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悪の問題〜あるいはYの悲劇’18〜  作者: 若庭葉
第二章:虚無への旅立ち
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ゲット・アップ・ルーシー②

「私は、月島さんのことを知ってます。……まさか、この合宿所で写真を見ることになるとは、思いませんでしたけど」

 そう言って、山風は頬を引き攣らせた。運命の悪戯を呪うかのような、皮肉な笑みだ。

 ──しかし、キヨカさんと彼女は、どう言った関係者なのか? 写真を見た時の反応からして、ただの知り合いではないのだろうが……。

 疑問に思っていると、緋村は意外なことを言い出した。

「間違っていたらすみません。山風さんとキヨカさんは──()()()()()()()()()()()ではないですか? そして、虐めの存在も認知していた。──違いますか?」

「えっ──でも、山風は一回生で」

 おまけに新入部員なのに──と、思わず口を挟んだ。五年前に高校生だったのなら、年齢が合わないではないか。

 しかし、答えは至極単純なことだった。

「私、ホンマは今年で二十二になるんです。一回専門を出てから、改めて阪芸に入ったから……」

 そうだったのか。確かに大学──特にうちのような芸術系のところでは、よくある話ではある。

「じゃあ、キヨカさんと同級生だったと言うのは……本当なんだね?」

 少し迷ったが、これまでどおりタメ口で接することにした。

「そうです。私は二年の時、月島さんと同じクラスでした。もちろん、虐めのことも……。──けど、仕方なかった。宇佐見のグループには、逆らえんかったから……」

 キヨカさんへの虐めに加担していた──と言うことは、彼女が主犯の一人、「Y」だったのか!

「宇佐見が殺されたって知った時は驚きました。飛田で働いとるって噂は聞いたことがあったけど、今更あんな死に方するやなんて……()()って、ホンマにあるんですね」

「山風さんは、宇佐見さんが殺されたのは、復讐の為だと考えているんですね?」

「さあ、わかりません。私にはもう、あいつも月島さんのことも、関係ありませんから」

「ですが、キヨカさんは」

「自殺したんやろ? ……だから、何? ──あの()が勝手に死んだだけやない!」

 彼女は唐突に、感情を爆発させた。緋村の言葉が、触れられたくない部分に抵触したのだろうか。凄まじい剣幕で、口角泡を飛ばす。

「あんなくだらない噂、聞き流せばよかったんや! それを苦にして自殺やなんて、むしろ、こっちの方がええ迷惑やったわ! ──だいたい、なんで今なん? もう、五年も経ったのに! 忘れようとしとったのに……!」

 ギリギリと歯を食い縛ったその顔には、怒りではなく、隠しようのない恐怖が滲んでいた。もしかしたら、彼女は見えない復讐者の影を想像し、密かに怯えていたのかも知れない。

「……ごめんなさい。これ、返します」

 先ほどの写真を緋村に押し付けると、山風はすぐさま踵を返し、足早に去って行った。引き止める間もなく、その姿は階段の先へ消えてしまう。

 僕たちはあっけに取られたまま、しばしその場に立ち尽くしていた。


 ※


 その後、写真を元どおりにしてから、僕たちは順一さんの部屋に移動した。ようやく現場検証に臨むのだ。

「さて、始めるか」

 そう声をかけた彼は、いつの間にやらビニール手袋を着用している。

「そんな物、いったいどこで手に入れたんだ?」

「あん? 今朝飯の準備を手伝った時に厨房にあったのを失敬したんだよ。──お前の分はねえからな。どこにも触るなよ?」

 なんだか釈然としないが、仕方ない。僕はおとなしく、ズボンのポケットに両手を突っ込んでおく。

 部屋の中は、概ね今朝のままで、違いと言えばドアの残骸が脇に寄せられていることと、順一さんの遺体にシーツが被せられていることくらいだ。『虚無への供物』は元あった位置に戻しておいたが、部屋の鍵は机の上に置いてある。

 緋村はしゃがみ込み、破壊したドアを軽く持ち上げて観察し始める。改めて見てみると、やはりレの字型の留め具が飛び出したままで、死体発見時、鍵をかけた状態であったことは間違いない。

 続いてドアの枠側も見てみたが、こちらも古くなってすり減ってはいたものの、特に細工を施したような跡はなかった。

「……ふむ。何もねえな」

 無感動に呟いた彼は、今度は机の辺りを検分して行く。と言っても、勝手に抽出しを漁るようなことはさすがにできず、机上にある物や、コルクボードのメモなどを改める程度だが。

 その間、僕は反対側の壁一面を埋める書架に近付き、意味もなく中身を覗き込んでいた。蔵書には乱歩やドイルを筆頭に、探偵小説の名作や古典、怪奇小説、幻想小説などが、ズラリと並んでいる。無論、他の二冊の奇書──夢野久作の『ドグラ・マグラ』、小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』もだ。

 書架の最上段を見上げると、ちょうどその真ん中辺りに、中井英夫の著者が固まっており、『虚無への供物』も、本来は『真珠母の匣』の隣りにできた空間に、収まっていたらしい。

 僕はモザイクアートのような背表紙の群れに目を投じたまま、ふとあることを尋ねた。

「……結局のところ、なんで君は事件の捜査をしようと思ったんだ? さっきははぐらかしてたけど、何か理由があるんだろ?」

「だから、ねえって。──つうか、むしろ理由なんて必要なのか? 『できるから』ってだけじゃダメなのかよ」

「できるから?」

 僕は思わず彼の方を振り返る。

 なんだろう、前にもこんな会話をしたような──と、考えたところで、思い出した。例の飛田の事件について、彼の考えを聞いた時にも、似たようなロジックが出て来たのだ。

「またテキトーなことを。本当にそれだけなのか?」

「ああ。……まあ、正確には()()()()って言うべきなのかな。理由ができるより先に、そうせざるを得なくなったんだよ」

 何だそれは。無駄に意味深長な言い回しをしているだけじゃないのか?

 僕はまだまだ問い質したい気分だったが、そうするよりも先に、今度は向こうが尋ねて来る。

「ところで、どんな話なんだ? 『虚無への供物』って。中井英夫は短編しか読んだことないんだ。無学な俺にレクチャーしてくれよ」

 気に触る頼み方だが、まあいいだろう。僕は要望に応えることにする。

「かなり入り組んだ──と言うか二転三転するストーリーだから、正直うまく説明できるかわからないけど……。取り敢えず、概略としては、これでもかってくらい密室が出て来る。と言うか、確か起きる事件が全て密室だったはずだ。で、登場人物ら──ほぼ全員重度の探偵小説マニア──が、推理合戦をして、各々密室のトリックや犯人の正体を持ち出して行くことになる。ノックスよろしくわざわざ“十戒”なんてルールまで定めた上でね」

「ふん、まるで事件をゲーム扱いしてるみてえだな」

 彼の指摘はもっともである。そして、ある一面では作品の主題に添っているとも言えるだろう。

「まあ、あながち間違ってもないかな。──それで、彼らの語る推理の中から、一応答えらしき物が提示されるんだけど、その度に新たな事件が発生したり、新事実が判明したりして、事態は一層混迷して行く。特に第二章なんかは、『本当は事件なんて起きてませんでした。めでたしめでたし』──かと思いきや、最後の最後でそれが否定されるんだ。……言うなれば、解こうとすればするほど、余計謎が深まると言うか、解決する度に新たな事件が起こると言うか……。まあ、結局のところ、読んでみるのが一番早いかな」

 最終的にぶん投げてしまったが、それでも緋村は興味をそそられたらしく、「ああ、そうしてみる」と、珍しく殊勝な返事が寄越された。

「お陰でまた一つ賢くなったよ。中井英夫に関して知っていたのは、父親が高名な植物学者で、祖父がクラーク博士の弟子ってことと、後は死ぬほどピーマンが嫌いだったことくらいだからな」

 左様で。肝心なところははぐらかす癖に、訊いてもいないことはペラペラ喋るから困る。と言うか、氷沼家の設定は作者自身に基づいていたのか。

 また一つ賢くなったところで、僕は再び蔵書の群に向き直った。

 ──と、同時に、本棚の下にある物を発見する。

 初めは十円玉が落ちているのだと思ったが、よくよく見てみると、それは()()()()()()のようだ。

 何も触るなと言われていたことを一瞬にして忘れ、僕は屈み込み、その銅色のコインを拾い上げた。

 それは、以前須和子さんの財布の中に紛れ込んでいたのと同じ物──()()()()()()()()()ではないか!

 ──どうしてこれがこの部屋に? まさか、須和子さんが()()()()()()()()()()()()のか? だとすれば──まさか、彼女が……⁉︎

 短絡的な性格故か、どうしても嫌な想像をしてしまう。無論、たったこれだけで、須和子さんが犯人だと決め付けることはできない。できないはずなのだが、疑われてしまう可能性は十分にあるだろう。

 現に、こんな心配をしている時点で、僕は彼女のことを疑い始めているとも言えるじゃないか。

 いったいどうすればいいのか──この発見を緋村に伝えるべきなのか? 考えあぐねていたところで、後ろから声をかけられる。

「なんだ、急に黙り込んで。何か見付けたのか?」

「あ──いや、別に。──気になる本があっただけだよ」

 咄嗟にそんな出鱈目を言い、僕は立ち上がった。無論、右手に硬貨を握り締めたまま。

 振り返ると、緋村は少し不思議そうな表情でこちらを見ていたが、特に何か追及されるようなことはなく、

「まあ、いい。何かあったらすぐに言えよ」

「ああ、もちろん」

 頷きながら、僕は小さな遺留物を、さりげなくポケットに滑り込ませた。

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