カプセル②
それから二十分ほどして──十一時半頃、サークル《GIGS》の面々を乗せたマイクロバスが到着した。順一さんを含めた僕たち三人は、彼らを出迎えると、さっそく荷物運びを手伝う。取り敢えず全てロビーに入れてしまってから、後は各々自分の部屋に持って行くことになっていた。
「よいしょっ──きゃっ」
「おっと」
部員の一人──明るい茶色に髪を染めた女性が躓き、その拍子に取り落としそうになったボストンを、順一さんがキャッチした。砂利を敷いた上をヒールの高いサンダルで歩いていたのだから、蹌踉て当然である。
「これは私が運びますね」
「あっ、すみませんっ! ありがとうございます!」
彼女は申し訳なさそうに顔の前で手を合わせて、軽く頭を下げる。順一さんが運んで行ったボストンには、「山風」と縦に書かれたテープが貼ってあった。どれが誰の物か一目でわかるよう、部員の荷物には全て簡単な名札が貼り付けられているのだ。
そして、その珍しい苗字は、「やまじ」と読む。──彼女は山風美来。バンドサークル《GIGS》の新入部員の一人で、所属する学科は舞台芸術学科。僕とは学年が違うものの、サークル的には同期と言うことになる。
「湯本、スイカ落とすなよ? 今割ったらフライングどころの話やないからな」
「わかってますよ。佐古さんこそ、意外とドジなんですから、気を付けてくださいね」
鞄や楽器の他に大きなスイカの入ったレジ袋を提げた湯本卓が、軽口を返す。細縁眼鏡をかけた短髪の男で、真面目と言うよりかは神経質そうな雰囲気だ。いや、実際そう言う奴なんだけど。
対して、佐古芳春先輩は涼しげな表情のまま、「俺のチャームポイントに文句あるんか?」と、開き直ったようなことを言った。一見してクールな顔貌の、背の高い二枚目──なのだが、先輩方の話によれば、実はかなりの天然なのだとか。
すると、その隣りから微苦笑と共に、
「それを言うなら、ウィークポイントじゃない?」
中性的な口調で、ウエーブした髪を背中に着くまで伸ばした男性──木原哲郎先輩が、的確なツッコミを入れる。話し方や仕草がやけに女性的なのだが、本人曰く「そっちの方はノーマルだからね」とのことだった。
佐古先輩と木原先輩は共に映像学科の三回生で、それぞれ現在の部長、副部長を務めている。また、先ほどの湯本は僕と同回生で、音楽学科に籍を置いていた。
「やあ、葉くん。バイトはどないな感じ? うまくやれそう?」
ヒラリと右手を挙げて、須和子さんが声をかけて来た。最上回生の為作業が免除されているのか、彼女は手ぶらだった。
「はい、まあ一応。そんなに仕事も多くなさそうなので」
「ならよかったわ。──あ、でも、ちゃんとサークルの活動にも参加できるよう、オーナーさんには話し付けとるから、そこは安心してな。……無論、私の酒にも付き合ってもらうけど」
サラリと不穏な言葉が聞こえた気がしたが──あえて聞かなかったことにしていると、彼女は急に辺りを見回し、
「おっ、あの子が例のお友達やな? ほほう、なかなか男前やん。モテるんやない?」
「でも、意外と浮いた話は聞かないですね。本人もあんまり興味ないのか何なのか」
「そうなん? まさか、この歳で枯れとるとか?」
「かも知れません」
などと、僕らが勝手なことを言い合って笑っているとも知らず、当の緋村はキビキビと動き続けていた。いつまでも油を売っているわけにもいかないので、僕もその辺りで運搬作業に戻る。
すると、一人顔色の悪い新入部員がいることに気付く。どうやら、バスに酔ってしまったらしい。口許に手を当てて俯いている彼に、もう一人新入部員の女の子が、心配そうに声をかけていた。
「畔上くん、大丈夫?」
「あ、うん……ちょっと、気持ち悪くて……」
畔上徹は、消え入りそうな声で答える。ただでさえ痩躯で小柄な彼は、かなり弱っている様子だった。
「どないしたん? アゼちゃん、車酔い?」
と、須和子さんも気付いたらしく、彼に尋ねる。
「みたいです」と答えたのは、女の子の方──日々瀬ルナだった。こちらも畔上同様おとなしそうな感じの娘で、須和子さんや山風に比べると、やや地味な印象を受けた。一回生なのだから当然と言えば当然だが、まだ高校生にしか見えない。
ちなみに、畔上が漫画創作学科、日々瀬が美術学科の所属だったはずだ。
「取り敢えず、ロビーで休んどったらええよ。それと、オーナーさんか誰かに言って、酔い止めか何かもらおか」
「酔い止めって、後からでも効くんですか?」
「うん、すぐやったら大丈夫やねん。うちも、昔はよう乗り物酔いしとったから」
そんなやり取りが聞こえたので、「あ、じゃあ、僕が訊いて来ます」と名乗り出る。運んだ物をロビーの荷物置き場に下ろし、中にいた順一さんに薬のことを尋ねた。
「酔い止めですか。はい、ありますよ。持って来ますので、少し待っていてください」
鷹揚に答えると、彼は中に上がり、向かって右手の廊下に消えた。その奥には食堂兼宴会場があり、もう一人の管理人が昼食の支度をしているのだ。
「弥生、救急箱ってどこやったっけ?」
順一さんの声が、そちらから聞こえて来る。弥生さんとは彼の奥さん──ではなく、妹さんとのことだった。年齢は四十代半くらいで、人のよさそうなお母さんと言った雰囲気の人だ。──が、どうも既婚者ではないらしい。
「それやったら、そこの棚の上よ。兄さんが自分でしまったんやない」
「せやったか。最近どうも、忘れっぽくてアカンな」
二人の会話を聞きながら待っていると、須和子さんと日々瀬に付き添われた畔上が、中に入って来る。クロックスを脱いだ彼は、律儀にそれを外向きに揃え、中に上がった。そのままヨロヨロとロビーのソファーに腰下ろしたところで、救急箱を携えた順一さんが戻って来た。
これ以上ここにいても何の役にも立たないので、僕は運搬作業に戻ることにする。
その間際、何気なく畔上の方を見ると、酷く赤面していることに気付いた。恥ずかしがっているのかとも思ったが、どうやらそれだけではないらしい。
彼の赤面の原因は、その背中をさする須和子さんにある──と言うことは、何となく僕にも察せられた。
「どうした? 恋のライバルでも出現したか?」
外に出て顔をあわせるなり、緋村がそんなことを言って来る。さっきまで、勝手に枯らされていたとも知らずに。
「なんだよそれ。どうしてそんな話になるんだ?」
「だってモテそうだからな、矢来先輩。特に、お前みたいなタイプには」
「『純情な文学青年に』って言いたいのか? ──生憎だけど、須和子さんは『女を捨ててる』らしいぞ。実際浮いた話も聞かないし」
「そうなのか、意外だな」
奇しくも、先ほどと似たような会話になっていた。