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悪の問題〜あるいはYの悲劇’18〜  作者: 若庭葉
第三章:亡霊
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スーパーカー②

 白皙たるその指先には、何か()()()()が、毒々しいマニキュアのようにコビリ付いていた。

 ある種幻想的とも言えるその光景に、瞬間、思考が停止する。

 両目は、視界の中にある物を、ただ無意識に映し出した──

 すると、こちらの混乱などお構いなしに、その白い()()は、突如()()()()()()()()()()()でははいか。

 まるで「オイデ、オイデ」と、僕たちを誘うように……。

 ──亡霊の手。そんな言葉が、自然と想起される。

 かと思うと、直後、それは角の向こうに引っ込み、再び出て来ることはなかった。細い指の白と赤は、網膜に焼き付いたまま、脳裏で揺らめき続ける。

 ──あれは、いったい何なんだ……? 僕らを()()()()()のか?

 すると、唐突に、Tシャツの裾を後ろから掴まれた。ハッとして振り返ると、須和子さんが、不安げにこちらを見つめている。

 そして、その時初めて、自分が無意識のまま、歩き出そうとしていたことに気が付いた。

 まるで、先ほどの手に引き寄せられたかのように。

「あ、その──少し、見に行って来ます。須和子さんは、先に戻っていてください」

「いや、うちも行く。あれが何なのか気になるし……ええやろ?」

 こうして、僕たちは一緒に別棟へと向かうことにした。

 庭を横切ると、すぐに砂利の部分が途切れる。泥濘(ぬかるみ)が靴底に纏わり付く感覚を味わいながら、先ほど腕が消えた出入り口の方へと回り込んだ。

 僕たちが歩いて来た地面──庭から別棟のある辺りまでは、十メートルほど離れている──には、誰の足跡もなかった。正確には、ブルーシートを干したり斧を物置にしまったりした時の物が、別棟の周囲に残ってはいたのだが、雨によってほとんど消えかかっていた。

 ──ほどなくして、ドアの前に到着した。何の気もなしに振り返ってみると、そこから母屋の裏口──浴場のある方のだ──へ、カーヴを描いた一筋の足跡が、ハッキリと残っているのがわかる。それも、「()()()()()()()、母屋側からまっすぐに伸びているのだ。

 つまり、その足跡の主は雨が上がる直前か、上がった後に別棟に行き、尚且つまだ()()()()()()()、と言うことになる。

 では、その人物が、「オイデ、オイデ」と、僕たちを呼んだのか?

 そんな風に考えつつ、意を決した僕は、鉄のノブに手をかけた。

 ──中の廊下は暗かった。電気が点いておらず、その先に見える「練習室1」のドアの丸い覗き窓からのみ、光が漏れている。

 それも、窓ガラスに何かを塗り付けてあるらしく、赤茶色のような奇妙な色合いになって。

 ──いったい、練習室の中には何が?

 二つのドアの前を通り過ぎ、僕は問題の部屋の前に立った。するとすぐさま、足元にある物を発見する。

 それは、()()()()()()()()()()()だった。灰色の地味な色合いで、無造作に脱ぎ捨てられたかのように、ドアの前に落ちているのだ。

 廊下が暗かったこともあり、その時はとっさに誰の物なのか思い出せなかった。わかったのは、ところどころに乾いた泥が付着していると言うことのみ。

 続いて、僕は丸い覗き窓の向こうに目を凝らす。

 が、しかし、やはり、何かが塗られているせいで、室内の様子はよく見えない。

 ──赤い塗料のような何か──まさか、()()()()⁉︎

 一度そうだと思ってしまうと、もう他の物に見えなくなってしまった。

 幽かな戦慄を覚えながらも、僕はノブを握り──捻る。

 練習室のドアは、何の抵抗もなく開き──

 その瞬間、惨状が目に飛び込んで来た。

 黄色がかった蛍光灯の照らす中、()()()()()に全身を染め上げられた彼は部屋の中央に座り込み、背後のバスドラムにもたれかかっていた。閉じられる気配のない虚ろな瞳は、すでに膜を張ったように濁っており、唇の端から伝い落ちた血の筋は、とうに乾ききっているのがわかる。

 一目で、手遅れだとわかる状態だ。

 また、彼がもたれているドラムセットの一部──片方のフロアタムが、どう言ったわけか、()()()()()()()()ではないか。死体の傍らに斧が落ちていることから、どうやらそれを使って斬撃を食らわせたらしい。僕たちが、順一さんの部屋のドアを破ったように。

 ──しかし、直接その命を奪った凶器は、別の物のようだ。彼の左胸に、鋭利な刃物で刺されたことを物語る血の跡があるのが、辛うじて確認できた。

 鮮やかな「赤色」と混ざりながらも、ほぼ拳大のその範囲だけは、やや黒ずんでいる。

 ──どうして? 何故、()が殺されている?

 まっ先に浮かんだのは、そんな疑問だった。再び事件が起こる予感はあったものの、まさか現実の物となるなんて──そして、その犠牲者が彼だなんて。

 僕は意識とは無関係に思考を巡らせる。

 投げ出された死体の足の先には、ほとんど空になった丸い()()()()()と、花弁の大部分を赤く染めた()()()()()()が──


 真の殺人劇は、畔上徹の死によって幕を開けた。

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