DADA②
母屋内の喫煙スペースは、食堂とはちょうど反対側になる位置──浴場へと続く細い廊下の手前にあった。ちょうど四角くヘコんだところに、灰皿とソファが設置されている。
喫煙者たち──僕以外の四人は、銘柄の違う煙草を取り出し各々火を点ける。
「ところで、どうなん? みんな、一回生とはちゃんとコミュニケーション取れてる?」
須和子さんは、バンドメンバーたちに尋ねる。
「モチロン──って、自信持って言えたらええんすけどね」湯本が苦笑する。「正直、三人ともどこか絡み辛いって言うか……」
「アカンで、そんな弱気なこと言っとったら。ミクちゃんなんか、コピバン全く組めてへんらしいやん。そう言う子がいたら、先輩の方から誘ったげな」
「せやったら、須和子さんが一緒に組んであげたらええんやないですか? 一回生全員からリスペクトされてるみたいですし」
「言われなくても、さっきもう組んだわ。──つうわけで、ドラムよろしく」
「えっ、今言います?」
ギタリストは紫煙と共に頷く。
「俺、今回結構手一杯なんですけど……。──そうだ、キバさん代わってくれませんか?」
「そうねぇ、やってあげてもいいけど……。でもねぇ、あたし多分、あの娘に嫌われてると思うのよねぇ」
首筋に手を当てがい、副部長が答えた。
ちなみに、彼の一人称は「あたし」だ。
「マジっすか? もしかして、何かありました?」
「いや、特に揉めてるってわけじゃないのよ? ただ、ソリが合わないって言うか、相性が悪いって言うか──ほら、いるでしょ? 『理由もなく気に入らない相手』って。あたしは別に気にしてないんだけどね」
木原さんは淋しげな笑顔を浮かべる。人数の少ないサークルだからと言って、全員が全員仲がいいわけではないらしい。様々な人間が集まっている以上、当然と言えば当然だが。
そして、誰にでもそう言った「理由もなく気に入らない人間」が存在する──少なくとも、僕は身に覚えがある──のもまた、事実だろう。
「お前のオカマみたいな喋り方が気に食わんのとちゃうか?」
「あら、失礼しちゃうわね。あたしは丁寧に話してるだけよ。──芳春こそ、もっと後輩と交流した方がいいんじゃない? コミュ障すぎるわよ」
「ええんや。俺は演奏で引っ張ってくんやから」
そんな他愛もないやり取りが続く間、緋村は黙って煙草を吹かしていた。意外と酒が弱いのか、早くも赤みがかった横顔で、出窓の外に視線を投じる。
ガラスの向こう側は、バケツをひっくり返したような土砂降りだ。
「……あの薔薇、ダメになっちまうかもな……」
ボソリと、緋村は無味乾燥な声で呟く。
それを聞いた僕は、夕食の支度をする前に順一さんを呼びに行った時のことを思い出し、彼に話した。折り畳みナイフで切ったらしい薔薇の遺児を、順一さんが踏み潰していた、と。
「へえ、まさしく『病める薔薇』だな」
──彼の口にした『病める薔薇』とは、ウィリアム・ブレイクの詩のことだろう。佐藤春夫の小説ではないはず──そちらは「そうび」と読むし。
『病める薔薇』は詩集『無垢と経験の歌』の、「経験の歌」の方に収められており、「おお、ばらよ! おまえは病んでいる!」と言う出だしは、悲嘆に暮れているようでもあるし、薔薇を批難しているようにも感じられる。陳腐な表現でしかないが、美しく、かつグロテスクな文章で構成されており、ブレイクが“幻視者”と呼ばれる所以が、端々から感じられる逸品だ。
僕も緋村も《えんとつそうじ》の店主に勧められたことがキッカケで、『無垢と経験の歌』を読んでいた。
──色のない花たちは、この夏の嵐を耐え抜くことができるのだろうか。不意に心配になって来た僕は、先ほどの緋村と同じように、黒く塗り込められた窓ガラスの向こうを見つめた。