Transition period①
「僕が考えたのはある意味王道の、糸を使うトリックです。用意するのは、長さの違う二本の糸だけ。
まず、そのうちの短い方を鍵に通して、両端をまとめて持ったまま、鍵の頭にクルクルと巻きます。この状態で鍵を挿し、ドアの下に糸を通して廊下に出れば、あとはそれを引っ張るだけで、外から鍵をかけられます。ここの鍵にはお誂え向きに頭に穴がありますからね。プラバンのキーホルダーと一緒に、糸をそこに通したわけです。──あ、ちなみに『短い』とは言っても、一メートルくらいあると思ってください」
「なるほど、なんかそれっぽいやん。──で? 鍵はかけられたとして、どうやってそれを部屋の中──それも、『虚無への供物』のページの間──に、戻すんや?」
「そこで、もう一本の長い方の糸を使うんです。──最初に短い方を鍵に付ける時に、一緒にこっちも穴に通しておきます。で、外から鍵をかけ、短い糸を回収した後、長い方を引っ張ったわけですね。
では、その鍵を部屋の中──『虚無への供物』に送り込むには、どうすればいいか……」
僕はそこでわざと間を持たせる。後になって思うと気恥ずかしいが、この時は少なからず、自分の推理に自信があったのだ。
「──ドアの下の隙間から糸を引くとして、室内に滑車の役目を果たす物が、必要になります」
「……なるほどね。つまり、犯人は死体を使ったって言いたいんだな?」
と、カンジンなところを先に言われてしまった。仕方なく、僕は緋村に頷き返す。
「死体を? それじゃあ──順一さんの遺体を滑車代わりにして、鍵を送り込んだってことなん?」
「はい。つまり、長い方の糸は死体の周りを這わせてから、ドアの下を通したわけです。そうすれば、廊下から糸を引くだけで、鍵は鍵穴から抜け、部屋の中に送り込むことができますね。
そして、鍵が『虚無への供物』の間に挟まっていたのも、同じ理由からでしょう。おそらく、犯人は何度かこのトリックを実験しているうちに、死体だけではうまく鍵を戻せないことに気付いた。そこで、犯人は鍵と糸の動きを補助する為に、分厚い本の間を通すことにしたんです」
かくして、密室は造られた──と言うのが、一応僕にとっては渾身のトリックだった。
言い終えてから、座の様子を窺う。なかなか反応が返って来ず、多少得意げだった気持ちが、次第に萎んで行った。もしかしたら、自分は的外れなことを言ってしまったのではないかと……。
──やがて、須和子さんが気を遣うような口調で、
「うちのよりかは、ちゃんとしたトリックやったな。──けど、それやと、鍵は本の間に入るんやなくて、その手前で落ちるんやない?」
──言われてみれば。
「でも、たまたましっかり挟まったって可能性もあるわけですし……」
自分でも、かなり苦しいことを言っているのはわかった。しかし、一度思い付いたアイデアと言うのは、なかなか手放せはいものだ。
「あと、打掛錠が下りてたのはどう説明するんや?」
「あっ──じゃあ、そっちも糸を使ってドアの下の隙間から引っ張ったってことで。一本追加してください」
さすがにいい加減すぎたのか、先輩からは「居酒屋やないんやから」とツッコミが入る。
すると、それまで黙っていた日々瀬が、オズオズと口を開き、
「あ、あの、そもそもなんですけど……あの部屋のドアって、下に隙間がなかったような……」
「──え?」
もしそうだとしたら、僕のトリックは一発で瓦解することになる。
「で、でも、客室のほうはちゃんとドアの下に隙間があるんだし、順一さんの部屋も同じなんじゃ」
現に、今いるこの部屋のドアもそうなっていた。
が、しかし、緋村が容赦なく望みを絶って来る。
「いや、彼女の言うとおり、そんな物はなかったよ。ついでに言うと、弥生さんの部屋にもな。──確かに、客室の方のドアには下に隙間がある。新聞とか差し込む為の空間がな。けど、管理人の部屋にそれは不要だ。差し込む側なんだから」
「じゃあ、僕の考えた密室トリックは……」
「無理だろうな。残念ながら」
それなりに自信があったのだが──見事に玉砕してしまった。
「まあ、発想は面白かったぜ。死体をトリックに組み込むところなんかはな」
偉そうな言い方に、多少ムッとなる。僕はちょっとした仕返しのつもりで、
「じゃあ、君の考えは? その灰色の脳細胞で、どんな推理を巡らせていたのか、教えてくれよ」
「なんだ、不貞腐れてんのか? ──いいけど、俺のはめちゃくちゃ単純な話だからな。しかも、実はすでに破綻してるんだ。あまり期待せずに聞けよ?」
そう前置きをした彼は、考えをまとめるかのように、持ち札をシャッフルした。




