ゲット・アップ・ルーシー①
ほどなくして、緋村は神妙な面持ちで口を開く。
「申し訳ありません、辛いお話ばかりさせてしまって。──少し話を変えさせてもらいます。確か、普段は市内にお住まいで、合宿シーズンだけこちらに上って来られる、とのことでしたよね?」
「はい。市内の家に兄と二人で暮らしております。ここへ来るのは、主に夏と冬くらいですね。もっとも、兄はちょくちょく花壇の手入れをしに来ていましたが」
「では、基本的にお客さんが宿泊しに来る直前に、準備をするんですか?」
「ええ。ただ、今回は他のお客様の予約も入っていたので、八月一日に一度、掃除やらダメになっている所はないかの確認には来てましたけどね。なにぶん、中は古いままですから」
八月一日──また、その日付か。
「その日は、お二人とも一緒に?」
「そうです。二人で手分けして仕事をした後、午後になって兄は石毛くんを迎えに行きました。ちょうどその前日に、彼が取材先から帰国したばかりやったので、食事がてら、久しぶりに三人で花火を観ることになったんです。ここからだと、少し距離はありますが、遮蔽物がないぶん綺麗に見えるんですよ」
山頂付近の為、花火を見下ろすような形になるのだとか。夜景も一緒に楽しむことができるはずだから、カップルに向けてアピールすれば儲かりそうではある。もっとも、ここまで来るのが一苦労だろうが。
「そう言えば」何を思い出したのか、弥生さんはクスリと笑う。「石毛くんとは、元々K駅で待ち合わせしていたんですが、彼ってば乗るはずだった電車を寝過ごしてしまったんです。それで、確か十六時前に電話を取った兄が、『しゃあないから天王寺の方まで迎えに行って来るわ』って。大方帰国したばかりでリズムが狂っとたんでしょうね。あるいは、単にあの人がいいかげんなだけかも知れませんが」
「そうだったんですね。──K駅の辺りは、PL花火の日は混雑するのではないですか?」
話が脇道に逸れて来ているが、意外にも緋村は付き合うようだ。
「そうですねぇ、もちろん、喜志や富田林の辺りに比べればマシでしょうが。それでも、駅周辺の駐車場は埋まってしまいますし、路肩に車を停めておけないくらいには混むはずです。交通規制もかかりますから、車で観に来られる方は大変でしょうね」
聞くところによると、国道一七〇号線──よく外環と称される──と府道三十五号線の会場周辺の区間等は、毎年車輌通行禁止となるらしい。その為順一さんも、その日は遠回りをして天王寺方面へと向かったと言う。
「確か、二人は十九時前には戻って来たはずです。石毛くんが、たくさんお土産を持って来てくれて……。
三人一緒に花火を観るのは、本当に久しぶりでした。子供の頃は、よく石毛くんの家族を招いていましたけどね」
思い出を懐かしむような、シミジミとした口調だった。その時はきっと、こんな事件が起こることなど、誰も予想していなかっただろう。
「ここは、元々父が始めたペンションで、私たちが幼かった頃は、まだこちらで暮らしていました。学校まで通うのにも一苦労でしたよ。バブルが弾けて、あまり繁盛しなくなってからは、今の形になりましたが……。ですから、今の兄の部屋も、元々は父の書斎だったんです」
「もしかして、あの本もお父様の蔵書で?」
「ほとんどはそうですが、中には兄が持って来た物もあるはずです。親子揃って、探偵小説が好きだったんですよ」
そこで、彼女はふと自嘲気味な表情を浮かべる。
「……それにしても、凄い皮肉ですよね。『マリアージュ』なのに、バツイチの兄と独り身の妹が経営していたなんて。生前、よく兄も冗談めかして言ってました」
「ですが、この場合の『マリアージュ』は、結婚と言う意味ではなく、料理とワインの組み合わせにのことですよね? でしたら──ワインはいただいていないのでわかりませんが──、料理に関しては、まさしく名前のとおりだと思います」
「ありがとうございます。お昼ご飯も、腕によりをかけて作らせてもらいますね」
そう言えば、今日の昼食にはウサギのジビエが出るんだったか。殺人のあったその日のうちに、血のソースで煮込んだ獣肉を食べるなんて、正直ゾッとしないが……。
──僕たちの聴き込みはそこで終わり、最後に緋村は改めて現場を調べる許可を得た。
「ええ、構いませんよ。もし警察か来て何かツッコまれた時は、仕事で使う物を捜してもらったことにしましょうか。──あ、それと、さっきはすみませんでした。間が悪かったみたいで。石毛くんから聞いたんですが、写真を調べようとしていたんですよね?」
そう言われて、まだ例の写真を調べられていないのを思い出す。あれのことは緋村も気になっていたらしく、僕たちは現場検証の前に、先にロビーへ向かうことに決めた。
※
「よっ」と言う声と共に、緋村は両腕を伸ばし、壁から写真を取り外した。真っ先に額の裏面を見てみるが、そこには何もない。続いて、額縁から中身を取り出してみる。僕は横からそれを覗き込んだ。
すると──
早くも何かを発見した。
写真の裏側には、滲んだ青いインクで、次の文章が記されていたのだ。
娘を、白花を殺した者たちに、己の罪を思い知らせること。それが私の復讐である。
その為になら、自らの命を投げ打つことすら厭わない。
言わば、私自身が供物となるのだ。
弥生には申し訳ないと思うが、どうか理解してほしい。私は、この終わらない悲劇に疲れてしまった。
平成最後の夏 月島順一 記
──白い花と書いて、キヨカか。やはり、白薔薇に彼女の面影を重ねていたのだろう。まっさきに思い浮かんだのは、そんな感想だった。
が、この文章は何を意味する物なのか、皆目見当が付かない。順一さんは、どんな想いに駆られ、これを綴ったのだろうか……。
「いったい、どう言う意味なんだ?」
「……さあな。文面だけじゃ、遺書にも声明文にも取れるが──とにかく、順一さんが何かを計画していたことは確かだろう。どう『復讐』するつもりだったのかはわからねえが……」
答えた彼の瞳は、相変わらず死んでいる。が、しかし、その黒い黒眼の奥に、何やら閃きの光のような物が、一瞬垣間見えた気がした。
何か、思い付いたのだろうか?
「緋村、もしかして」と、尋ねかけた時、意外な方向から邪魔が入る。
二階へ続く階段を、誰かが降りて来る気配がしたのだ。
僕たちが同時にそちらを向くと、ちょうど彼女が廊下へ降り立ったところだった。
「……あの、その写真が、どうかしたんですか?」
そう尋ねる彼女──山風は、何かを恐れているような表情で、こちらを見ていた。
「ええ。少し、発見があったんです」応じたのは緋村だ。
それを聞いた山風の顔が、俄かに強張る。
「……私にも、見せてもらってええですか?」
「構いませんよ。どうぞ」
彼女は手渡された写真の表と裏、両方に目を通した。当然ながら喫驚したようだが、思いの外それは面には現れず、ただ居た堪れないような悲痛さだけが、ハッキリと見て取れた。
その様子を無機的な眼差しで観察していた緋村は、やがて、硬質な声で、
「山風さん。君は──キヨカさんのことを、以前から知っていたんですね?」
それは、思ってもみなかった問いであった。が、同時に、どこかで僕もそんな予感がしていたのだ。
だからこそ、彼女の様子はおかしかったのだと。
果たして、山風の答えは──
「……はい」
彼女は覚悟を決めたように、まっすぐに緋村を見返し、頷いた。