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悪の問題〜あるいはYの悲劇’18〜  作者: 若庭葉
序章:三つの光景
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若者のすべて

 今いる場所とすぐ目と鼻の先にある──()()の惨状に思いを巡らせ、僕は改めて慄然とした。暑さの為に体中に滲んでいた汗が、急速に冷やされて行くのを感じる。

 ──人身事故だ。

 つい何分か前、すぐそこの線路に人が転げ落ち、通りがかった快速列車に轢き殺されたのである。

 亡くなったのは、僕と同じ──若者だった。

 僕は直接衝突の瞬間を目にしたわけではないのだが、

「──学生っぽい兄ちゃんが突然倒れよって、そのまま線路に落ちてったんや。それで、ちょうどタイミング悪く電車が来てもうて……」

「──可哀想になぁ。まだ若そうやのに」

「──ヤバイわ。人が死ぬとこ初めて見てもうた」

「──もしもし? ごめん遅れそうやわ。──ううん、そうやなくてなんか人身事故でな」

「──どうせ自殺なんとちゃう?」

「──あー、クソ暑」

「──死ぬなら誰もおらんとこで死ねや」

 などと、かまびつしく話し合う、あるいは文句を垂れる野次馬の声が周囲から聞こえて来る為、()()()()()()でも状況は理解できた。

 ──そうしたわけで、現在、大阪環状線新今宮駅の線路上では復旧作業の真っ最中だった。

 所在なくホームに佇んだ僕は、青年の死など全く気にしていない体を装う。しかし、どうしてもその不吉な場所に意識が引き寄せられてしまい、なかなかうまくいかない。

 そうかと思うと不意に、以前とある昏い目をした男から聞いた話が、彼の声で、その時彼が吸っていた煙草の匂いと共に、脳裏に再生された。

 ──実体二元論って知ってるか? ……そう、デカルトの「二元論」も同じだ。古くはプラトンにまで遡ることができるようだが──まあ、その辺は今は措いておくとして。

 ──保江(やすえ)邦夫(くにお)って言う理学博士がいるんだが、この人の見解が面白いんだ。彼は物質世界を、「泡」の内側に喩えているのさ。

 ──対して「泡」の外側は非物質の世界──絶対無限、そして完全調和の世界なんだそうだ。で、ある時この何も起こらないはずの完全調和が「揺らぐ」ことで「泡」が産まれ、それぞれの「泡」のカタチに応じた素粒子や物質が、その内側にできるんだとよ。

 ──そして、人間が死ぬとこの「泡」が割れ、非物質の魂は外側の絶対的な素粒域、謂わゆる霊界に溶けて行く……。これだけ聞いてると、まるで俺たちが生きていることの方が、()()()()()()なんじゃねえかって、思えて来るよな。

「……そう、かもな」

 我知らずそんなことを口走っていることに気付き、ハッとなる。

 気恥ずかしさを紛らわせる為、僕は意味なく──なるべく事故現場の方は見ないように──顔を上げた。すると、ホームの屋根に切り取られた空が、毒々しい赤紫に燃えていることに気付く。

 それはまるで、先ほど死んでしまった若者の血を、一滴残らず吸い上げたかのような──

 二〇一八年八月一日、僕はしばし、暮れなずむ夏空に釘付けとなっていた。

 夕焼けは立ち並ぶ墓石群の如き街並みを見下ろしながら、僕を嘲笑うように沈んで行った。

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