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悪の問題〜あるいはYの悲劇’18〜  作者: 若庭葉
第三章:亡霊
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スーパーカー①

「そう言えば、あの五セント硬貨なんですけど……」

 須和子さんと二人きりになった僕は、ずっと引っかかっていたことについて、話を振ってみた。彼女の財布の中に紛れ込んでいた異国の硬貨が、何故密室の中に残されていたのか、確かめる為に。

 順一さんの死に事件性はなかったのだから、彼女が犯人であり犯行時に落としてしまった──なんてことは、ないはずなのたが。わかっていても、妙に落ち着かない。僕は知らず、ポケットにしまったままのそれを、ズボンの上から手で抑えていた。

 すると、一瞬キョトンとした表情をした後、

「ああ、あれやったら、ちゃんと()()()()()()()? ほれ」

 そう言うと、須和子さんは財布を取り出し、小さな侵入者を僕に見せてくれた。

 間違いなく、それは例の五セントユーロである。

 ──では、現場で僕が見付けた物は、いったい何だったのだろうか? もしかして、単に順一さんの持ち物だったとか……?

 だとしたら早合点もいいところだ。なんだか、勝手に焦っていた自分が恥ずかしくなって来る。

「けど、なんでそんなこと訊くん?」

「いや、別に大した意味は……。ちょっと、その、気になっただけです」と、慌てて誤魔化す。「それにしても、不思議な話ですよね。いつの間にか財布の中にあっただなんて」

「せやなぁ。釣り銭と一緒に紛れ込んだんやとしたら、考えられるのはコンビニか本屋かスタジオか……後は、K駅前の煙草屋くらいなんやけど……。──あ、でも、あの後ネットで調べてみたんやけど、こう言うことって割とあるらしいねん。中には、バスの中で両替したら、十円玉に混じって出て来たって話もあったわ。せやから、学食の券売とか、切符を()うた時に混ざった可能性もあるわけやな」

 機械と言えど、意外といいかげんなところがあるのかも知れない。結局、いつ紛れ込んだのか特定するのは難しいようだ。

「そう言えば、昨日の呑み会の時に、緋村くんにもこの話をしたんやけど、そしたら彼、『まるでボルヘスの短編みたいですね』って言っとったわ。なんて言うか、結構読書の趣味が広いみたいやな」

 彼女の形のいい唇の隙間から、白い歯が覗く。緋村も『トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス』を読んでいたのか──と考えかけて思い出した。そもそも、僕があの難解な短編を読んだのは、彼に借りたからではないか。

 ──物語の初まりとなるのは、主人公が友人と共に、海賊版の百科事典を発見したことだった。この百科事典には架空の地「トレーン」ついての記述が載っていたのだが、この時点では単なる悪戯によって仕込まれた物だと、筆者は断じる。そして第二部になり、「トレーン」とはある秘密結社が創り上げようとした架空の世界であり、その為に海賊版の百科事典が刷られたと言う結論に至る。

 が、それだけでは終わらない。第三部になると状況が一変、「トレーン」はもはや単なる空想の産物ではなく、少しずつ現実世界に影響を及して行き、いずれはこの現実その物が()()()()()()()()()()()()()()()()()()()──と言うことが示唆されて、物語は閉じるのである。

 では何故今回の出来事で、僕がこの奇想小説を思い浮かべたかと言うと、一つはシンプルに作中にコインを用いた喩え話──九枚の銅貨の()()()──が出てくること。そしてもう一つは、知らぬ間に紛れ込んでいた点が、第三部における異世界の流入を思わせたからだ。

 まるで()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ような──と言ったら大袈裟だが。

「何にしても、『匣の中の失楽』を買おうとした時に気付いたってのが、何とも暗示的よな。どうや、葉くん。これをネタに一本幻想小説でも書いてみいひん? 今ならタダでこのネタ譲ったげるで?」

「うーん、課題で書く物に困ったら使わせてもらうかも知れませんけど……」

 ──それから、彼女が煙草を灰皿に捨てるまで、僕たちは他愛のない会話を続けた。その間、僕は密かに、先ほどの木原さんの言葉について考えていた。

 ──ライバルが多くて。

 その言い方だと、彼女に想いを寄せているのは彼らだけではないと言うことになる。そして、あの意味ありげな笑み。もしや、木原さんは僕もその一人だと思っているのだろうか。

 まさか──と、胸の内で否定する。僕は何も特別な感情を抱き、彼女と接しているわけではない。ない、はずだ。

 正直なところ、その辺りに関しては自分でもよくわかっていなかった。ただ、今はこうして適当な話ができて、楽しく過ごすことができるなら──モラトリアムを共有することができるのなら、それで十分だった。

「話は変わるんやけど、葉くんはどう思う? 緋村くんの言ってたこと。──結局のところ、オーナーさんの死は本当に自殺やったんかな」

 ついさっきも同じような話をしたばなりだ。やはり、みんな自殺説には疑問を抱いているのだろうか。

「まあ、いきなり『犯人はいない』なんて言われて、戸惑いはしましたね」と、当たり障りのない返事をしておいた。

「やんね。『密室なんだから自殺に違いない』って言うのも、なんか言いくるめられとる気がするし。まあ、かと言ってトリックの見当は付いてへんけど」

 いや、割といい線行っていたみたいですよ。そう思ったが、敢えて口にはしまい。

「まあ、トリックを用いた密室殺人なんて、現実にはそう起きないんやろうけど──」

 と、言いかけたところで、彼女の声が()()()()()

 ──何故急に黙り込んだのろう? 訝しみながら隣りを見返すと、その顔はたちまち青褪めて行き、ただでさえ大きな瞳をさらに(みは)って、何かを凝視しているらしい。

 それは、まるで何か異常な物を目の当たりにした為に、理解が追い付かずエラーが発生したかのような表情だ。

「……須和子、さん?」

「あ──あれ……」

 唖然と呟きつつ、ヨロヨロと手を挙げた彼女は、視線の先を指差した。

 いったい、彼女は何を見ているのか。僕は恐る恐る、そちらを振り返る。

 ──須和子さんが見つめていたのは、庭の先にある別棟のようだった。先ほどスイカ割りに使ったブルーシートが屋根から垂れ下がっており、壁を隠している。ここの備品で元々別棟の倉庫にあった物なのだが、洗って干している間に雨が降って来た為、後で改めて回収することになっていた物だ。

 それ自体は何らおかしくはない──問題は、僕らがいる位置から見て斜めに建っている別棟の、入り口側の角にあった。

 建物の陰から、ある()()()()()が飛び出していたのだ。

 ──それは、()()()()

 月明かりの下でボウッと浮かび上がるような、生白い細腕──どう見ても()()()──が、昏い海底に生えた珊瑚のように、別棟の角から突き出ているのだ。

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