Transition period②
「まず断っておくと、俺が考えたトリックは、弥生さんにしか実行できません。逆に言えば、彼女であれば現場を密室にすることができた──と、考えたこともありました。さっきも言ったように、これはすでに破綻しているトリックなので、まあ、話半分に聴いてください」
そんな投げやりな前置きをしてから、彼はようやく本題に入る。
「まず、順一さんを殺害した弥生さんは、廊下の外に出て、ドアに鍵をかけました。この時使ったのは、おそらくマスターキーでしょう。部屋の鍵自体は、その時すでに本の間に挟んであったはずですから。
──そして、俺たちが通りがかると、順一さんが起きて来ないと言い、ドアに鍵がかかっていることを確認させました。それから、あの時は俺から提案したんですが、俺たちが外へ出て、窓から様子を見に行った隙に、素早く外から鍵を開け、マスターキーを室内に戻した。──これにより、『最初にドアが施錠されているのを確認した時から、鍵は全て現場内にあったのだ』と、俺たちは錯覚させられていたんです」
「なるほど。それなら確かに単純に密室が作れる──けど、あの時弥生さんは一人きりじゃなかたっんだぞ? 須和子さんたちもいたのに、そんな芸当さすがに無理なんじゃ」
「だろうな」こともなげに、彼は首肯する。「こっそり鍵を開けるくらいなら、ドアの向こうに声をかけるフリをしながら体で手元を隠せばまだできそうだ。が、鍵を室内に戻すとなるとそうもいかない。──もう一度訊きますが、弥生さんに不審な動きはなかったんですよね?」
「う、うん。ノックすらしてへんかったはずやで? 少なくとも、そんな大胆なトリックを実行するような機会は、なかったやろうし」
「まあ、そうですよね。わかってはいましたが、確認できてよかったです」
だからこそ、彼は「すでに破綻している」と言っていたわけか。
負け惜しみのようなセリフに、友達がいのない──そもそも友人と呼べる自信はないが──僕は、正直、少々気分がよくなった。
「残念だったけど──発想はよかったんじゃないか? 須和子さんたちがいなかったら、十分実行可能なんだし」
「ニヤ付いてんじゃねえよ。悪かったな、誰かさんと同レベルで」
「ちょっとちょっと。そんなこと言うたら、うちのアホトリックはどうなるんや」
と、須和子さんが困ったように笑う。
「緋村くんの推理もオモロかったけど、もし仮に弥生さんが犯人やったとすると、動機は何なんや? あんなに仲よさそうやったのに。──て言うか、今更やけど、誰が犯人だとしても、動機がわからんよなぁ」
確かに。妹や幼馴染であれば、「秘めてる殺意」と言う物を抱いている可能性もある。が、そんな様子は──一日足らずを共に過ごしただけだが──、微塵も見受けられなかった。三人とも仲のいい兄妹、あるいは竹馬の友と言った風だったのだが……。
また、《GIGS》の面々に至っては、宿泊所の経営者と客の関係でしかない。無論、毎年利用しているようだから、もしかしたら過去に何らかのトラブルがあり、僕たちがそれを知らないだけと言う可能性もある。──が、しかし、こちらも一見してそんな雰囲気はなかったし、もしあったとしても、それしきのことが殺人にまで発展するのだろうか?
──僕が考え込んでいると、再び日々瀬が遠慮がちに会話に加わる。
「あ、あの、そのことなんですけど……去年の合宿の時に、木原先輩たちがオーナーさんと揉めたって聞いたんですが……」
「ああ、あったなぁ。確か、例の廃墟に肝試しに行こうっとしとったんを、オーナーさんに注意されたんや。で、そん時キバちゃん割と酔っ払っとって、ちょっと口論みたいになってもうて。──ま、翌日にはちゃんと謝ったし、向こうも気にしてないどころか、申し訳なさそうにしとったから、もうシコリはないはずやけど」
言ってから、「それがどうかしたん?」と、小首を傾げる。
「いえ、あの──もしかしたら、そのことが、動機なのかなぁって、思ったので……」
「え? ──まさかルナちゃん、キバちゃんのことを疑っとるん?」
「は、はい」自信なさげではあったが、すぐに認める。それにしても、いったい何故、そんな考えに至ったのだろう?
──自然と今度は、日々瀬が自身の考えを語る番となった。
「私、遺体の傍に落ちていた『虚無への供物』は、ダイイングメッセージなんじゃないかと思ったんです。──では、それが誰のことを指すのかと考えた時に、木原さんしかいないと気付きました」
「ほほう、その心は?」いつかの僕のようなことを、先輩が言う。
「大喜利みたいですね。──矢来先輩や若庭先輩は知っていると思いますが、『虚無への供物』の冒頭は、《アラビク》と言う名前の……その、ゲイバーから始まるんですよね。“おミキちゃん”がサロメを演じているシーン。──そして、物語が進むうちに、店名である《アラビク》は、『黄薔薇』とかかっていることがわかります。『ARABIQ』を逆にしてクィバラ……キバラ……」
つまり、キバラ=木原と言うわけか。
それにしても、日々瀬もミステリファンだったとは。「類は友を呼ぶ」と言う奴か、いよいよ何サークルなのかわからない。
「ちょっと、単純すぎますね。──でも、木原先輩ってその、かなり中性的なところがありますから、そう言った意味でも、先輩のことを指しているのかと……」
「ナルホド。──けど、それだけやと証拠にはならんやろうし、そもそも動機の面も弱いんとちゃう? 言うて去年のことなんやし、今更殺意が湧くようなこともないやろ」
確かに、僕もそう思う。ダイイングメッセージの内容についても、木原さんを疑う根拠としては弱いだろう。
それに、一つ疑問なのは──
「もし仮に、あれがダイイングメッセージだとしたら、鍵を挟んだのは犯人ではなく、順一さんと言うことになるのかな?」
「そう、ですね。私はそうだと思います。どう言う意図があったのかは、まだわかりませんが……。ただ、オーナーさんが鍵を挟んだと考えれば、現場が密室だった理由もわかって来ます。オーナーさんは、自らドアの鍵を閉めた──つまり、犯人から逃れる為に部屋の中に逃げ込み、そのまま息を引き取ったんです。だから、現場は密室状態になってしまった。──ダイイングメッセージである『虚無への供物』の間に鍵が挟んであったと言うことは、最後にそれを持っていたのはオーナーさんと言うことになりますから、自ら鍵を閉めたと考えるのが自然かと……」
日々瀬の話を聴き終えた僕は、正直かなり感心していた。これまで出た中で一番マトモな推理だし、彼女は密室ができた理由だけではなく、犯人まで指摘しているのだ。
ますます自分の迷推理が恥ずかしい……。
「凄いな、とても論理的な推理だと思います。俺や若庭のとは比べ物にならない。あれがダイイングメッセージだと言う発想はありませんでした」
素直に緋村が賞賛する。彼も感服しているのか──と思いきや、
「ですが、密室に関しては否定せざるを得ないですね」
「えっ──ど、どうしてですか?」
「別に責めているわけではないですよ? ただ、もし日々瀬さんの言ったとおり、部屋に逃げ込んだ順一さんが自ら鍵をかけたのだとしたら、必ず床やドアに血痕があるはずです。順一さんは部屋の真ん中より少し奥側で亡くなっていたんですから、そこまで血が滴っていなければおかしいですし、刺された後で自らドアを閉めたのであれば、ドアノブも汚れているはずです。──しかし、現場には血の跡は全くなかった」
そう言われてみれば、確かにそんな痕跡は一切なかった。廊下ないし戸口で刺され、部屋の中に逃げ込んだのだとしたら、どうしても血が滴るはずだ。
「同じように、『虚無への供物』や鍵に血が全く付着していないのも、やはり不自然ですね。──いや、そもそも順一さんの両手は汚れていなかったんですけど……妙だな。確かに、出血は極端に少なかったが……」
何か気が付いたことがあるのか、口許を手で覆い黙り込んでしまう。須和子さんや日々瀬も口を閉ざし、彼の次の発言を待っているかのようだった。
僕はその間、自分なりに事件について思い返してみることにした。何か、手がかりはないか、見落としている物はないか、と。
そして、記憶の襞を辿っているうちに、昨夜耳にした口論を思い出す。結局、あれは何だったのだろう?
なんだか猛烈に気になり始めた僕は、「そう言えば」と、順一さんたちが言い争う声を聞いてしまったことを、ここで初めて打ち明けた。
「……ふうん、そんなことがあったのか。確かに、気になる話だな」
昏い黒眼だけをこちらに向けた緋村は、そんな感想を述べる。それから、再び何事か思案した後、
「──仕方ない。あまり気が進まねえけど、弥生さんに話を聴いてみるか」
「えっ? さすがにそれは酷なんじゃ」
「わかってるよ。──けど、いかんせん情報がなさすぎる。それに、被害者の肉親なら何か知ってるかも知れねえからな。もちろん、無理に問い質すつもりはない。話を聴いても大丈夫そうだったらってことだ」
「で、でも──そもそも、どうして君は、そんな、探偵の真似事をする気になったんだ? 事件に対して、もっとドライな感じだと思ってたのに」
「いいだろ、別に。野次馬根性みてえなもんだよ。──いずれにせよ、まずはこの勝負に決着を付けましょうか」
どちらかと言うと負けているクセに強気な発言をし、彼はカードを引いた。今度は無事に数が揃い、残すは二枚。つまり、どちらかがジョーカーだ。
──結局、僕の質問の答えは有耶無耶にされたまま、最下位決定戦は大詰めを迎える。
「──危なかったけど、ドベだけは免れたようやな」
安堵の声と共に、彼女は二枚のカード──ハートとスペードの女王を、カーペットに投げ出した。
対して、敗者の手の中では、道化師の絵柄が嗤っている。なんとなく、幸先が悪いが……果たして大丈夫なのだろうか?




