水色革命①
みな三々五々に食堂を後にして行く中、緋村は石毛さんを捕まえる。
「ロビーにある写真について伺いたいことがあるんですが、一緒に来てもらってもよろしいですか?」
「え? 写真ですか? ええ、構いませんけど……」
突然そんなことを言われ、戸惑っている様子だったが、とにかく三人でロビーに向かう。
例の写真を見上げ、彼は瞠若し、低い呻き声を発した。
「これは……たまげたな。まさか、こないな写真があったやなんて」
「えっ?」今度は、僕が喫驚する番だった。「じ、じゃあ、この写真は元々ここに飾ってあった物とは別の写真なんですか?」
「え、ええ。そうやと思います。私も、初めて存在を知りましたけど」
と、言うことは──つまり、キヨカさんが写真から抜け出したのではなく、彼女の写っていない物に、写真自体が入れ替わっていただけ、と? ……いや、写真の中身が勝手に動くはずないのだから、当然と言えば当然なのだが……。
本当に、そんな単純な話なのだろうか?
一人釈然としないでいると、こちらはさほど驚いていないらしい緋村が、呆れたような笑みを浮かべ、
「気付いてなかったのか? 昨日見た時よりも、写真が日焼けしてないだろ? つまり、今飾られてる写真は、ずっと日の当たらないどこかにしまわれていたってわけだ」
なるほど──と、納得するしかなかった。それと同時に、「異変」の持つ魔力と言うか魅力と言うかが、一気に減退してしまったように感じる。
「問題は、何故写真が入れ替えられているのか、だな。これも犯人の仕業だとしたら、いったい何の目的があったのか……。──この写真や元の写真に、何か特別な価値がある、と言うことはないですか?」
つまり、盗み取ったついでに入れ替えたと考えているのだろうか?
が、石毛さんは首を横に振る。
「いいえ、そんな話は聞いたことないですね。もっとも、順さんにとってはかけがえのない宝物やったんでしょうが……まあ、家族にとっては価値がある物と言ったところでしょうか」
予想どおりの答えだった。緋村にとっても同じだったらしく、「そうですか」と呟いただけで、特に意外そうな素振りは見せない。
「二つの写真を撮ったのは、順一さんなんでしょうか? キヨカさん以外は全く同じ構図──と言うことは、同じ撮影者が意図的にそうしたとしか思えませんが」
「確かに、仰るとおりです。が、撮ったのは順さんではありません。当時ここでバイトしとった男の子です。写真が趣味で、物静かな好青年って感じでしたね。──それに、ただのアルバイトと言うだけやなくて、キヨカちゃんの恋人でもあったんですよ」
「なるほど。──ところで、昨日から気になっていたのですが、キヨカさんはすでに亡くなられていて……?」
「……ええ。もう、五年も前になります」
ノンフィクション作家は声のトーンを落とした。やはり、写真から消えた少女は故人だったのだ。
「とってもええ娘やったんですけどね。残念なことです……。当時はまだ高校生──十七になったばかりでした」
「そうだったんですね。──すみません、こんな時に辛い話をさせてしまって。ただでさえ、ご友人に不幸があったばなりなのに……」
「いえいえ、気にせんといてください。私も、誰かと話している方が気が紛れます。……それに、順さんは探偵小説が好きでしたからね。自分の死の真相を誰かが調査してくれるやなんて、案外天国で喜んでるかも知れませんよ」
「僕はただ、疑問に思ったことを伺っただけです。調査だなんて大袈裟な物ではありません」
確かに、緋村には積極的に事件を捜査する義理も使命もない。自分の身に降りかかった火の粉を払う為であれば、話は別かも知れないが、とにかく彼は単なる学生──それもヤクザな阪芸生だ。名探偵にも素人探偵にもほど遠い。妙に落ち着いてはいるものの、現実に起きた密室殺人の謎を解明するほどの力など、持っていようはずがない。
──少なくとも、この時点ではまだ、僕はそう考えていた。
「と言うわけで、まずは疑問ついでに、あの写真の裏を拝見したいのですが」
「構わないと思いますよ。見てみましょうか」
鷹揚に答えた石毛さんは、カウンターの向こうへと回り込んだ。その際、床に置かれたままの電話の残骸を蹴飛ばしそうになり、慌てて足を引っ込める。
「おっと、そう言えばこれがあるんやった」
呟いた彼は改めて写真に近付き、両手を伸ばす──
と、その手が額縁を掴みかけたところで、食堂の方の廊下から、彼女が現れた。
「あの、どうかされましたか?」
突然降って来た消え入りそうな声に、驚いてそちらを振り向く。
そこに佇んでいたのは、弥生さんだった。
彼女は、すでに悲しみ疲れたと言った表情をしており、蒼白い顔は病人のようにも見えた。しかし、それでも悲嘆に暮れている様子はなく、むしろ努めて平静を保とうとしているようだ。
「弥生ちゃん! もう、休んでへんくて平気なんか?」
「あ、うん。お客様が来てはるのに、いつまでも部屋に閉じ篭っとるわけにはいかんから」
小さな笑みを拵えた彼女は、それから僕と緋村に向き直り、
「お二人も、突然こんなことになってしまってすみません。すぐに、朝食のご用意を致しますね」
「大丈夫なんですか? もし厨房を使わせていただけるなら、朝食くらい自分たちで作りますが」心配になって、思わずそう尋ねる。
「ご心配いりませんよ。むしろ、何か仕事をしている方が、気が紛れますから……」
本人がそう言うのなら、無理に止める必要はないのかも知れない。それでも、肉親を失ったばかりの人間に朝食を用意させるのは、甚だ心苦しくはあるが。
「──わかりました。では、僕たちにも手伝わせてもらいただけませんか? それくらいはしないと、雇われている身としても申し訳ないですから」
緋村の提案により、僕たちは四人で朝食の準備をすることになった。
──その後、八時前には全ての支度が終わり、《GIGS》の面々に声をかける。ほとんどの者が食堂に現れたが、若干三名──山風と畔上、そして湯本だけは、「食欲が湧かない」との理由により、自室から出て来なかった。