極楽はどこだ①
案の定天気は崩れ、夕食が始まる頃には本降りとなっていた。
雨音を聞きながらのディナーには、《GIGS》の面々の他に、最後の宿泊客が加わる。
「みなさん、阪芸の学生さんたちなんですね。──ほほう、バンドサークルですか。いいですねぇ、青春の真っただ中って感じで。今が一番楽しい時期でしょう?」
その男性──石毛幹久さんは、気さくに学生たちと会話する。「幼馴染」と言う前情報があったが、年齢は弥生さんと同じとのこと。金束子のような強そうな髪と、濃い眉毛が特徴的だ。
「学生時代なんて、私らにはもう遠い昔のことですから。──ねえ、弥生ちゃん」
昼食同様、給仕係を務めてくれている弥生さんに話を振る。
「そりゃあ、そうでしょうよ。──それより、お客様の前でちゃん付けはやめてや。ええ歳して恥ずかしい」
「ええやん、ずっとそう呼んで来たんやから。──私たちね、幼稚園からの付き合いなんですよ。半ば家族みたいなもんで、ここには先代の頃から遊びに来させてもろてるんです」
「へえ、なんか素敵ですね、そう言うご関係。幼馴染でずっと仲がええやなんて、羨ましいです」と、これは須和子さん。
弥生さんはますます気恥ずかしそうに、「ただの腐れ縁ですよ」とだけ言って、逃げるようにテーブルを離れて行った。
「ところで、もし違っていたら申し訳ないんですが、石毛さんのご職業って、ノンフィクション作家ではありませんか?」
前置きをしつつ、緋村が尋ねる。
「ええ、そうです。──もしかして、私のことご存知だったりします?」
「はい、ご著書読ませていただいてます。特に『黒い波』はとても勉強になりました。被災地の実情をリアルに感じられて」
「いやぁ、まさかこんなところで読者に会えるやなんて、感激やなぁ。──あれは、取材がえらい大変やったんですよ。作中にもあるように、震災の直後にレンタカーを借りて現場に突撃しましてね。でも、どうしてもあのルポは書きたかった──いや、書くことくらいしか、私にできることはなかった、と言った方が正しいですね」
石毛さんは当時を振り返るかのように、遠い目をして答えた。『黒い波』と言うタイトルから、それが津波を指すことはわかる。
そして、どの津波のことなのかも──なんとなく、予感はあった。
「あの震災から、もう七年も経つんですねぇ。いやはや、時の流れは不思議な物です。まさしく、『ゆく河の流れは絶えずして』って奴ですね。
……とは言え、今尚その影響が残っていることも事実。現在も自宅に帰れない被災者や、元どおりの生活を送れない人たちが、たくさんいるわけですから」
乾いた声で彼が語った直後、座に神妙な沈黙が訪れる。賑やかだったはずの夕食の席で、示し合わせたかのように、みな口を噤む瞬間が生じたのだ。話題が話題なだけに、そうなるのも必定かも知れないが……僕は何か、とても奇妙な感覚に囚われた。
──前にもどこかで、こんなことがあったような……。
既視感──などではないと、記憶の襞を辿るうちに思い出す。
あれは……そう、七年前の三月──ちょうど例の震災のあった直後のこと。その日我が家では、珍しく家族全員揃って昼食を摂っていた。まだ震災から一週間も経っていないこともあり、居間のテレビからは絶えず痛ましい報道が流れていたのを、覚えている。
そして、その時画面に映し出された被災地の映像の中で──僕は、誰かの遺体を目にした。壊滅した線路の上、積もった瓦礫の中から、倒れている人間の下半身がはみ出していたのだ。
時間にすれば、それが映っていたのは、ほんの数秒程度だろう。しかし、人の死体をテレビで目にすると言う体験は、当時中学に上がる直前の自分にとっては、少なからずショッキングな出来事だった。
そして、他の家族も同じ物を見たのではないかと、されげなく食卓を見回した時──
誰も、テレビなど見向きもしていないことに気が付いた。父も母も祖母も、無言のまま箸を動かし、食事を続けている。それぞれ、他の者の姿など、見えていないような顔をして。
その光景を見た僕は、初めてあることを実感した。
──実の家族と言えど、各々別のことを考えて生きているのだと。
そして、多くの場合、名前も性別もわからない他人の死より、焼き魚の骨をいかにうまく取るかの方が重要なのだと言うことを。
ちょうど今の沈黙は、その時の無言の食卓──白昼夢のような「無風」の時間を、連想させた。
「どないしたん? ボーォッとして」
「え? ──いや、別に……」
斜め向かいに座る須和子さんの不思議そうな声で、我に返る。いつの間にか「無風」は終わっており、食堂は元の活気を取り戻していた。