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悪の問題〜あるいはYの悲劇’18〜  作者: 若庭葉
第二章:虚無への旅立ち
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Please Mr. Lostman②

 名指しされた瞬間、彼女は小さな肩をピクリと震わせた。それから恐る恐る(おもて)を上げたが、結局何も言えぬまま目を逸らしてしまう。

 明らかに、彼女は動揺していた。

「ちょっと待ってくださいよ。何故そうなるんです? 唯一の肉親を失ったばかりの人間を犯人呼ばわりやなんて、あんまりでしょう。──せめて、何か根拠を示してもらわんと」すかさず石毛さんが援護する。

「根拠なら、ありますよ。──順一さんが亡くなっているのを知って部屋に突入した時の、弥生さんの言動です。あれは、明らかにおかしかった」

 そうだ。先ほど僕が気付いたのも、「あの時」のことだった。

「あの時、あなたは部屋に入る前に、戸口でフラ付いていましたね?」

「それが何やって言うんですか? 身内が倒れとったんやから、ショックを受けて当然でしょう?」反論したのは、もちろん幼馴染の方だ。

「確かに、そのとおりです。が、普通ショックを受けるのは、倒れている人の容態を確かめてから、ではないでしょうか? ──つまり、あの時の弥生さんは()()()()んです。順一さんに駆け寄るどころか、部屋に入ることすらしなかったんですから。これではまるで、順一さんはすでに手遅れだと、初めからわかっていたみたいだ……」

 僕がそれに違和感を抱くキッカケとなったのは、須和子さんと日々瀬の会話。そのやり取りを聞いて、僕はようやく弥生さんの反応の不自然さに気付いたのだ。

 ──普通はまっさきに、心配している相手の様子を確認するのではないか、と。

 そして、そのことは、緋村も()()()()わかっていたらしい。僕が興奮気味にそれを伝えると、キョトンとした表情で、「え、今気付いたのか?」と言うレスポンスが寄越された。

「……しかし、それはお二人が順さんが亡くなっていると教えてくれたからで」

「違います。あの時僕たちは、『倒れている』としか伝えていません。こう言われたら、急病だと思うのが自然ではないでしょうか? ──加えて、順一さんは戸口の方に背を向ける形で倒れていました。一目見ただけは、亡くなっていることはわからなかったはずです」

 これにはさすがに言い返せなかったのか、石毛さんは呻くような声を漏らし、口を噤んだ。

「それに、そもそも本当に弥生さんが、ずっとドアをノックしながら呼びかけていたのだとしたら、さすがに同じ階で寝ていた僕たちの耳にも、その声が届いたと思います。しかし、実際は部屋の方に近付くまで、そんな物音は少しも聞こえなかった。──そう言った点でも、彼女の発言は嘘だと考えました」

 ──ちなみに、緋村が警察の真似ごとをしていた理由も、この弥生さんの言動が気になったからだったと言う。彼は初めから弥生さんのことを疑っていたのだ。しかし、かと言って、弥生さんが順一さんを殺害したと言うのも、どこか納得がいかない……。無論、根拠はないし、『仲がよさそうだから』と言うだけで、動機がないと断じることもできないだろう。しかし、どうにも釈然としない物があるのも確かだ。──結果、気になって仕方がないので、自分で調べてみることにしたのだとか。

「で、ですが──それだけでは、『彼女が順さんを殺したと言う証拠にはなりませんよね? 弥生ちゃんはただ、順さんが手遅れなのを事前に知っていて、それを何らかの理由で隠していただけかも知れない。違いますか?」

「はい、まったくもってそのとおりです」

 飄々と言って退ける彼を見て、石毛さんは不快そうに眉皺(みじわ)を刻んだ。いったいこいつは、何を考えているんだ? と、相手の真意を探ろうとするように。

 が、それはきっと叶わぬまま、昏い目をした学生は、語り続ける。

「むしろ、僕は弥生さんが順一さんを殺害したとは、一ミリも考えていません。彼女がしたのは、現場を密室にしたことと、()()()()()()ことだけでしょうから」

「死体を弄った……⁉︎」

「ええ。──しかし、それを話す前に、先に順一さんの()()()()()について触れておきましょう。……順一さんは、実は胸にナイフの刃を打ち込まれて亡くなったわけではなかったんです」

 言いながら、鍵を握ったままの拳を、自らの左胸に当てがう。

「正確なことは僕も素人なので断言できませんが、順一さんは──本当は()()だったんじゃないでしょうか。つまり、謂わゆる突然死──それも、状況から判断して、おそらく()()()()かと」

 突然死のリスクは、加齢と共に高まると言う。一見健康その物に思えても、疲労やストレスは蓄積されていているのだ。特に、心筋梗塞の場合男性の発症率は決して少なくなく、四、五十代の働き盛りだとしても、例外ではない。

「これは、憶測に次ぐ憶測でしかありませんが、発作のトリガーになったのは土砂崩れによる揺れだったのかも知れません。震動を感じ、驚いた拍子に、心筋梗塞の発作が起きたと言うわけですね。遺体の状態からして、寝ている間に発作が起きたわけではないようですし、死後硬直の具合からしても、夜中にはすでに亡くなっていたようですから。──もちろん、素人の診立てなので、この辺はあまり当てにしないでください。

 とにかく、順一さんの死因はナイフによる物ではなく、病死でした。そして、彼が起きて来ないことを訝り部屋を訪れた弥生さんは、遺体を発見し、ナイフの刃を左胸に打ち込んだのです」

「……ナルホド、『死体を弄った』とはそう言うことですか。──しかし、理解しかねますね。何故彼女がそないけったいなことをせなあかんかったのか。

 それに、君の言ったとおり、ナイフの刃は死んだ後に打ち込まれたんやとしたら、逆にあそこまで血は出ないんとちゃいます? 確かに、刺殺されたにしては出血量は少ないですが、亡くなった後に打ち込んだと考えると、かえって多すぎますよ」

 どちらももっともな指摘だ。僕もここに来る前に緋村の考えを聞かされた時、この二点が引っかかった。

「そうですね……では、血の問題からお答えしましょうか。──これまた簡単な話です。あれはただ、()()を付けただけなんですから」

「血糊? ──しかし、そないな物、都合よく用意できるわけないやないですか。緋村くんの話やと、順さんが亡くなったのは偶然で、弥生ちゃんはたまたまその遺体を発見したんでしょう?」

「ええ、そのはずです。──が、実は都合よくあったんですよ。血糊になる物が。……それは、今日の昼食のメインディシュの材料でした。──気が付きましたか? そう、シヴェです。弥生さんは、シヴェに使う()()()()()()を、血糊代わりにしたんです」

 シヴェを作る際、動物の血は最後に入れるのが普通なのだとか。元々昼食として供されるメニューだったのだから、朝の支度をする時点では、当然まだ仕上げをしていなかったはずだ。つまり、野ウサギの血を血糊にすることは、十分可能だったわけである。

「残るは疑問は、何故弥生さんがこんな細工をしたのか、でしたね。これは聴き込みの際、彼女自身が言っていた言葉が答えでしょう。すなわち──」

 ──実を言うと、少し後悔しているんです。こんなことになるくらいだったら──()()()()()()()()()()()()()()()()()、いっそ楽に死なせてあげればよかったんやないかって……。少なくとも、あないな苦しそうな顔で死ぬこと、なかったはずですから……。

 彼女は、哀しそうな表情で、そう言っていた。

「……病死も、自らの意思とは無関係に命を奪われると言う意味では、殺されたのと変わりない、とも言えます。しかも、心筋梗塞の発作は激痛を伴う。おそらく、苦悶の中で死んで行ったらしい順一さんを発見し、弥生さんは後悔したのでしょう。望みどおり、自殺させてあげられなかったことを。──だから、せめてもの弔いと謝罪の念を込めて、死体を自殺に見せかけた」

 異常なロジックだ。しかし、倫理観や常識と言った物を凌駕するほどに、切実な想いがあったのだろう。

「……現場を密室にした理由も、まさにその為です。他殺に見える状況でも、完全な密室状態であれば、『他殺に偽装した自殺』と判断するしかない。つまり、先ほどの若庭の意見は、ある意味正解だったんです。密室の()()()使()()()をしたわけですね。──ここまでの話で、何か訂正すべき点はありますか、弥生さん」

 再び本人へと呼びかけつつ、歩み寄った彼は、円卓に鍵を置いた。その音が、やけに重たく室内に響く。

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