Please Mr. Lostman①
ほどなくして目を伏せた緋村は、石毛さんの真横を通り過ぎ、入って来たばかりのドアへ向かう。
「ここは、現場となった順一さんの部屋と造りが似ていますね。このドアも、あちらと同じように下に隙間がないタイプだ。──打掛錠はありませんが」話ながらノブを捻り、軽くドアを開ける。「留め具の形状も同じだし、枠の方も経年劣化ですり減っている。……ふむ、これならいけるかな」
独白のように言ってから、彼は弥生さんの方を振り返り、
「今からそのトリックを実演してみますので、鍵を貸してくださいませんか?」
「え──ええ、構いませんが……」
彼女が取り出した鍵を一旦僕が受け取り、緋村に中継した。
──トリックに関しても、ここに来る前に一応教えられてはいた。しかし、正直この時はまだ、本当にそれが正解なのか、甚だ懐疑的ではあった。再現すると言う意味でもそうだし、そもそも現実に可能な物なのかすら疑わしかったのだ。
「犯行後、犯人は現場の鍵を使ってドアを施錠しました。そして、その鍵を本の間に挟んだ後、一度廊下に出てから、改めてドアを閉めたんです」
「は? 施錠した後で、ドアを閉めた? ──なんですか、それは。まるで謎々やないですか」
「いえ、そんなに難しい話ではありません。本当に、今言ったとおりのことですから。──つまり、こうしてドアを開けてから、一度鍵をかけ」言いながら、軽く開けたドアの鍵穴に鍵を差し込み、捻る。小気味よい音と共に、レの字型の留め具が飛び出した。「そして、引き抜いた鍵を『虚無へ供物』に挟み、廊下に出たら、後は簡単です。──思いっきりドアを閉めればいい」
その言葉と共に、彼は乱暴に扉を押し込んだ。無論、留め具は出たままなのだから、普通であればシッカリと閉まるはずはないはずだが──
果たして。
ほとんど何の抵抗もなく、ドアは閉じられてしまった。
しかも、大して大きな音が鳴るようなこともなく、多少部屋の中に振動が伝わった程度だ。
「おそらく、長年使っているうちに枠の方がすり減って行ったことで、留め具が出ている状態でも、無理矢理閉めれば窪みに収まるようになったのでしょう。留め具の形が完全な四角ではなく一方がカーヴしているのもポイントです。これにより、強引に閉めることができ、尚且つ外からは開けられなくなる。……もっとも、この部屋でもうまくいくかどうか、少し不安でしたが」
喋りながら再び鍵を差し、今度は開錠してそれを引き抜いた。
「遺体を発見する直前、外に回り込んで室内の様子を窓から覗きに行った際、若庭は、ドアの打掛錠が下りているのを見たそうです。そして、これこそがこのトリックが使われた証拠。──すなわち、打掛錠は、力任せにドアを閉めた衝撃により、自然と下りた物だったんです」
つまり、須和子さんの考えたトリックは、ある意味ではほぼ正解だったわけだ。それが目的ではなく、「副次的にそうなった」と言う点を除いて。
「また、今朝みんなで食堂に集まった時、湯本だけは他の人と違って、『六時過ぎ頃に揺れを感じた』と言っていました。僕は、その証言が妙に気になったのですが、それが『このトリックを実行した時の振動』だったと考えれば、説明が付きます。彼が泊まっているのは、ちょうど現場の真上の部屋。つまり、彼にはその震度が伝わったと言うわけです」
「な──んと……まさか、こない簡単なことやったなんて」
呆然とした様子の石毛さんが、感嘆の声を漏らす。対して、弥生さんは青褪めた顔を俯け、膝の上に置いた小さな拳を見つめている。
「しかも、この方法やったら、誰にでも可能なわけですね。特別な道具や準備は、一切必要ありませんから。逆に言えば、これだけでは犯人を特定することもできませんが」
「そのとおりです。──が、安心してください。もうすでに、目星は付いていますので」
「ホンマですか? それは素晴らしい。是非とも聴かせてほしいですね。……いったい、誰が順さんを殺したんです?」
「あー、その質問に的確に答えるのは少し難しいですが──」掌で鍵を弄びながら、緋村は振り返った。「神様と言うのはどうでしょう? 口で言うと、酷く幼稚ですが」
おおよそマジメとは思えない緋村の答えに、彼は眉をひそめる。巫山戯ていると思ったのだろう。
「どう言う意味ですか? まさか、神様が順さんを殺したやなんて、本気で言うとるわけやないですよね?」
「……はい。ただ、あながち間違いでもないとは思いますが。
ところで、その話をする前に、一つハッキリさせておきたいことがあります。それは、順一さんの命を奪った犯人と、現場を密室状態にした犯人は、全く別だと言うことです」
「なに? ──それじゃあ、犯人は二人おるってことですか?」
「ええ、まあ。……トータルとしてはそれでも変わらないんでしょうね」
またよくわからないことを──と、言いたそうに、石毛さんは顔をしかめた。
「緋村くん、さっきは回りくどいのは好きやないって言うてはりましたよね? できれば、もっとわかりやすく答えてもらいたいんですが」
「……では、単刀直入に行きましょう。まずは、現場を密室にして、尚且つ順一さんの死体に細工をした犯人から。それは──」
彼は、手にしていた鍵の頭を、犯人の方へ向けた。
「……弥生さん、あなたですね?」