力な容疑者であることは変わらないはずよ」
「……まあ、そうとも言えますね」
一転して、気の抜けるような返事である。
すると、それまで無言で二人のやり取りを聞いていた山風が、わざとらしく鼻を鳴らした。
「よっぽど私のことを犯人にしたいようですね。確かな証拠もないクセに、アホらしい。付き合ってられません」
言うが早いか、彼女は乱暴に椅子を引いて立ち上がり、そのまま踵を返す。
──が、木原さんは、こう言ってそれを引き止めた。
「証拠はないけど、気になることはまだあるわ。さっきあたしの話を聞いた時、あなたはこう言ったわね。──『この短時間で、ようそんな妄想思い付きますね』って」
「……それが、どうかしたんですか?」
「どうもこうも、おかしいでしょ? あなたはずっと自分の部屋に引き篭もっていて、ここに来て初めて畔上くんが殺されたことを知ったのよ? なのに、あなたはどうして彼の遺体が発見されてから、まださほど時間が経っていないことを知っていたの?」
「そ、それは」
振り返った体勢のまま、彼女は視線を床の上に這わせる。続けるべき言葉が見つからないらしく、その表情には明らかな焦燥の色が見て取れた。
「た──たまたまそう言っただけで、別に深い意味はありません! どうしてその程度のことで糾弾されなきゃいけないんですか? ──もしかして、本当は自分が犯人やから、人に罪を擦り付けようとしとるんやないですか?」
山風は半ば自棄になったような笑みを浮かべ、反撃に出た。しかし、少し妙な気がする。幾ら自分を名指しで疑った相手とは言え、それだけで犯人呼ばわりするのは、いささか強引すぎやしないか?
「あら、そう来るの? それこそ、何を根拠に言っているのか教えてもらいたいわねぇ」
「……木原先輩には、動機があります」
「動機?」
「先輩は、本当は以前から畔上くんに消えてもらいたかったんやないですか? 何せ、彼はライバルなんですから」
ライバル──つまり、須和子さんを巡る恋敵だから、殺したと言いたいのか? ──そんな馬鹿な。幾らなんでも、それだけのことで、仮にも自分の後輩である人間を殺すだろうか? 畔上の方がリードしていたのならともかく、そう言った様子は少しも見られなかったのだし。
「それに、木原先輩ってかなり中性的ですよね? 色白な方やし、月明かりの下手を突き出せば、女の物のように見せかけることもできるんやないですか?」
確かに、彼の肌は白い方だし、彼女がそう考えたのも無理からぬことかも知れない。しかし、実際に目にしたからわかる。あれは、断じて男の手ではなかった。
「チョット、さすがにそれは無理があるわよ。これでも結構手は大きい方だし、女性のフリをするだなんて。──動機に至っては、もはや論外ね。この際だから、ライバルって言うのは認めるけど、それだけで人を殺すわけないでしょ?」
「通常はそうだとしても、こんな状況やったらわかりませんよ? 私たちは携帯も繋がらん山奥に閉じ込められとるわけですから。『あいつを始末するんやったら今が絶好の機会や』って考えたとしても、おかしくないやないですか」
「……ミクちゃんこそ、よくそんな妄想思い付くわね。こじ付けにもほどがあるわ」
「こじ付け? ──せやったら、さっきあんたが言うたのも、単なるこじ付けやん! 人のこと言えんのはどっちやねん!」
敬語を使うことも忘れ、彼女は声を荒げる。眦を決した凄まじい剣幕に、大抵の者は──僕も含め──圧倒されいた。
が、面罵された本人は意外にも静かな面持ちをしてそれを受け止めていた──かと思いきや、
「……ダボが──あんまいちびりよるなや」
それまでの女性的な口調や余裕のある声音から一転、ドスの効いた低い声で、重く呟いた。独特の方言──なのか? ──も相俟って、他人を威すには十分すぎるほどのインパクトである。
実際、数瞬前まで喚き散らしていた山風は、呆気に取られたように黙り込んでしまった。
「……哲郎、播州弁出とんで」
「あらやだ。なるべく地元以外じゃ使わないようにしてたのに」
口許に手を当て、取り繕うように微笑む。もはや豹変ではないか。
「ミクちゃんもごめんなさいね。──でも、調子に乗らない方がいいのは確かでしょ? 本当に困っている時に、誰にも助けてもらえなくなっちゃうわよ?」
再び余裕の笑みを取り戻した彼の顔を、山風は忌々しげに睨み付けた。──が、すぐにそちらに背を向け、
「も──もうええです! 私、自分の部屋に戻りますから」
捨て台詞のように吐き出したかと思うと、足早に戸口へと向かい、乱暴にドアを開けた時には、その後ろ姿は廊下の先へと見えなくなっていた。彼女が出て行ってからしばしの間、死んだような静寂が座を包み込んだ。