左ききのキキ②
突然のことに、咄嗟に答えられる者はいなかった。そんな中、彼だけはすぐに余裕のある表情を取り戻し、反対に尋ね返す。
「あら、どうしてそれを知っているのかしら? ずっと自分の部屋に閉じ籠っていたはずなのに」
「……なんとなくそう思っただけです。今朝と同じようにみなさんが集まっていて、そこに畔上くんだけがおらんかったら、予想は付きますよ」
山風はわずかに語気を強めた。彼の言葉から、疑いを向けられていることを察したのだろう。
「そう。──ごめんなさいね、いきなり変なことを訊いちゃって。ただ、たった今話していたところなのよ。誰が畔上くんを殺した犯人なのか、ね」
「とても気になる話ですね……。私も仲間に入れてくれませんか?」
「もちろん、そのつもりよ。あたしもミクちゃんの感想が知りたいと思っていたから。──さ、ミクちゃんも座ってちょうだい」
彼女はしばしの間、冷ややかな表情で相手の顔を見つめていた──が、ほどなくして視線を外すと、無言のまま日々瀬の隣りの席に着く。
それから、木原さんはつい先ほど話していた内容を、もう一度彼女に説明した。ここにいる女性──つまり、「白い女の手」を演じられる者は四人しかいないこと。そのうち須和子さんと日々瀬にはアリバイがあり、弥生さんは絆創膏をしていた為候補から外れると言うことを。
彼の話が一区切りするまでの間、山風は黙って相手の顔を見据えていたが、やがて呆れたように溜め息を吐くと、
「……つまり、木原先輩は、私が犯人だと仰りたいんですね?」
「ええ、そう言うことになるわ」
臆面もなく、彼は首肯してみせる。その笑みは一切揺らぐ気配がないが、聴いている方は気が気ではなかった。誰もが──例により無機的な眼差しの緋村を除いて──固唾を呑んで、二人の静かな攻防を見守っていた。
「見え透いたことを……」低く呻くような声だった。「そんな物、何の証拠にもならないですよね? 先輩の話だと、『須和子さんたちを手招くことができたのは、山風未来だけ』と言うことですけど、せやからって私が犯人とは──つまり、その手の主と犯人が同じ人間だとは限らないやないですか。……どうしても私を犯人にしたいんやったら、せめて明確な根拠を示してもらいたいんですけどね」
「……確かに、そのとおりね。いいわ。なら、もう一つあたしの考えを聴いてもらいましょうか」
批難するような言葉も、敵意を剥き出しにした視線もどこ吹く風とばかりに、木原さんは頷いた。そのことがまた神経を逆撫でたらしく、山風は深く眉皺を刻む。
「単刀直入に言うわ。あたしには、すでに密室のトリックがわかっているの。そして、それはどう考えてもあなたにしか不可能なのよ。……あたしが思うに、犯行時刻は夕食の前か、その最中──つまり、雨が降っている時だったんじゃないかしら。だから、その時の足跡は残らなかった。──そして、ここがポイントなんだけど、犯行後すぐに、ミクちゃんは一度、母屋に戻って来たの。それから再び自分の部屋に引き籠るフリをして、雨が止む、あるいは弱まるのを待ったわけね。
で、あたしたちが夕食を終える頃には、めでたく雨が止んだ。そのことを確認したあなたは、予め持って来ていた畔上くんのクロックスを履いて、裏口から改めて別棟へと向かった」
「じゃあ、あの足跡はアゼちゃん本人やなくて、犯人の物やったってこと?」
須和子さんが尋ねると、答えは「そのとおりです」だった。
「トリックって言えるほど大層な物じゃないですね。ちょっとした小細工です。──さて、次にミクちゃんは、たまたま外にいた須和子さんと若庭くんを手招いたの。これはおそらく、都合よく二人が喫煙所にいたからそうしたのであって、誰もいなければ何か別の方法を用いるつもりだったんじゃないかしら。要するに、誰かに死体を発見してもらう必要があったわけ」
死体を発見させる──その行為が、密室を成立させるのに重要になるのだと、彼は考えているのだろう。と言うことは……朧げながら、木原さんの思い付いたトリックが見えて来た気がした。
「重要なのはここからよ。──こうして二人を手招いたミクちゃんは、大急ぎで現場に入り、ドラムセットの陰に隠れた。後はもうわかるわよね? あなたはバスドラムの陰に身を潜めて私たちをやり過ごし、全員が現場から引き上げたのを見計らって、堂々と母屋に戻った。かくして、密室は作られた……」
彼は相手の反応を窺うように、そこで言葉を区切った。しかし、先ほどから山風の表情に変化は見られず、その心中を窺い知ることは難しいだろう。
目線を外し、彼は話を再開する。
「わざわざ幽霊みたいに二人を呼び寄せたのも、早く死体を発見させる為。そして、その混乱に乗じて別棟を脱出する為だった。そうすれば、現場に駆け付けたあたしたちの足跡に、別棟から戻る自分の物を紛れ込ませることもできるからね。
また、畔上くんの死体にペンキをぶち撒けたり、フロアタムに斧を突き立てたりしたのも、全て自分が身を隠しているドラムセットから目を反らすのが目的だったんじゃないかしら。実際、あたしたちは誰も死体に近付こうとはしなかったしね。──以上が、あたしの推理よ。どう? 何か感想は?」
「……正直なところ、感心しました。──この短時間で、ようそんな妄想思い付きますね」
「妄想、ね。……確かに、自分でも根拠薄弱だとは思うわ。でも、あなたなら密室を作ることができたのは、これでわかったでしょう? もし他に方法がなければ、それはあなたが犯人だと言う証明になるんじゃない?」
どうだろうか。今の内容だけで犯人だと断ずるのは、さすがに無理があるように思うが……。
「馬鹿馬鹿しい。他に話がないんやったら、私はまた部屋に戻ります。余計気分が悪くなって来ましたので」
「ちょっと待って。その前に、彼にも意見を聴いてみたいの」
言いながら彼が目を向けた先は、僕の隣りの席だった。それまで二人のやり取りを静観していた──あるいは観察していたのか──緋村は、無機的な表情のまま、その視線を受け止める。
「……ねえ、緋村くんはどう思う? あたしの推理、どこか間違っていたかしら? ……それとも、他に密室トリックの目星が付いているとか? だとしたら、是非聴かせてもらいたいわ」
「……残念ですが、密室云々に関しては、今のところサッパリです。と言うか、現時点でみなさんに聞かせられるような意見は持ち合わせていません」
緋村は、抑揚のない低い声で続けた。
「ただ、それでも感想を述べるとすれば──木原さんの推理には、幾つか腑に落ちない箇所があります」