水色革命②
「なあ、緋村くん。なんでさっきは、あのこと言わんかったん?」
「あのこと、ですか?」
「せやから、現場が密室やったって話。わざとせんかったんやろ?」
言いながら、須和子さんは緋村の手札から一枚選び引き抜いた。数字が合ったらしく、「よっしゃ来たわ」と小さく喜んで手札を二枚捨てる。
──朝食とその後片付けを終えた僕たちは、須和子さんの部屋に招かれ、暢気にババ抜きをしていた。残る一人の面子は、隣室に泊まっている日々瀬である。
「はい。余計な混乱を招き兼ねないと思いましたので」
答えつつ、彼は須和子さんの手札から一枚選び引く。こちらはハズレらしく、眉間に皺を寄せて持ち札を睨んでいた。
日々瀬と僕はすでに上がっており、今行われているのは最下位決定戦だ。
「それに、ああ言うのは俺じゃなく、矢来先輩や若庭の方が詳しいでしょう」
「まあ、密室って言うたらミステリ──特に『本格』ではド定番やからなぁ」
再び彼女が引いたが、今度は揃わなかったようだ。
「元祖と言われる『モルグ街の殺人』からしてすでにそうやし。やっぱり、謎がわかりやすいのがええんかな。──これは、ミステリ談義の本なんかでよう言われとるんやけど、そもそも、人間個人個人の意識や、うちらがいるこの世界その物が、ある意味大きな密室とも言えるわけやろ? 人は初めから、脱出不可能な閉じた匣の中で生きとるんや」
「ははあ、ナルホド。だからこそ、人は密室の謎に惹き付けられるわけですね。──じゃあ、あまりときめいてない俺は人間味を欠いてるってことかな」
むしろ、現実の事件の舞台でときめく方が、人としてどうかと思うが。飛田での事件とは違い、僕たちは直接巻き込まれ、被害者も全くの他人ではないのだから。
二人の熱戦──と言う名の泥試合──を観戦していた僕は、そこでふと、気になっていたことを尋ねてみることにした。
「そう言えば、須和子さんたちはどうしてあんなに早くから起きていたんですか? 練習があったわけじゃないですよね?」
「ああ、あれ。どうしてって言われても、たまたま早く目が覚めただけや。──ルナちゃんもやろ?」
「あ、はい」一位上がりで手持ち無沙汰そうにしていた日々瀬が、不意を突かれたように応じる。
「私、夜中に目が覚めてから、あまり寝付けなかったんです。さっきも言ったとおり、地震があったのかと思って怖くなって。──それで、早めに起きてお手洗いに行ってから、また自分の部屋に戻ろうとしたら、ちょうど矢来先輩も、お部屋から出て来られたところで」
「そうそう。ほんで、二人とも暇やねってなって、一緒に一階に下りてくことにしたんや。葉くんたちが起きて朝食の準備しとるようやったら、少し冷やかしたろうかなって。それで、一階に下りたところで話し声が聞こえて来たから、何しとんのか見に行ってみたら、すでに事件が起きとったわけや」
「はあ、そうだったんですね」
あっけない内容だったので、気の抜けた返事になってしまった。
──ちなみに、日々瀬が「お手洗いに行った」と言っていたが、共用のトイレは各階の廊下と、一階の浴場に隣接する脱衣所内にあった。基本的に客室に手洗いはなく、唯一今僕らがいるこの部屋にだけ、ユニットバスが備わっている。四回生待遇と言うことか、須和子姐さんに一番いい部屋──本来は二人用であり、ベッドも二台置かれている──が充てがわれたわけだ。
「そう言えば、お二人が順一さんの部屋の前で待っている間、何か変わったことはありませんでしたか? 俺たちが外から部屋の様子を覗きに行った時と、その後斧を取りに行った時です。どんな些細なことでも構わないので、気が付いたことがあったら教えてください」
「変わったことなぁ……特に、何もなかったと思うけど。──なぁ?」
「はい、私も何も気付きませんでした」
「そうですか。──では、その時の弥生さんの様子はどうでしたか?」
「弥生さん? 別に、むっちゃ心配そうにしとったくらいやないかな。何や虫の知らせってことなんかわからんけど、あの時からすでに顔色が悪かったで。──おっ、スマンけどリーチやわ」
余裕の笑みを浮かべ、ラスト二枚のカードをグルグルとシャッフルする。
にしても、緋村は何故そんなことを聴くのか。それではまるで──
「君は、もしかして弥生さんを疑っているのか?」
無意識に突き動かされ、気付けば僕はそう問うていた。
「……別に、本気で疑ってるわけじゃねえよ。ただ、ありとあらゆる可能性を考えてみただけだ。まあ、さっそく一つの選択肢を潰せたわけだな」
「ほう。と言うことは、事件に関して何か考えがあるんや」
「ええ、一応は。──みなさんはどうなんです? 普段からミステリを読まれているのなら、何か思い付くことがあるんじゃないですか?」
リーチされたことへの腹いせと言うわけではないだろうが、挑発するように片頬を歪める。
「もちろん。犯人は皆目わからんけど、密室トリックくらいなら、目星が付いとるで?」
「さすが、ミステリマニアの面目躍如ですね。よろしければ、聴かせてくださいませんか?」
「ええよ。──けど、その前に、ほれ。どっちか引いてからな?」
「…………」
しばし間を置いてから、意を決したらしい彼は無言のままカードを引いた。
「では僭越ながら、うちの考えを話させてもらおうかな。と言っても、むっちゃ単純なトリックやけど。──順一さんを殺害した犯人がしたことは、ただ一つ。思いっきり強くドアを閉めた。これだけや」
「……つまり──ドアを閉めた時の衝撃で、打掛錠が下りたってことですか?」
尋ねると、「そ」と彼女は笑顔で頷く。「だって、かかってたんやろ?」
「いや、それはそうですけど……」
とっさに何と答えたものかわからずにいると、やがて先輩は同じ表情のまま、
「……やっぱり、アカン?」
「あ──カンでしょうね、残念ながら。打掛錠だけならともかく、鍵自体もシッカリ施錠されているのを、緋村が確認してますから。──だよな?」
緋村が頷く。
あの時──須和子さんたちが来る前に彼がドアノブを捻ってみたところ、打掛錠だけではなく、ドア自体の鍵もかかっている感触がしたそうだ。また、その後土砂崩れのことを知ってから再び現場に戻った際、何気なく破ったドアを見てみたのだが、確かに留め具が飛び出したままだった。
「そうやったんか。まあ、さすがにこんな単純なトリックやったら拍子抜けやしなぁ。うちかて、本気で言ったんやないんやで? ただ少し──推理の手助けになればと思っただけやから、うん」
「つまり、先輩はワトソンの役目を買ってくれたわけですね。さすが、流れと言う物をわかってらっしゃる」
「いや、それ全然褒めてへんやろ。──ま、ええわ。うちが言ったことは忘れてもらうとして、葉くんはどうなん? 最近『匣の中の失楽』を読み終えたんやから、ミステリ脳が活性化しとるんやない? あれだけ密室塗れの作品やし」
「『いかにして密室はつくられたか』ですか。──活性化してるかはともかく、一応思い付いてはいますよ」
そう答えると、今度は僕が推理──と言うかトリックのアイデアを披露することになる。