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悪の問題〜あるいはYの悲劇’18〜  作者: 若庭葉
第三章:亡霊
38/87

今夜、貴方とマトンシチューを①

 まるで死んだ女のやう。それがまたたいそうゆつくり歩いてゐる。


 オスカー・ワイルド(福田恆存訳)『サロメ』

 轟音と幽かな振動を感じ、机に向かっていた畔上徹は、ビクリと体を震わせた。右手に握っていたペンを置き、薄明かりの中でソロソロと顔を上げる。

 ──今のは、地震か?

 イヤホンを外して耳を澄ませてみたが、篠突く雨音と、得体の知れない生き物の唸り声に似た風音が、壁を透かして聞こえて来るのみだった。

 スマートフォンの画面で確認すると、時刻はまだ午前二時過ぎ。畔上はどちらかと言えば夜型の人間であり、取りわけ漫画やイラストを描く際は、()を徹することも珍しくはなかったらしい。

 ちょうどその夜も、彼は持参のスケッチブックに筆を走らせていた。と言っても、本格的な道具は持ち込んでいない為、あくまでもラフ程度の落書きだが。

 ──彼が眠らずに描き続けていたのは、ギターを弾く()()()()()()姿()だった。以前行われたライブの際に、さりげなく撮影していた写真を参考にした物で、イラストと言うよりもデッサンに近い。

 ──さっきの揺れは、雷だったのかな。

 そう結論付けた畔上は、イヤホンを付け直し、作業を再開する。

 携帯式音楽プレイヤーの画面に表示された曲名は、“今夜、貴方とマトンシチューを”。断末魔のようなエフェクトサウンドや、不穏さに満ち溢れた歌詞が、この嵐の夜に不気味なほどマッチしていた。

 ──それから一曲終わる頃には一区切り付き、彼はそろそろ床に着くことにした。プレイヤーを停止させてイヤホンを外す。

 スタンドライトの光源が絶たれると、濃密な暗闇が室内に降り立った。思わず再び体を震わせた彼は、足早に、反対側の壁に添って置かれたベッドへと向かう。

 そして、薄手の毛布に手をかけたところで、カーテンを閉め忘れていたことに気が付いた。億劫さを感じつつもすぐさま窓辺に近付き、カーテンを引こうとした──

 その時である。

 次々と雨粒が衝突し、泡のように弾けて消える窓ガラスの向こう──眼下に見下ろす庭の中で、シラジラとした光が点った。

 どうやら、それは喫煙所の(そば)に設置されている外灯の物らしい。

 畔上は特に意味もなく、ボンヤリとその光りを眺めた。

 すると、彼の視線の先──外灯の作り出す(まる)い光の下に、()()が現れた。その異様な存在を目の当たりにし、彼はまさしく、全身の血が凍り付くのを感じたと言う。

 それは、気味の悪いほど()()()をしていた。

 華奢な腕をダラリと力なく垂らし、その先にある白い手には、何か()()()を握っている。

 あれは──()()()⁉︎

 彼にはそう見えた。風に吹かれ、蛆の群のように蠕動(ぜんどう)するザンバラ髪を、顔の前に垂らした生首。その後頭部を掴み、その存在は嵐の中を彷徨っているのだ。

 恐怖と驚愕のあまり、畔上が目を離せずにいる中──それは細い体を雨風に煽られながら、ユラユラと揺れるような足取りで、ユックリ、ユックリと、外灯の下を横切って行った。

 異様なまでに緩慢な動作と、大きく左右に傾く体。まるで、水面を揺蕩う泡にも似たその姿は、到底此岸の住人には思えない。

 そう、謂うなれば──()()


 その夜、彼は人知れず()()()()()()()()()()()


 ※


 正面玄関から表に出ると──本当に、スイカ割りが行われていた。喫煙所の手前にブルーシートが設置されており、その上に、それなりに立派なスイカが鎮座している。叩く用の棒もわざわざホームセンターか何かで仕入れて来たらしく、持ちやすそうな新品の「木材」だ。

 庭には砂利が敷かれているから、雨上がりで濡れているとは言え、踏み荒らして滅茶苦茶にしてしまう心配もないだろう。《GIGS》の面々は、「事件」のことなど忘れてしまったかのように、無邪気に盛り上がっていた。

 ──石毛さんから衝撃的な事実を伝えられた後、しばし僕たちは立ち尽くしていた。

 が、やがて、緋村は自嘲するように片頬を歪めると、

「……言われてみれば、そりゃあそうですよね。電話が壊れていたからこそ、石毛さんたちは携帯が使える場所まで道を下って行こうとしたんだ。今朝の俺たちみたいに。──こんなことも見落としてたなんて、どうやら少し抜けていたようです」

 彼はボリボリと、黒々とした髪を掻き回した。

 結局話はそれで終わり、僕たちは弥生さんと入れ替わる形で、部屋を後にした。念の為、マスターキーと注射器や毒薬──らしき物──は、弥生さんの元で厳重に管理してもらうことにして。

 ──それから今に至るまで、彼はむつりと黙り込んだままだった。まるで完全なにやる気をなくしたとばかりに、いつにも増して生気の感じられない黒眼(まなこ)で、庭の中を眺めている。

 きっと、僕も似たような物だっただろう。強い衝撃に続いて去来したのは、何とも言い難い虚脱感だった。

「──えいっ」と言う控えめな掛け声と共に、日々瀬が棒を振り下ろす。それは確かにスイカに当たった──のだが、腕力不足の為か軽く表面をヘコませただけで、弾かれてしまった。

「あれ? 今、当たりませんでした?」

 目隠し代わりのタオルを外した彼女は、ほぼ無傷の獲物を見て目を丸くさせる。オーディエンスからドッと笑いが起こった。

「ルナちゃんだと、少しパワー不足みたいねぇ。──と言うわけで姐さん、最上回生の力を見せつける番なんじゃないですか?」

「いや、何が『と言うわけで』や。それやと、まるでうちがパワー有り余っとるみたいやないか」

「まあまあ。あたしは後でもいいですから、お先にどうぞ」

 木原さんは日々瀬から棒とタオルを受け取り、「姐さん」に中継する。

 彼女は手にした物をしばし嫌そうに見つめていたが、やがて唐突にこちらを向き、

「葉くん、集合」

 いや、葉くんは一人なんですけど──と言うツマラナイ切り返しが思い浮かぶと共に、嫌な予感がした。何の為に呼ばれたのか、聞かずとも察せられたからだ。

「ほい。代打頼むわ」

 ……やっぱり。

「……いいんですか? 僕がやっても。最上回生の力は?」

「そんなモンあらへんわ。──実は、まだちょっと昨日の酒が残っとってな。正直、グルグルしたら吐く気がする……」

 確かに、昨日の須和子さんはだいぶ呑んでいた。確か、飲み会が終わるよりも先にグロッキーになり、女子二人に支えられながら部屋に引き上げて行ったほどだ。

 他には、木原さんと佐古さん、それから湯本も結構なペースで飛ばしていたが、彼らはかなりイケる口らしく、二日酔いの影響など、微塵も見受けられない。チューハイ一缶で赤くなっていた誰かさんとは、大違いだ。

 人が死んだばかりだと言うのに──しかも、もしかしたら本当に何かが起こるのはこれからなのかも知れないのに──スイカ割りなどする気になれない僕は、ダメ元でその「誰かさん」にパスを試みる。

「先にやっていいよ。僕は応援してるから」

「譲ってやるみたいに言うな。だいいち、俺はサークルのメンバーじゃねえし。悪いが遠慮させてもらう。

 それに、ちょうど雨が上がったんだ。土砂崩れがどうなってんのか、少し見に行って来るよ。もしかしたら、もう誰かが気付いてて、復旧作業が始まってるかも知れねえからな」

 道の方を顎で示しながら、緋村が言うと、

「確かに、どないなっとんのか気になるな。──俺も一緒に行くわ」

 と、意外にも佐古さんが同行を申し出る。

「そんなこと言って、佐古さん飽きただけとちゃいます?」

 呆れ顔の湯本が口を挟んだ。ちなみに、湯本は二番手だったようで、僕たちが庭に出て来た時、ちょうど日々瀬と交代しているところだった。

「別に。ただ、まっさきに自分の番が終わって暇なだけや」

「それを飽きたって言うんすけどね。他人のことにも興味持ちましょうよ。──だいたい、どうしてもやるって言い出したの佐古さんやないですか。『スイカ割りのない合宿やなんて、カート・コバーンのおらんニルヴァーナみたいなモンや』とか、意味不明なこと言って」

「ジョン・レノンのおらんビートルズの方がよかったか?」

「いや、そこどうでもええですから。て言うか、スイカ割り偉大すぎるでしょ、それ」

 などと、しばし漫才のような掛け合いが続く。

 が、佐古さんの中では完全に興味の対象がシフトしているらしく、後輩の小言を適当にいなしながら、さっさと歩き出してしまった。

 緋村も、すぐさまそれに続く。

 佐古さんが立ち止まり、取り出した煙草を口に咥えると、追い付いた緋村が火を点けてやっていた。そして、ついでに自分も煙草を咥え、百円ライターで着火する。

 今度は並んで歩き始める喫煙者たち。あの二人は、果たしてどんな会話をするのだろう? と言うか、間が保つのか? ──全く予想できない組み合わせだ。

「それじゃあ、気を取り直して。──若庭くん、ピンチヒッター頑張ってね」

 そう言いつつ、いつの間にか背後に立っていた木原さんが、容赦なく目隠しのタオルを巻いて来る。仕方ない。二日酔いとか関係なく気分は優れないが──グルグルするか。

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