DADA①
宴会場の中は、つい先ほど耳にした物が幻聴だったのではないかと思えるほど活気に溢れていた。ドア一枚隔てた外と内とで、えらい違いだ。
《GIGS》のメンバーに緋村と石毛さんを加えた面々は、みな酒やソフトドリンクを手に談笑している。しかし、まだ誰も缶を開けていないところを見ると、どうやら僕を待っていてくれたようだ。
須和子さんに手招かれ、僕は彼女の隣りに座る。「ほれ」と発泡酒の缶を渡された。
「それでは、全員揃ったので乾杯の音頭を──就活よりも合宿を優先された唯一の四回生であらせられる須和子さん、お願いします」
部長の佐古さんが痛烈な皮肉を言い、座の笑いを誘う。
「思い遣りの籠った紹介、痛み入るわ」と切り返しつつ、須和子さんは立ち上がった。
「こう言うの苦手やねんけどなぁ。何に乾杯しよ。ここは火山やないから、『今夜の月に』ってわけにもいかんし」と、伝わり辛い小ネタを挟む。「じゃあ、あんまり捻りがないけど──“平成最後の夏”に」
印象的なフレーズと共に、宴は始まった。
──それから、会話は無軌道に、様々方向へ飛んだ。その中には、例の密室殺人に関する話題もあった。
「──ところで、この間の飛田の事件って結局どうなったんやろうな? まだ犯人は捕まってないようやけど」
どう言った話の流れが定かではないが、ふと思い出したように佐古さんが呟いた。
「確かに、一時はめちゃくちゃ話題になってたのに、今は全く触れられないですね。何の続報もないままやし」
と、湯本が応じる。すると、これを聞いた木原さんが、
「不謹慎な話だけど、ミステリ好きからすると、犯人に敬意を表したい気分よねぇ。密室から消え失せた上に、ここまで捜査の目を掻い潜ってるだなんて。──ねえ、姐さん」
「いや、あんたホンマに不謹慎すぎるで? ……ま、気持ちはわからんでもないけど。いったいどんなトリックを使ったんか、めっちゃ気になるわ。そこだけでも、手紙とかで警察かマスコミに送ってくれへんかなぁ」
それでは切り裂きジャックではないか。
いずれにせよ、緋村の夢のない推理は話さないでおこう。密かにそんなことを考えながら、会話に耳を傾ける。
「トリックもですけど、やっぱり一番重要なのは『どうして密室にしたのか』じゃないですか? 現場を密室状態にするからには、それなりの理由がないと」
「せやな。『ただトリックを思い付いたので密室にしてみました』みたいなミステリが、一番シラケるもんなぁ。うちも、どちらかと言うとどうやったのかよりも何故やったのかが凝った話のが好みやし。まあ、どっちがより優れとるとか劣っとるとか、そんな話やないけど」
いつの間にか、ミステリ談義のようになっている。いったい、あなたたちは何サークルなのか。
──と、呆れながらも参加する隙を窺っていた僕は、そこであることに気が付いた。
夕食の時同様──いや、もしかしたらそれ以上に、山風の様子がおかしいのである。何か、気分でも悪いのか顔を蒼くさせており、手に持ったコーラも全く喉を通らないようだ。無為に炭酸の泡を弾けさせている。
さすがに心配になっていたので声をかけようとした──のだが、先に彼女の隣りに座った日々瀬がその役を果たす。
「どうしたの、山風さん? 顔色よくないみたいだけど……」
「そう? 別に……何でもあらへんよ?」
顔色がよくないと言われ「何でもない」と答えるのは返事としておかしいと思うが……。彼女の異変に気付いているのは僕と日々瀬だけらしく、他のメンバーは談笑を続けていた。
「事件があったのは、今月の一日やったか。ちょうどPL花火と同じ日やな」
佐古さんの言う「PL花火」とは、大阪は富田林市に本拠地を置く宗教団体、パーフェクトリバティー教団の主催する花火大会──もとい礼祭のことである。かなり規模がデカく、地域では完全に夏の風物詩と化していいた。開催日は八月一日と決まっており──かつては、日付は固定されていなかったらしい──、毎年その日は、花火観賞をしつつ呑み会を開くと言う阪芸のサークルも、多いそうな。無論、《GIGS》もその例に漏れない。
「そう言えば、例の人身事故があったのもあの日でしたよね。それも、新今宮駅──飛田の近くの駅で」
「あったなぁ。しかも、死んだのって、阪芸の生徒やったんやろ? 確か、写真学科の四回やったか」
「らしいですね。写真学科の友達が言ってたっすわ。『まさかあの人が死ぬやなんて思わんかった』って。なんでも、浪人と留年を繰り返しとったそうで、年齢は三十近かったらしいです。せやから、学科では結構有名やったとか」
佐古さんたちの会話を聞いて、僕はあの日見た「死の光景」を思い出した。若者が無残にも轢殺される瞬間──ではなく、あの禍々しい夕焼けを。
彼の死は、月日の堆積により、すでに世間から忘れ去られようとしていた。
「結局のとこ、あれって何が原因やったんかな。一時期、自殺やったんちゃうかって、噂されとったけど」
「そうらしいっすね。──けど、自殺はないんやないですか? その友達の話やと、近々高いカメラを買うんやって自慢しとったそうですし」
「せやったら、前にニュース番組で言っとったように、心筋梗塞なんかな。突然発作が起きて、線路に落ちたとか」
心筋梗塞──急性心不全など突然死のリスクは、加齢と共に高まると言う。しかし、若くして発症する可能性も、決してゼロではない。たとえ二、三十代だとしても、病気が起こる要因があれば、十分発病は考えられるのだとか。
何しろ、本当に「突然」来るのが突然死なのだから──と言うのは、無論、緋村の受け売りだった。
「ま、何でもええけどな。取り敢えず、自殺なんやとしたら、もうちょい場所を考えるべきやとは思うわ。公共の場で死なれるとか迷惑でしかないし。──そもそも、どないな理由があろうと、自ら命を絶つやなんて、うちには理解できひんけど」
意外と辛辣なコメントをして、須和子さんは発泡酒を呷る。空になったらしい缶を潰した彼女は、立ち上がり、それをゴミ袋に放った。
そして、何故か真剣な表情で会場を見回したかと思うと、唐突に手を挙げ、
「はい、ニコチン摂取したい人」
「そろそろだと思いました」
拍子抜けするような発言に苦笑しつつ、木原さんが腰を浮かせる。それに続いて、残りのバンドメンバー二人と、緋村も立ち上がった。
「お前も来るだろ?」と、彼はさも当然のように言って寄越す。まあ、彼らが主な話し相手でもあるし、喫煙所に付き合わされるのは馴れているので問題はないが。
かくして、僕もヘヴィースモーカーたちに付いて行くことにした。
そして、須和子さんが食堂のドアを開くと──
戸口のすぐ向こうに順一さんが立っており、二人はぶつかりそうになる。
「おっと──すみません!」
「あ──ああ、いえ。こちらこそ」
ボーッとしていたらしい彼は、申し訳なさそうに刈り上げた頭を掻く。反対の手には、ワインの瓶とグラスを携えていた。
僕たちと入れ違いに、順一さんは食堂に入って行く。ドアが閉まる間際、「みっちゃん、これ、例の」と言う声が聞こえたから、石毛さんに出すワインだったのだろう。
そんな風に思っているうちに、ふとあまり愉快ではない考えが浮かんだ。
──さっき聞こえて来た順一さんと弥生さんの口論。あれは、弥生さんが順一さんの自殺を止めようと、必死に説得していたのでは?
もちろん、根拠はない。しかし、「キヨカちゃんたちの分も生きてかなあかん」と言う言葉や、弥生さんの嗚咽が、どうしてもそのことを連想させる。
先ほどから、殺人やら自殺やらの話──災害や、テロの話題もあったか──が飛び交っていたせいもあるだろう。まるで、「死」の影が纏わり付いているような──
「あれ? 出しっ放しだ……」
緋村の呟き声で、僕の思考は打ち破られた。いったい何のことだろうと、彼の視線を追う。
すると、それが向かう先には、玄関の靴箱に立てかけられた二挺の斧があった。僕たちが薪割りの先に使った物だ。
「片付け忘れてんのかな」
独白した彼はさほど興味もないのか、ロビーを挟んで向かい側の廊下へ、さっさと歩いて行く。僕もその時は大して気に留めず、その後に続いた。




